武本に新たな子供?
不幸が不幸を呼び寄せるように、幸せも幸せを呼ぶのかもしれない。
けれども僕の愛する目の前の二人は、訪れた幸運に喜ぶよりも先に下した決断によって、落胆と絶望に塗れているだけであった。
「生んじゃえばいいでしょ。」
僕とよく似ているが老けている雛人形は、事も無げに娘夫婦に言い放った。
彼女は元々武本の人ではなく、僕の母の実家の白波の親族に近い人だ。
白波家は白ヘビ様を奉る一方で世界的に展開している白波酒造を経営している一族であるが、奉る神社を放ってしまいたいと公言する罰当たりでもある。
そんな一族と血が繋がっている僕の祖母が、人でなしでデストロイヤーなのは仕方が無いことだろう。
白波家そのものの僕の母なんて、僕と殆ど年の変わらない若い男と再婚して、その若い男を養子として潜り込ませた財閥の金で、言葉通り世界中を飛び回って二度目の人生を面白おかしく謳歌しているのだ。
「でもお母さん。私はもう三十八歳なのよ。」
「三十八歳なんて、今時は高齢出産と言わない年齢でしょう。それに、隼の結婚が早すぎただけで、その時の紗々ちゃんは三十を超えていたじゃない。」
僕の父は祖母によって大学出たての二十一歳の時に、前述の僕の母、白波沙々(ささ)と無理矢理結婚させられている。
それによって生まれた僕を、隼が疎い嫌ったのは実に仕方が無い事と、実の母に再会した僕は、悲しい事だが認めざる得ない。
それでも子供をネグレクトするのはいけないことなのだ。
父は僕を虐待した咎で武本より放逐されたのである。
しかしながら、学者としての研究テーマであるアメリカインディアンの居留地近くの大学で教授職を貰い、研究活動に勤しんでいられるのだから、今の彼は実は幸福なのかもしれない。
そして、隼の妹である奈央子は、二十六の時に武本物産の家具部門の部長であり、家具職人の橋場孝彦と結婚した。
世界の橋場である橋場建設の経営者の三男だった孝彦は、実家が渋谷であることもあり、彼の結婚前から世田谷に住む僕によく会いにきて遊んでくれた父同然の人だ。
実の父に存在を許されなかった僕だ。
孝彦が実の父以上の存在となったのは当たり前といえるだろう。
そんな幼少期の僕の支えとなった彼が、いつもは笑顔を浮かべるだけの橋場家の強面の顔を、いまや落胆と苦痛で恐ろしく歪めている。
「お義母さん。僕達が七年前に子供を亡くした事を覚えているでしょう。」
孝彦夫妻は七年前に出産したが、悲しい事にその子供は生まれ出たその場で亡くなったのだ。
死因は染色体異常による重度の奇形である。
「でも、授かりものでしょ。大丈夫よ。そうでしょ。」
祖母が慌てた様に僕に振ったが、僕は医者でもなんでもない。
武本家の当主であり、見えないものが見える人でもあるというだけだ。
武本家はオコジョを使い魔にする飯綱使いの一族で、知る人ぞ知る老舗で武本物産を経営する一族でもある。
武本物産は、江戸時代に呉服屋から始め、大きくなるとなぜか青森を拠点にし、だが東北と江戸を結ぶ廻船問屋ともなり、明治維新と共に百貨店経営に移行して大きく栄えた。
しかし、不況の折には不況に立ち向かうよりもいち早く百貨店を閉め、近年は完全に一般向け通信販売と高額購入者用外商のみに絞っているという、細く長くがモットーの会社でもある。
とある鬼に言わせれば「臆病で小心こそ武本」、の一言に尽きるらしいが。
そんな一族の当主である僕の名前は百目鬼玄人。
僕は武本家から百目鬼家へ養子に出たのでこの苗字だ。
飯綱使いというふざけた要素がある点で御理解いただけると思うが、前提として武本家には様々な呪いがかかっている。
使役するオコジョが客の要望を武本に持ち帰るからこそ商家として栄えたのだが、彼等は客の持つ業や呪い、果ては同業者の妬みや嫉妬までも武本に持ち帰ってくるのである。
一時力が弱まっていた僕はそれらの呪いを受けた事で死に掛け、死に掛けたからこそ苗字を変えるという大技で生きながらえたのだ。