うちに来たら未来が無いって言ったでしょう?
楊は無情な親友の言葉にスマートフォンを道路にぶつけたい気持ちを抑え、その代わりに思いっ切りのシャウトをスマートフォンに浴びせていた。
「ふざけるな。いいからちび出せ。電話代わって寝直せよ。ちびが部屋の隅で電話すれば煩くないだろうが。その旅館は広いだろ。」
「残念。ここは大司専用宿の部屋だよ。スキー場も奴の持ち物。一般客を気にしないで改造スノーモービルを操りたいからって山を買って整備したそうでね。完全に個人用に建てたコテージでしかないからよ、普通の八畳間で三人はきついんだよ。」
白波久美の父親で、白波周吉の長男である改造王の事を、楊は懐かしく思い出していた。
昨年の初夏に傷ついた玄人を新潟に運んだ際に、彼の改造車を乗り回して色々と楽しみ、大怪我で苦しむ玄人そっちのけで車の話で盛り上がった過去である。
そんな過去を思い出したせいか、襖の陰から悲しそうに伺う玄人の姿まで想像してしまったと、楊は自分の鼻の付け根を空いた手で軽く摘んだ。
「ハハ。本家でも旅館の方でもなかったのか。」
「本家は初詣の準備で大忙しなのだそうだ。旅館は船上パーティに参加予定の身内連中が占領しているからってね、パーティ終わるまで俺達はここに押し込められてのスキー三昧だね。たださぁ、クロが部屋で一人でお守り作りでね。可哀相だよね。ノルマだってさ。」
「お前は手伝ってやらないのか。」
「俺は禅僧だよ。淳が時々手伝っているからいいだろ。」
楊はぎゅっと目を瞑った。
どうしてこんな屑の日常を守るために頑張っているのだろう、と。
すると、楊を慰めようとしてか、美女二人が彼の両脇に縋りついた。
しかし、彼女達は楊のことなどなんとも思ってはいなかった。
すなわち、佐藤と水野は、楊が持つスマートフォンに叫びだしたのだ。
「兄さん、あたしらも早く遊びたいからさ、いいから早くクロを出して。」
「そうですよ!自分ばっかり楽しんで!こっちに帰ってきたら押しかけて遊びに連れて行ってもらいますからね。絶対押しかけますからね。泊りがけ前提で突撃しますから!」
「あ、いいねぇ。さっちゃん。兄さんあたしは、箱根の湯に浸かりたい!一緒に温泉に入ろう!いや入る。あたしの男にしてやるよ!」
佐藤と水野が箱根箱根と連発し始めた代わりに、楊のスマートフォンは完全に沈黙してしまい、暫くの後に楊がかけた本来の相手が電話口に出てきた。
「おはようございます。もう片付けましたから、勘弁してあげてください。」
「え、クロどうした!兄さんは!あの軟弱者!お前も行きたいだろ!箱根、箱根だよ。」
「そうよ!兄さん。箱根の約束はどうしたのよ!いいから、クロ!あの男を電話に出せ!」
水野と佐藤は楊の手から彼のスマートフォンを取り上げ、二人でぎゃあぎゃあとスマートフォンに叫びはじめた。
時々、がん、がんっと大きな音を立てて警察車両が水野に蹴られているが、あれは水野と佐藤の支給車だからいいかと、楊が現場に振り返ると、魂が抜けた感のある五月女と目が合った。
「あの、特対課って、いつもこんな感じなのですか。」
「そう。だからボクが君に説得したじゃあないの。ウチに来たら君の未来が無いよって。」
楊は五月女の数歩先に歩き、しゃがみ込んだ。
そこには死人であったが今は完全な遺体と変わり、動かなくなった黒焦げの上体部分が燻っている。彼はそっと手を合わせてからゴム手袋を装着し、遺体の検分を始めた。
「目撃報告では自ら這って出て来たと有りますね。事故で切断されたにしては断面が綺麗過ぎますけどね。」
「最初から下半身が無かったとしたのなら、どうやってアクセルを踏んだのだろうね。」
刑事の顔に戻った五月女が、先程まで佐藤が持っていた書類を開いた。
死人だった被害者の下半身に当たる部位の発見報告が無いか探しているのだ。
事故車は消防隊に完全に火を消し止められ、熱を帯びていても生存者あるいは遺体の搬出は済んでいる。
彼らは完璧な消火と救助活動の後に動く死人発見で、所轄の警察と逃げただけである。
楊に押し付けたと言ったほうが正しいか。
楊は立ち上がるともう一度現場を見回した。
死人だろうが、否、死人絡みだからこそ徹底した現場検証をして、事件がこれだけなのか唯の一部であるのか確認する必要があるのだ。
一部であったのならば被害現場は他にも広がる。
死人は人を食らうと生者に一時的に戻れるからであり、人を殺す方法が拷問であるというならば、楊が必死になるのも当たり前なのだ。