楊の特対課では
楊が水野と佐藤を警察にスカウトする事になった理由。
それは、彼女達が行動に問題のある少年少女達を攻撃して神奈川県内を暴れ回っていたが為に、同じ県警の警察官であり、楊と別の署に配属されている佐藤の父である佐藤重政警部に彼女達を頼まれたに過ぎないのだ。
「あの子達が大怪我しない内にさ、あの正義の味方ごっこを止めてくれる?」
今の楊は部下となった彼女達を見ては、止めない方がこの世の悪を一掃してくれていたのではないかと時々考えてもいる。
いざとなったら彼が警察の追及から彼女達を逃がしてやれば良かったのだ、と、彼は何度目かの溜息を吐いた。
「皆さん!馬鹿なことを騒いでいないで。この哀れな被害者を病院に運ばなくていいのですか?」
楊と美女達は同時に自分達へと声をあげた新人を見つめた。
殆んど坊主に近いくらいに髪を短くした五月女尚稀巡査部長は、純文学の登場人物のような地味ながらも整っている姿形で、ぺらぺらの刑事スーツに安物コートよりも、帝国海軍の制服が似合いそうな人物である。
二十七歳の彼は楊の課に来たばかりの新人というだけで、実際は本部の麻薬課でバリバリとやっていたベテランの有能な刑事だ。
五月女が楊の特対課に所属する事になったのは、彼が本部で大きなミスをして流されたというわけではない。
それどころか、彼は被疑者死亡ながら新規麻薬ルートの壊滅という手柄を立てたばかりなのである。
そんな手柄を立てた彼が上司に語った願いとは、「楊の特対課に行きたい。」それのみであったという。
楊はその事で本部に呼ばれてなぜか叱られ、叱られたその足で彼自身五月女に気持ちを変えるように説得さえしたのだ。
「あのね、ボクの特対課はね、島流れ署と神奈川県警で名高い相模原東署においても吐き溜りの末端の課なのよ。君はウチに来たら、二度と出世できないかもしれなくてよ。」
その楊の説得に、五月女は清々しい笑顔で「かまいません。」と答えた。
「自分は出世できなくてもいいのです。あの女神さえ守れるのなら。」
「あれ男の子だよ。」
「知っていますよ。女神のように美しいじゃないですか。ドライブした時など、始終自分の事を伺って、気を使って。今時あんな可憐な生き物はいません。」
「あれは百目鬼を署に連行するための人質として君の車に乗せられたからでしょう。身内が逮捕されるかもと不安な人間が、担当刑事に気を使うのは当たり前じゃない。」
「あなたは彼を理解していない。」
楊はそこで説得を諦めて五月女を受け入れる事に決めたのだ。
特対課にはあと三人男がいるが、楊の相棒の髙以外の二人は玄人に惚れている。
山口は玄人の恋人になれて幸せそうだが、怪我ばかりで最近は労災認定の療養中だ。
もう一人は、佐藤が、あの可愛い佐藤が惚れているのに関わらず、振られても玄人一筋の鬼畜である。
なぜ鬼畜なのかは、隙があれば玄人を襲うという彼の決意と、本気で襲ったブレない行動が全てである。
その男、葉山友紀は四角い顔は荒削りだが整っており、五月女と同じくらいの背で一八〇センチは無いが、五月女同様武道で鍛えているために細身でも体つきは固く締まっている。
玄人が「竹林に佇む武士」と評したような、静で芯のある男性像とも言える。
外見は申し分のない美男子の彼は、その上東大出のキャリアでもあるのだ。
彼は以前に上司の汚職警官により不適切な降格処分を受けた。
しかし、最近の手柄により、特例でその処分取り消しがこの年末に発令されたのである。
彼は警察庁に処分取り消しの辞令を受けに、東京へと旅立った。
そして、昨日には戻る予定であったはずが、県警の本部長達からご機嫌伺をされるために本部に呼び出されて横浜市に滞在しており、相模原に戻るのは本日の午後になりそうだ。
葉山は本日付で警部補へと、本来のキャリアへと返り咲くのである。
そんな男を虜にした玄人に惚れるのは仕方が無いのかも知れないと、楊は再び新人の五月女に溜息をついた。
彼は黒焦げで痛みにのた打ち回っている被害者に、少しでも痛みを和らげようと、おろおろと周囲を見回してその術を探しているのだ。
それは黒焦げで上半身しかないのだから、動くはずのないものであるのに、だ。
「五月女君、それね、死人っていうモノなの。」
「しびと?」
「人が死に過ぎた時にね、死ねない人間が生まれちゃうんだってさ。生者と死者のバランスを保つためらしいけどね。さて、こんな可哀相な人間、どうしようか。彼らはゾンビでも痛みを感じるらしいから、この状態は可哀相だよね。」
楊の特定犯罪対策課とは、それ専門の課なのである。
通常の事件ではない超自然的要素を持った案件のみが「だるい、かったるい」と彼の課に回され、そういった事件を一般人に知られる前に処理していくという、特定犯罪の対策という悲しい課なのだ。