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呼び出された特対課

 被害の惨状は、一目見れば理解できるものであった。

 二台の乗用車の衝突事故。

 軽自動車が普通乗用車の横腹に魚雷のように突っ込んで、そのまま二台一緒に炎上したようなのである。


「酷いな。最近の車は炎上しないように設計されているのに、この突っ込み具合じゃそれも無意味なんだろうね。」


 特定犯罪対策課、通称特対課の課長である楊警部は、交通課の事件がなぜ、それも所轄外の事故現場に呼び出されたのか、想像はつくが逃げ出したい気持ちで一杯だった。

 凄惨な事故現場の前で愁傷な顔つきを作ってはいるが、彼の課が受け持つ必要の無い要素が一つでも見つかれば、元々の所轄の交通課へ投げ返すつもりである。


 彼は二日前から傷心なのだ。


 溜息をついた彼の口元にはホウっと真っ白な霞が広がった。

 彼は寒いと黒い毛糸のマフラーの中に顔を半分潜り込ませた。

 これは婚約者の祖母の手編みの品だ。

 彼の婚約者にそんな芸当は出来ない。

 しかしその事が楊の気を塞がせている訳ではないのだ。


 原因は、彼が羽織っている二日前に実家で見つけたレトロな黒のカシミアのコートである。


 楊の母方の曽祖父の愛用品だというこの品は、黒に近い燻し銀のボタンがダブルに格好良く並び、肩にはエポーレット、胸元には不要な飾りポケットが並び、さらには長い丈の裾の横にもなぜかスリットが入っているために動くと裾が短冊のように跳ねて広がるという、つまり、楊が大好きなミリタリー風味のメタル系のデザインというものである。


 そして、格好だけで防寒には適さないと思っていたが、昔の高級オーダーメイドコートを侮ってはならなかった。

 高級カシミアのしなやかな表地はもとより、裏地もかなり拘っていたのか、動きやすい上にかなり温かいのである。


 コートを見つけて感動した楊は、会った事の無い曽祖父の事を知りたいと、思わず実家のどこかにいる祖母へ大声をあげた程だ。

 五歳児のように「おばあちゃーん。」と。


 しかし彼女は曽祖父の思い出を語るどころか、衝撃の事実を無情にも楊に突きつけたのである。


「七歳の頃に亡くなったお爺ちゃんでしょ。仲良かったじゃない。あなた、もしかしてひいお爺ちゃんだと思っていなかったの?嘘でしょう。そこまでお馬鹿さんだったの?」


「爺ちゃんも婆ちゃんもあの男をアチェーツって呼んでいたじゃん。俺はジェット・アチェーツという名前だから、友人のお前はジェットと呼べって俺は言われてたよ。」


 祖母の鼓膜が破れるほどの大笑いは、再び楊をどん底に突き落とした。


「もう、お父さんは。アチェーツはお父さん。ジェットはお祖父ちゃんの意味よ。あなた、ロシアのバンドが好きだって言っていたくせに、その程度のロシア語も知らないの?」


「俺はクサメロが好きなだけだよ!」


 ロシア貴族の末裔で元秘密スパイの手品師だと自称していた男に、楊は二十四年後にもなって完全に騙されていた事を知ったのだ。


 その男は自分が楊の祖母の愛人だと彼に囁いてもいたのである。


 祖母とジェットは似ていなかった。

 自分の母親がジェットによく似ているのはそういう事かと、数年後に時間差でその訳を知って本気で悩んだ少年時代を返して欲しいと、楊は思い出して憤った。


「畜生!いたいけな子供に!あの嘘つき男!」


 小さく舌打をちする楊の脇に、すっと動いた人の気配が感じられた。


「普通乗用車の後部座席の二名は即死。運転席の女性は逃げ出せなくて、爆発に巻き込まれての焼死です。」


 彼の脇から報告を始めたのが現場検証をした担当の署の巡査ではなく、彼の課の二十二歳の佐藤さとうもえ巡査であった事で、彼は大きく白い息を吐きながら覚悟を決めた。

 視界の隅で物凄いスピードで担当所轄の警察車両が逃走している姿もキャッチしたのだ。

 彼がどんなに豪腕でもこの案件を投げ返せないことは確実だ。


「それで、軽自動車の運転手は即死か?」


 佐藤は一六二センチの身長でも華奢に見えるほっそりとした体つきと、大きな目が少々釣っているところが妖精のようだと署内で持て囃されている美女だ。

 彼女は誰にでも柔らかく対応し、真面目な所から信頼も厚いが、時々ブラックな性格を垣間見せる女性でもある。


 そんな彼女は恋愛対象ではないらしき上司の楊に、いつもの、警察に彼がスカウトした頃の女子高生の時の悪戯っぽい表情を、黒髪で艶やかなショートボブの頭を軽く振ってから浮かべただけだ。


「死んでいないのか?もっと悪い?普通の事故って報告して帰ろっか?」


「あ、かわさん。さいこー。あたしもそう思い始めていた所。」


 上司にフランクな言葉を返してきたのは、佐藤の同期で同い年のみずの美智花みちかである。

 佐藤と同じくらいの身長の彼女は明るい色合いの髪を長めのショートにしているが、生来の癖毛で毛先だけがハネて巻いている。

 ふわふわした髪に飾られた大きな目はちょっと垂れており、そこが癒し系だと署内では人気の女性だ。


 外見だけはね、と楊は心の中だけで美女二人にも大きく溜息をついた。


 高校時代からの親友同士であるというこの美女二人は、仲良く警察に入って二人同時に刑事に昇格して楊の部署に配属されたのである。

 偶然ではなく、それは、楊がそのように手配したからだ。


 しかし楊は彼女達が美女だったから警察にスカウトしたのではない。

 そこが彼が溜息を吐いてしまった理由だ。

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