71頁 エピローグ
伝説に登場する《守護聖獣》。
──それはかつて《不浄の神グレムコロイトゥス》と宵の領域の軍勢が、人間の世界に侵攻してきた時の話。
何処より金色の獣が現れた。
比類なき力で宵の領域の軍勢を蹴散らした後に、その獣は王に寄り添い、彼に神の叡智を分け与えた。
やがて人間の国はどの種族よりも繁栄した、と伝えられている。
今から数百年も前の伝説だ。
でもなんか、俺の人生を謳っているみたいだな……。
エドワードは足を怪我して、二度と立って歩くことが出来ない。
マリアが手を貸して、なんとか移動できる。
「やったなフューリー。さすが私の見込んだカーバンクルだ。よし今夜は客をまねいて大宴会を開こう」
「領主様、素敵なアイデアです。それではさっそく宴の準備を致します」
「それからフューリー、今夜のパーティの主役はお前だ。私のペットとして威厳ある態度を示せよ」
「くぎゅう!」
この屋敷にパリピー貴族が押し寄せてくるのか?
やれやれ。
今夜は眠れないな。
エドワードとマリアは楽しそうに笑っている。
もう、マリアに《死神ヘグファルト》の加護はない。
それゆえに過酷な戦いをする必要もない。
彼女はついに望んだ未来を手に入れた。
《死に戻りスキル》の呪いから解放され、本当の意味で幸せになれた。
「フューリーちゃんにも、また美味しい肉料理を作ってあげますね。
うふふふ。今夜のパーティが楽しみです」
「んきゅ!」
マリアの笑顔に応えて、俺は元気いっぱいに鳴いた。
エドワードも不具になったが、わりと元気だ。
これからは真剣に領地経営に取り組むだろう。
それは俺の願いでもある。
もう二度とエリーやヴェルナスのような、不幸な子供たちが生まれないようにしてくれ。
領民が幸せに暮らせる街をつくってほしい。
それから俺は図書館の中をさまよった。
時間が止まったように静寂が支配する空間。
古びた紙のにおいが漂う、本棚の迷宮。
懐かしい記憶が蘇る。
俺の物語のすべては、ここから始まったんだよなぁ……。
俺はある人の影を追い、螺旋階段をのぼっていた。
そして見つけた。
本棚の陰でうずくまっているミュウルニクスを……。
急にいなくなるから心配したんだ。
彼女は少しばかり泣いていた。
「フューリーか? すまない。本当なら笑って祝うべきなのに、こんなしみったれた顔をして……」
ミュウルニクスは無理に笑顔をつくっていたが、狼耳がへたれてる。
尻尾も垂れ下がり元気がない。
ミュウルニクス。
古代獣人族の生き残り。
狼魔貴族の姫君。
グレムコロイトゥスの封印を監視する為に、死神ヘグファルトと契約した。
《死に戻りスキル》と不老の加護を得て、今日まで迷宮の入り口を守ってきた……。
ヴィオニック禁呪図書館。
その地下にはドワーフ族の王国の廃墟が、迷宮のごとく広がっている。
そのもっと下に《不浄の神グレムコロイトゥス》の棺が眠っている。
死神ヘグファルトは消滅した。
完全に滅んだわけじゃないが、しばらくはこの世界に現れないだろう。
それに伴い、死神の加護もまた消滅した。
彼女をこの世界につなぐ楔はもう無い……。
「できれば今夜のパーティに私も招待されたかった。
そしてお前とも杯を交わしてみたかったが、もう時間がない……」
俺は声を上げることもできなかった。
ただ目に涙を浮かべて、その姿を見るのが精一杯だ。
「私は古代獣人族の生き残り。そろそろ皆の待つ安息の地へ旅立たないと」
いつの間にか服従魔法を使っていたらしい。
仮初めの魂を得て、ゴーレムと化した《古い事典》がふわふわと宙を舞い、俺の頭に何度も体当たりしてくる。
魔法を解除する力はあったが、俺はあえてされるがままになった。
もっともっと……。
ミュウルニクスと話をしたかった。
でも、分かれとは唐突にやってくるもの……。
それでも彼女が死を望むのであれば。
ミュウルニクスは魂の安寧を得る。
彼女はついに責務から解放される。
「不死身の守護聖獣フューリーよ。
お前が守護神に選んだ《蜘蛛の女神アラクネア》は運命を司る神だ。
人々の間では邪神と呼ばれ、契約したものは波乱万丈な人生を辿ることになる。
出会い喜び、そして裏切り悲しみ、運命の糸に翻弄されて、たくさんの経験を経るだろう……。
ヘグファルトの刺客が追ってくるかもしれない。カアル王に捕まるかもしれない。
でもこれだけは忘れるな。お前なら必ず苦難を乗り越えられる。お前にはその力がある。
だってお前は死神殺しの聖獣なんだから。それに私の後の事は任せたぞ」
ありがとう。
そして大丈夫だよ。
彼女の代わりに、俺がグレムコロイトゥスの棺を見張ってやる。
それ以上の言葉はいらない。
未練が生まれ、別れがつらくなるから。
俺は静かに図書館を離れた。
屋上の連絡橋をわたる。
そのころには、俺の頭をぽこぽこ叩いていた《古い事典》も動かなくなっていた。
ポトリと地面に落ちて、そのまま唯の書物に戻っていた。
誰かが解呪した?
あるいは術者本人が消滅した……?
堪えていたけど、ついに涙腺が崩壊した。
俺は泣き声をあげた。
俺も岐路に立たされている。
このまま貴族のペットとして、安泰のスローライフを送るか?
それとも?
いや。
その答えはもう決まっている。
俺がアラクネアと契約したときから、定まった運命だ。
連絡橋から屋敷の2階に降りた。
エドワードが机に地図と資料を広げて、何かを書き記している。
「貿易が滞っている……。まずは交易路の拡大だ。それから……」
真剣に領地経営に取り組んでいるエドワードを見て、俺は心がスゥっと晴れていくのを感じた。
俺の望んでいた理想の領主がそこにいる。
もう神殺しの魔法を研究する必要もない。
自由になったマリアと共に、エドワードの第二の人生がはじまる。
そして俺とエドワードの物語もこれで終わりを迎える。
俺はそっと書斎を離れ、階段を降りる。
「待て。どこに行く?」
エドワードだった。
彼は不自由な足を引っ張って、壁にもたれながら、俺を見ていた。
やれやれ。
ほんとうは静かにここを去りたかったが……。
俺はじっとエドワードを見た。
彼なら分かってくれる。
「……出て行ったらマリアが悲しむぞ」
そうだね。
きっと悲しむ。
だからマリアには内緒にして欲しい。
しかたない。
こうなったら……。
『今まで、ありがとう』
ゆっくりと獣の口を動かして、人間の言葉をしゃべる。
エドワードがあっと驚いた。
「お、おまえ……言葉がしゃべれるのか?」
でもエドワードはそれ以上は語らず、静かにうなずいた。
『もう行かなくちゃ。やることがあるから』
「そんなに大切なことか?」
『困っている貴族を助けに行く』
エドワードは俺の身を案じていたようだ。
でもやがて悟り、諦観した。
「わかった」
『さようならエドワード』
「がんばれよ」
たったそれだけ。
それで十分だ。
これ以上の言葉はいらない。
俺は屋敷を飛び出した。
青空のもと、草花がそよ風に揺れている。
もう俺を襲ってくる死骨狼もいない。
丘の上から、眼下に広がる雄大な自然を眺めた。
朝日に染まる、なだらかな丘陵。その麓に無数の家屋が並ぶ。
ドーム状の屋根をした塔が、朝霧にかすんで見える。
遥か遠くの海岸に沿って、石造りの防波堤が見える。
霧の海を背景に、古代か中世の街が広がっていた。
さてと。
困っている貴族を探しに行こう。
でもその前に、ヴェルナスとエリーにも会いに行かないと。
相変わらず元気でやっているだろうか。
連れて行かれた彼らの仲間を探すのを協力してやりたい。
同じく連れて行かれたカーバンクルの仲間も探さないとなぁ。
そして奴隷商人マクベイン・ゴーメスを捕まえてやるんだ。
それともレオンハルトと一緒に、またダンジョン探索に勤しむか?
昔のように。それも悪くない。
地下のドワーフ族の王国廃墟の、さらに地底深く、そこで永い眠りについている《グレムコロイトゥス》を倒しに行くか。
彼と一緒なら倒せる気がしてきた。
あるいは冒険者と共に、街道を荒らす魔物たちを討伐に行くか?
冒険者達と一緒に《大地喰らい蛇》と戦ったときの興奮がまだ冷めてない。
あんな胸躍る冒険を、もう一度やってみたい。
冒険者ギルドに行って、俺も冒険者に登録してみようかな?
カーバンクルだけど……。
それとも諸悪の根源であるカアル王に会いに行くか?
どんな人物か気になる。
《血塗れ王》はこの島のラスボス的存在だと思うんだが、今の俺に怖いものはない!
アラクネア教えてくれ。
俺はこれからどこに行けばいい?
そう念じて空をあおいだ。
優しいそよ風が尻尾を撫でる。
なんだかアラクネアが微笑んでいるような気がして、俺は爽快な気持ちになった。
そうだな。
とりあえず歩いてみよう。
あとは成り行きに身を委ねる。
それが運命を司る《蜘蛛の女神アラクネア》の意思だ。
誰かが俺を呼ぶ。
振り返ると、とてもよく知っている顔があった。
「どうだ私の演技は? 死んだと思ったろう?
うふふ。狼魔貴族を甘く見るな。はれて自由の身になったし、これからはお前と一緒に旅をしてやるよ」
なんてことだ。
生きていた!
だって俺はてっきり──。
ふっ。
しかたないなぁ。
それじゃあ右か左か、どっちに行くか決めてくれ。
運命の糸に導かれ、こうして俺たちはエマジア島を駆け巡る壮大な旅の、はじまりの一歩を踏んだ。
〈辺境伯の守護聖獣 異世界図書館でまどろむ聖獣 完〉
最後までお読み頂き、有難う御座いました。
そしてここまでにして頂いた評価ならびにブックマーク登録有難う御座います。
というわけで、これでフューリーの物語は一旦終了となります。