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崩壊した天井を、光が淡く照らす。
崩れた天井の瓦礫を踏みしめ、いっきに飛躍する。
俺の額の石から、光輝くツノが伸びている。
《カーミラの首飾り》により、魔力が強化されて《照明魔法》が鋭い武器となったものだ。
ツノを突き立て、俺はヘグファルトの懐、核のある部分を狙った。
マリアのおかげだ。彼女が俺を奮い立たせてくれた。
だからもう迷わない。例え死神が相手でも俺は絶対に負けない!
圧倒的な力を持つ相手に、俺は果敢にも正面から挑んだ。
一見して無謀な突撃に見えるが戦略がある。
そもそも相手は、今まで戦ってきた魔獣族や不死族とはわけが違う。
高次元の存在であるゆえ、剣や槍など物質的な武器が通用するとはかぎらない。
あまつさえ獣の牙では、傷を負わせることも出来ぬだろう。
でも光を恐れる不死族には、このツノが最大の武器となる。
ならば死神にも、これが通用するのではないか。
「愚かな。それがお前の答えか」
たしかに手ごたえはあった。
だがそれは奴の核じゃない……!
「ふふふ……なかなか面白い余興だったぞカーバンクルよ、だが遊びは終わりだ!」
奴は笑っていた。
目の前には、骸骨どもが壁のように群がっている……。
俺の《光のツノ》は、その一体を弾き飛ばしただけ。
「ここがかつてドワーフ族の王国だと知っていたか? 連中はみな死して俺の下僕となった。おまえひとりで、百人のドワーフ族の戦士や、獣人族のアサシンを相手にどれだけ持つかな?」
そうだ。
この地下迷宮の正体は廃墟となったドワーフ族の王国。
かつて暁の領域の軍勢に加わり、魔獣族や不死族を統べる不浄の神グレムコロイトゥスと戦った。
勇敢なドワーフ族の戦士達。
だが彼らの王は暁の領域の軍勢が勝利した後に、不浄の神の力に魅了された。
やがてドワーフ族は滅び、今では死神の番兵に成り果てた。
地下迷宮を彷徨う骸骨戦士たちを、奴は大量に召喚した。
神のもつ屍霊術の力は、それほどまでに凄まじい。
多勢に無勢。
俺ひとりでは分が悪い。
完全に弄ばれている。
このままでは勝ち目はない……。
奇跡でも起こらないかぎり。
だがそれがなんだ?
かつて人間もエルフも、この圧倒的不利な状況でグレムコロイトゥスと戦ったのではないか?
今の俺と同じだ。
たとえ絶望的でも勝機がわずかにあるのなら。
戦うべきだ!
《照明魔法》を操れるカーバンクルなら、アンデッドとの戦いに相性がよい。
片っ端から貫き伏せてやる。
火花が散った。
さすがはドワーフ族の戦士だ。
骸骨になっても、戦士としての技量は計り知れない。
彼らの振るう大斧は、長い柄の先に重点がある。
それを軸にして、軽々と大斧を振るう。
倒しても倒しても、次から次に襲ってくる。
しだいに隅に追われ、もう後がなくなった。
骸骨たちが大斧を振るい上げた。
それをいっきに叩きつけようとしたとき、死神が制止した。
暗澹たる呪いの吐息が俺の耳に届いた。
「こいつらに斬り刻まれて死ぬのもいいが、それでは俺の怒りが収まらぬ。せっかくお前にチャンスを与えてやったというのに……ならば、悶えながら死ね」
奴が手のひらを俺に向けた。
その中で青い炎が燃え上がる。離れていても、皮膚が焼き焦げてしまいそうなほど熱い。
地獄の業火が俺を呑み込もうとしたとき、銃声が鳴った。
これは──!
エドワードの銃だ。
エドワードは生きていた……!
「ヘグファルト! まだ終わってないぞォ……!」
ルーン魔法の刻まれた銃弾が、奴に直撃した。
だが無駄だった。
見えない壁のようなものが銃弾を受け止める。
これも奴の魔法か?
完全に物理攻撃を遮断するバリアだ……。
これでは奴の核を破壊できない……。
ヘグファルトは笑っている。
くそ!
俺とエドワードがここまで頑張ったのに……!
「カーバンクルよ、《粉々に砕け散れ》!」
爆炎が吹き抜ける。
俺の意識も、体も、遠くへ吹き飛んだ。
痛みは無かった。
ただ眠るように静かに意識が途切れた。
*****
まるで見えない糸に引っ張られるかのように、感覚が戻ってくる。
長い夢から目覚めるように、少しずつ意識がはっきりしていく。
途方もない疲労感に襲われた。果てしない旅をしてきたような……。
聞こえてくるのは風の音色。
それから心地よい水の流れる音。
俺は木製の固い床に横たわっていた。
「痛ってててぇ……」
おもわず俺は右手で頭をさすった。
あれ?
足をぐっと伸ばしてみる。
おかしいな?
いつもより足が長いぞ……?
両手を目の前にもってきた。
それは人間の手だった。
足も人間のものだ。
それどころか黒い背広を着ていた。
ネクタイを絞めて、ビシッときまっている。
髪の毛もオールバックにしている。
この格好には見覚えがある。
いつか会社に勤めていたときの服装だ。
セールスマンの仕事について1週間ほど過ぎたときの。
先輩にたしなめられて、上質なスーツを買ったんだ。
それに髪型なんて気にしてなかったが、いちおう客商売だからオールバックに整えたんだ。
遠い過去の記憶だ。
それにしても不思議だ。
なぜ俺はこんな恰好で、見知らぬ場所に倒れているんだ?
そう。
今の自分は、あの獣のカーバンクルの姿では無かった。
人間の姿だ。それもセールスマンだった頃の……。
どうして俺はこんな恰好をしているんだ?
いったいここはどこなんだ?
それにエドワードは?
ヘグファルトは?
俺は立ち上がり、死神の影を目で追った。
そのとき足元がぐらついた。
床が動いている……!
「おい、なんだよこれ……?」
それで自分がどこにいるのか分かった。
幅の広い木の船に乗っている。
船は揺られて、大きな川をくだっている。
「いったいどうなってんだ?」
がたがた揺れる船の上で、俺は軽いパニックに陥っていた。
「相変わらず、お前は騒がしい奴だな」
艶のある中性的な声。
船の後方からだ。
見るとそこには黒いローブに黒いフードをかぶった全身黒づくめの奴が立っていた。
小柄だ。子供くらいの背丈しかない。
そいつの胸のあたりに、蜘蛛の紋章が描かれているのが、ちらっと見えた……。
そいつは細長いオールを握りしめて、じょうずに船をあやつっている。
そして俺に語りかけてきた。
「直接話がしたくて、お前の精神体をこの場所に招いた。
そのあいだ、あちらの世界では時間が停止してるので安心せよ」
「そんな……おいちょっと待ってくれ。それに、えっと、なんで俺は人間の姿に戻っているんだ?」
「精神体は決まった姿を持たない。その者の記憶をもとに構成される」
そうか。
この容姿は、無意識の中の記憶をもとに構成されたのか。
きっと若い頃の自分を、憧憬の念で投影してしまったのだろう。
つまりこれは一時的な仮初めの姿なんだ。
それはともかく。
なんとも滅茶苦茶な話だ。
どういうわけか時間が停止され、俺の魂が一時的にこの空間に連れて来られたらしい。
そして俺は、この謎の人物と船に乗って川をくだっている。
その川というのもおかしかった。
水の中で、無数の線がきらきらと光っている。
その太い線の中を光が往復している。
「これは《光の糸》と呼ばれている。
選ばれた魂を星から星へ導くもの。
かつてのお前もこの《光の糸》に導かれ、こうやって川をくだり、かの世界に転生したのだ」
やはり。
それで分かった。
この人物が何者なのか。
黒いローブを羽織り、フードで頭をすっぽりと覆っているこの人物……。
この者こそ運命を司る《蜘蛛の神アラクネア》だ。
俺をこの世界に転生させてくれた神様だ。
そう。
ここにきてようやく、俺は転生してくれた神様と出会えた。
それとも再会したというべきか。
とても、とても懐かしい。
「お前を転生させた神として責任を感じている。
まったくお前は大馬鹿者だ。私と同じ《守護神》に挑むとは……」
「悪いけど、アンタと話してる暇はない! 俺を元の場所に戻してくれ……!」
「何を言っている。この大馬鹿者め」
なんだ?
唐突に怒られたよ。
小さき神は深いため息をつきながら囁いた。
「お前を此処に呼んだのは他でもない。
ヘグファルトの提案を拒んでまで、奴と対立した理由を知りたい」
アラクネア……。
いまさらなんだよ。
普通はさ、神様って最初に登場するもんだろう?
出てくるのが遅いんだよ。
まったく……。