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べちゃり!
ふと背後から奇妙な音がした。
深く沈んでいた意識が覚醒する。
濡れたものが床に落ちるような音。
これは何かの足音だ……!
あの臭いがする。すえたニオイがどんどん近づいてくる。
かなり近くでベチャリと音がした。
そいつの足が見えた。
まるでゼラチンのようなぶよぶよした足だ。
そいつが歩くたびに粘液がしたたり、濡れた足跡を残していく。
それからヤモリのような巨大な顔が見えた。
あの鋭い歯で噛みつかれたら引き裂かれる。それにあの強靭な尻尾で弾かれたら骨が砕ける。
まずい。
このままではやられる!
そう思ったとき俺の体は自然と動いた。
電撃が体の芯を突きぬける。そして額に集中する。
わずかに熱を帯び、額にエネルギーが蓄積されていく。
そして閉じていた目を開けると、まばゆいばかりの閃光がほとばしった。
俺の得意な照明魔法だ。この至近距離なら目つぶしができる!
奴は部屋の中を暴れて這い回っている。うまく逃げることができた。とっさに本棚の裏に隠れた。
嗅覚はそんなに優れていないようだ。
あんなに大きく飛び出た目だ。視覚は優れているはず。
だが嗅覚はにぶい。それが奴の弱点か。
だがいまの俺では、このドラゴンのように大きいヤモリを倒すことができない。
隙をみて飛び出し奥に走った。壁に穴があいている。
ちいさな穴だが俺が入るには十分だ。
なるほど。
魔術師エドワードはあの魔物と戦い、レベルアップしろと言ったわけか。
いきなりアレと戦うのは無理だが、もっと弱い奴となら戦える。
俺は絶対に強くなってやる。そしていつか広い世界に飛び出そう。
もっとこの世界を見て回りたい。
せっかくの第二の人生だ。俺はもっと強くなるぞ!
それにしても……。
あれはなんだ?
この図書館の地下に昔から棲みついている魔物か?
それとも魔術師エドワードが、何処から連れてきたペットか?
はたまた彼が造った生命体か?
おかしいのはそれだけじゃない。
俺の存在──すなわち聖獣カーバンクルもだ。
この世界で聖獣カーバンクルとはどういう存在なんだ?
犬や猫のようにその辺にいる動物の類か?
もしそうなら、その辺の犬や猫も魔法が使えるのか?
俺が額の光石から魔法を発したように。
それとも聖獣と呼ばれるくらいだから、とてもレアな存在なのか?
最初は魔術師エドワードに飼われているただのペットだと思っていたが……。
そこで最大の疑問に行き着いた。
魔術師エドワードが《聖獣カーバンクル》を飼う理由は何だ?
ただ珍しいから飼っている?
本当にそれだけか?
たとえば日本にはタイニープードルという犬種がいる。
ぬいぐるみのような姿で、子犬が100万円以上もするという。
まさに金持ちじゃないと飼えない犬だ。
そこから思うにカーバンクルも高級なペットで、それを飼うのは貴族にとってひとつのステータスなんじゃなかろうか?
たぶんその可能性は大きい……のだがどうにも納得できない。
そもそもエドワードは見栄を張って自慢するようなタイプじゃないと思う。
そしておそらくだが、彼はこの図書館で書物を読み漁り、何かの研究に没頭している。
では何の研究だ?
それとカーバンクルとどんな関係がある?
そういえば魔術師は何らかの妖術で俺の体を動かなくさせた。そして彼のいうとおりに動かされた思い出がある。
もしかして、あれはいわゆる服従魔法というものでは?
なるほど。そう思うと合点がいく。
エドワードが地味な理由もよく分かった。
貴族でありながら魔術師でもあるエドワード。
こんなにも魅力的な要素を含んでいるのに、彼に華がない理由はひとつ。
彼の得意なのが服従魔法だからだ。
これが例えば火を操る魔法、風を操る魔法であったら、彼はもっと華やかだったに違いない。
火や風を操る貴族なんて優雅だし絵になる。
それにくらべて服従魔法だと……。
まあ仮にも御主人様なのだから、あまり悪くは言うのはやめよう。
さて、この地下迷宮を放浪してるうちに、地上に出る階段を発見した。
最初に来た階段とは違うものだ。
これがどこに繋がっているか分からないが、とにかく進もう。
実はここに来るまでに、別な魔物と何度か遭遇した。
巨大な紙魚のようなもの、人間くらいの大きさのダンゴムシ、鳥だか蜂だかよく分からない生物など。
RPGで例えるなら、この図書館はモンスターがひしめくダンジョンなのだろう。
だが照明魔法がとても役に立った。周囲を明るく照らすためではない。
相手の目つぶしに使えるからだ。
しかしこの図書館の設計者は、なぜ地下迷宮など造った?
あの迷宮の奥に何を隠した?
それにあの画廊で見た蜘蛛の神さま。あれが妙に気になる。
あの絵をもう一度見たい……。
俺がもっと強くなったら、ふたたびこの地下迷宮に挑もう。
今度はひとりじゃなくて、信頼できる仲間と一緒に潜りたい。
そこで誰かと鉢合わせになり、おもわずビクッと跳び上がった。
あのメイド服には見覚えがある……!
屋敷で働いているマリアだ。
「きゅい……きゅい……きゅう……」
俺は喜びの声をあげた。彼女はとても驚いた顔をした。
あれは嬉しさに満ちた驚きの顔だ。
見ると彼女は腰から剣の鞘をぶらさげている。
もしかして俺を助けにいくつもりだったのかな?
心配をかけて申し訳ない。
「さすがですね。無傷で試練を乗り越えるなんて……やはり貴方は領主様も認める最高の聖獣です……!」
マリアは俺を慈しむように優しく抱っこした。俺は小首をかしげた。
やはり彼女の胸の中が一番落ち着く。
別に大したことしてないんだけどね。ほんとうにレベルアップしたのかな?
たしかに体力がすこし上がったような気がする。