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木陰は涼しかった。
夏のカラッとした暑い風が頬を撫でる。
若葉の匂いをかぎながら、颯爽と森を抜け、俺は抜け穴の入り口に戻ってきた。
でも抜け穴を通るとき、なにか胸の中がモヤモヤするような、例えようのない不安感を覚えた。
大丈夫。
なにも心配ない。
だって農地改革に成功した。
レオンハルトも農民達も、今年の豊作を見れば驚くだろう。
農民の反乱もおさまり平和になった。
義勇軍たちの物理的な脅威はなくなった。
そしたら次は工事だ。
交易路を舗装して砂利を敷き詰めて、馬車が円滑に通れるようにする。
せっかく大きな港町があるし、漁業が発展しているのだから、海産物の売買で儲けられる。
あとは領地にはびこる魔物を義勇軍に討伐してもらい、治安が良くなれば文句なしだ。
先の反乱で、義勇軍の中にもかなりの負傷者が出たが……。
手当てすれば命に別状はないだろう。
また態勢を立て直して、跋扈する魔物を殲滅してもらいたいのだ。
まったく今回の件で、エドワードには大いに反省してもらいたい。
なんだかんだいっても、俺のおかげで彼が処刑される未来は変わったのだから。
だからもう図書館に籠もり、魔法の研究に没頭するのはやめてくれ。
そろそろ真剣に領地経営に取り組んでほしい。
そう。彼ならきっとできる。
そうだ。
これだけ見れば、問題が解消されてハッピーエンドだ。
収穫祭の夜には、屋敷に領民をまねいて、朝まで大勢でフィーバーする。
これからエドワードと領民らも少しずつ打ち解けてゆくだろう。
なのに気分が晴れない……。
蟲精が飛び交う辛気臭い地下迷宮をさまよっているから?
こんな変な気持ちになるのか?
けっきょくこの地下迷宮の最下層には何がある?
この図書館と、廃墟となったドワーフ族の地下王国に、いったい何が隠されている?
そもそも《死神ヘグファルト》はドワーフ族の王国を堕落させて、何をするつもりだったのか?
それに俺を異世界に転生させてくれた神様は何処にいるんだ?
まだ出会えていない……。
あれこれ考えているうちに、俺は神々を崇拝する場所《画廊》に戻ってきた。
「なんだか浮かない顔ね……」
そう声をかけてきたのは、狼魔貴族の娘《《漆黒夜の魔女》ミュウルニクスだ。
それにメイドのマリアもいる……。
彼女達の瞳は驚きと喜び、そして不安と責務に彩られていた。
俺はとっさに身構えた。
だがミュウルニクスは魔物を召喚してこない。
めずらしい。
いつもならかまって欲しいから、魔物を召喚して襲ってくるはずなのに……。
ミュウルニクスが畏敬の念を讃える。
「お前には、この世界の《言葉》や《文字》をたくさん教えてきた。並の人間では太刀打ちできないほど豊富な知識も兼ね備えている。魔法だって《霜竜学院》の生徒会にも負けないくらい高度な知識を得た。そしてついに神々さえもあなたに注目してる。いずれ《守護神》を選び、その《加護》を授かる時が来るだろう……」
ありがとう。
褒めてもらってうれしい。
でもなんだか怖い……。
あのツンデレなミュウルニクスが俺のことをべた褒めだが……。