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俺はマリアに抱っこされながら橋を渡る。
そして建物に入ると懐かしい匂いがした。
前世で嗅いだことがある匂いだ。
そう。
思い出した。
これは……古びた紙のにおいだ。
幾千の書物がしなびて埃をかぶり、棚に陳列している。
棚は規則正しくならび、まるで迷宮のような重たい空気を醸しだしている。
これは前世でも見たことがある。
静寂のなかに数多の物語が眠っている場所。無数の本が読者と巡り合えるのを待っている場所……。
「ここはヴィオニック禁呪図書館……この島に古からある書庫で、古今東西の禁術書が眠っています」
マリアが教えてくれた。
というよりはたぶん独り言だろう。
たしかに連絡橋から海が見えた。ということはここは島か?
中に入ると、吹き抜けの大きな広間にたどり着いた。
そこには天井まで届きそうなほど高い本棚がいくつもあった。
こんなにも立派な図書館なのに、どこを探しても人がいない……。
完全に無人の廃墟だ。
司書もいないのか?
もっと疑問がある。
なぜ彼の屋敷の敷地内に、こんなにも立派で荘厳な図書館があるんだ?
彼はこの知識の宝庫を独占したいのか?
それとも農民が教養するのを恐れているのか?
確かに知識をつければ、彼の政策に不満をもち謀反を起こす者も出てくるだろう。
だから隣に屋敷を建てて、これを支配しているのか?
分からない。謎がふえるばかりだ。
だがどんな思惑があるにせよ、近くに図書館があるのは俺にとって都合が良い。
書物を漁れば、この世界の歴史を学べる。
もしも歴史書があるなら、魔法が存在するにせよ、科学がどの程度進んでいるか分かる。
科学は文明を助長する。文明が進歩すれば、生贄など野蛮な風習は消え、人命を優先する貴い価値観が生まれる。
それは重要なことだ。
女や子供が唐突に命を奪われるような世界なら、それはあまりにも辛いから。
そうだ。
この世界の物語を読めば、人々の道徳的価値観や倫理観を推し量れる。
いつの時代でも物語は人々の共感を得るものだ。
つまりこの世界の住人が書いた物語を読めば、彼らの嗜好や価値観を理解することができる。
そんなことを考えて、笑いそうになる。
前世で人間だった頃、俺は図書館で勉強などしたか?
本を読み漁って熱心に勉強したいと思ったか?
中学生の時も、高校生の時も、大学生の時も、本など読まなかった。
それは大人になっても同じで、本よりもスマホだった。
ネットで異世界転生系のウェブ小説ばかり読んでいた。無駄な知識を集めるのも好きだった。
あるいはPCでゲームをやるかだ。
それなのに、俺は第二の人生で熱心に勉強したいと思っている。
分かっているんだ……。
もう二度とあんな腐った人生は送りたくないから。
どうせなら誰かに頼られるような意義のある人生を送りたい。
だが悲しいかな。
俺はこの世界の文字を読むことができない。
誰か教えてくれる人がいればなぁ……。
マリアが教えてくれたら嬉しいんだけどなぁ……。
獣の俺に文字なんか教えてくれないだろう。
エドワードも無理かな。
獣に文字を教えるほど酔狂な人間なんていないよなぁ。
となれば……人間以外の誰かに頼るしかない。もし居ればの話だが……。
あれこれ考えてもしょうがないか。
そうしている内に螺旋階段を降りていった。
光はどんどん遠ざかる。下の階はもっと薄暗い。本の森を抜け、また階段を降りていく。
帰れるのかと心配するほど、長く果てしない階段だった。
目の前に重そうな鉄の扉が現れる。
マリアは俺を降ろすと、両手でそれをグイッと押し開けた。
その奥から紙以外にも何かの匂いが漂ってくる。
「さあ、着きました。ここがヴィオニック禁呪図書館の地下迷宮です。この中に入ってください。そして貴方の力を見せてください……」
マリアは俺を見定めている。
それで俺は鉄の扉の向こう側に目をやった。
暗いが真っ暗というわけじゃない。それは獣の瞳だからこそ夜目がきくのも理由だろう。
聖獣カーバンクルは猫のように闇を見通す瞳を持っている。
俺は扉の隙間から中に入った。
これまでと、さほど変わらない光景だ。
やや広い通路があって両脇に本棚が並んでいる。
なんだろう。
何かおかしい。
上の階にも本が並んでいて、下の階にも本が並んでいる。
図書館なんだから当たり前だ。
いや違う。
この違和感の正体に気づいた。
ここは鉄の扉で隔たれているんだ!
ただ本を読むだけなら、こんなものは邪魔でしかない。
「心配いりません。いざとなれば私が助太刀に入ります。ですがまずは貴方の素質の見極めるため、そしてなによりも貴方の成長のためにひとりで挑んでください」
そう。
ここはおそらく図書館の中であって本を読む場所じゃない。
本棚が半壊しているのも、書物が破り捨てられているのも。
床に刻まれた無数の爪痕、壁に染み込んだ謎の液体も。
魔物がはびこるダンジョン。レベルアップの鍛錬の場所だから。
ダンジョンの制圧には入り口に拠点を構えるのが正解だ。回復アイテムを補給できるようにすれば攻略が楽になる。もっと仲間がほしい。前衛と後衛に分かれて、それぞれが役割分担すれば、どんな強敵が現れても必ず突破できる。
カーバンクルは後衛だろう。照明魔法で周囲を照らすのが役割だ。
あとは回復師が最低でもひとりは欲しい。回復アイテムが尽きた時の保険になる。
前衛には防御値に全振りしたタンク役がひとりいれば安心だな。
「うふふ。ダンジョンを前にしても怯まないとはさすがですね。誇り高い領主様が唯一認めただけのことはありますわ。もしかしたら貴方はあの伝説の《守護聖獣》様の生まれ変わりかもしれませんね」
そういってマリアはうっとりと微笑んだ。
エドワードは俺の力を認めている?
あのときは言われるがままに照明魔法を放ってみたが……。
まさかそんなに凄いことだったとは。
もしかしてカーバンクルの中でも、あんなに明るく周囲を照らせるのは俺だけか?
それにマリアも俺のことを信じてくれているようだ。
ならば報いるためにもダンジョンに潜るしかないだろう。