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 蜘蛛の神アラクネア。

 特殊な力をもち、異次元の魂をこの世界に導くことができる。

 この絵画を見て、俺は故郷を懐かしむような追慕の情を抱いた。

 頭のなかに、光の糸がちらついている。


 その糸の先にあるのは古い故郷の記憶だ。

 エドワードの屋敷のことではない。もっと遥か昔の──これは前世の記憶だ。

 怠惰者として人生を無駄に浪費してきた男の記憶。

 掠れて消えてしまいそうだった前世の記憶が鮮明によみがえる。


 その最期の瞬間……俺は確かに……蜘蛛の神アラクネアと会ったような気がする……。


 そう。

 俺はアラクネアと会っている!

 ここではないどこかで、アラクネアと話している。

 それは漠然とした曖昧な記憶だが、確かに話した記憶がある……!

 なにか……俺は……なにか、神様と大切な約束をしたはずなのに……。

 思い出せない。

 頭のなかに靄がかかって、その記憶が薄れてしまう。



 背後からベチャリと音がした。



 思考の海に沈んでいた意識が覚醒する。

 音のする方を振り返った。


 見たことも無い大きな異形の影が通路を横切る。



「気をつけてください。あれは火吹き飛竜種ワイバーンの成り損ない《やもり竜(サラマンダー)》です……!」



 火吹き飛竜種(ワイバーン)の成り損ない?

 《やもり竜(サラマンダー)》?


 そうだ思い出した。

 あのとき見たのはコイツか……。

 俺がはじめてダンジョン探索で出会った魔物だ……。

 あのときは隠れることしかできなかったが。


 何故か、今は逃げようと思わなかった。勝てる自信があった。

 今度こそ、かならず倒してみせる。


 ほの暗い部屋。柱にはランタンが掛かっている。

 俺は咄嗟に壁にかかっていたランタンを剥ぎ取った。


 ガラスの囲いの中で、油で火を燃やしている簡単な照明器具だ。

 その光に照らされた奴は、まさしく巨大なヤモリのようだった。滑らかな皮膚は黒い粘液に塗れている。


 やもり竜(ソイツ)は黒い唾液を飛ばしてくる。ヘドロにも似た異臭を放っている。

 その異臭から分かるように、ある種の腐食性の雑菌が大量に繁殖しているに違いない。

 傷口に染み込めば、壊疽は免れない。さらに粘着性が高く、獲物の機動性を封じてから、喰らうのだろう。

 例え逃げられても、獲物はやがて腐れ病に陥って死に至る。そうすれば胃袋の中に納まりやすい。



「逃げてください。危険です!」



 マリアが悲鳴にも似た叫び声をあげる。



「はやく逃げて!」


「くぎゅ……!」



 知っている。

 やもりは光に対して負の走行性を持つ生き物だ。


 以前に俺では絶対に勝てない相手だった。

 でも今は違う。


 俺は短い間でカーバンクルとして随一の足を速さを身に着けた。

 秀でた運動神経と前世の記憶が揃う。歯車が綺麗に噛み合う感覚だ。


 長い間、暗闇の中にいた生物なら、当然光を嫌う。

 光に対する負の走行性というものだ。

 前世で引き篭もりだったころ、俺はそれをネットで見た気がする。

 弱点が見えてきた。



 視界の端、暗闇の中からヤツの棘だらけの尻尾が飛び出してきた。

 間一髪で避ける。咥えていたランタンが弾かれ、囲いが割れる。中の炎の熱がじかに皮膚に迫る。

 とても熱い。これを咥えるのは危険だが、考え方によっては役に立つ。


 空気が淀み、沈黙を強いる図書館の中で息を整えた。

 目の前にいる黒い怪物はワニのような大顎あぎとを噛みしめ、動きが止まる。

 その隙を狙って炎で目を炙ろうと試みる。

 だが棘付きの尻尾をさらに振り回して来たので、後退を余儀なくされた。


 ……奴の黒い皮膚が裂けて飛び出したような目と、俺は睨み合う。


 いま眼の前で対峙するのは火吹き飛竜種ワイバーンの成り損ないのやもり竜(サラマンダー)だ。


 外見を述べるなら、それは鮫のように鋭い歯を持つ巨大なヤモリといったところだ。

 人間を丸呑みにできるよど巨大な口から唸り声が漏れる。

 その皮膚には鱗が無く、黒い粘液で覆われている。それの放つ異臭は鼻が曲がりそうなほどだ。

 ぬらりと滑らかな背中には一列に続く突起物がある。それが棘だらけの尻尾にまで続いている。

 飛竜種ワイバーンの成り損ないとはいえ、その巨躯は王者ドラゴンの仲間と呼ぶにふさわしい威圧感がある。


 マリアが警告してくれた。

 こいつの顎は非常に力があり、板金の鎧さえ容易く噛みちぎるらしい。

 その大顎に気を取られていると、真横から尻尾の連撃を繰り出してくる。

 その棘で肉を引き裂き獲物を屠るという。

 暗殺者のように無音で伸びてくる尻尾はかなりの脅威だ。


 ゴムのように弾力のある皮膚は打撃系の武器を撥ね返すだろう。

 あの粘液のぬめりは斬撃さえいなすはずだ。

 またその皮膚の中には固い筋肉があり槍を通すのも難しい。



 王城には重厚な鎧を纏った盾騎士ディフェンダーという兵士がいるそうだ。

 こいつの皮膚は固く、まさに盾騎士ディフェンダーの鎧に匹敵するほどの強度だ。


 それでもマリアは剣を振るい、奴の尻尾を牽制して俺を守ってくれた。



「おそらく王都の騎士20人がいても、こいつに勝つのは難しいでしょうね。分かりますか……? こんな奴がたくさん徘徊しているのですから、このダンジョンがいかに危険か……?」



 確かにこいつは今まで出会ったどの魔物よりも遥かにタフで凶暴な相手に見える。

 見えるがそこに抜け穴がある。

 ヤモリは光に対して負の走行性をもつ生物。それもコイツに関しては例外なほど極端だ。


 俺はランタンを咥えているが、奴はこの炎を恐れているようだ。

 おそらく長い間、炎の熱に触れたことが無いのだろう。


 ゆえにヤツの攻撃は炎のない横からの攻撃に限定されている。


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