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静寂につつまれた書物の墓所。
二度と読者がおとずれない薄暗い図書館。
窓から洩れる光の中に、俺とミュウルニクスは立っていた。
かたわらには、巨大な鉄の輪が転がっている。
魔法がとけたので、もう動くことはない。
毎回このように変な魔物を召喚されてはかなわない。
もうほんとうにやめてほしい。
「私は魔族だ。生命を奪うのが仕事だもんね」
なんて言っているが、ほんとうは再会できて嬉しいんだろう。
だったら素直にそう言いなさい!
しかしこうやってミュウルニクスに会えたことは、俺にとってもありがたい。
……狼魔貴族の末裔、漆黒夜の魔女と謳われるミュウルニクスに、ちょっと知恵を借りたい。
《義勇軍》のリーダーと接触する方法だ。
俺はふと考えた。
彼と会って、それからどうするべきか。
まず農地改革はクロスカイン領復興の第一段階だ。
その後は街道の整備に着手する。
街道が舗装されてなければ、馬車が行き来できない。
それでは交易が先細る。
交易が発展しなければ、商業も工業も発展しない。
まずは肥料の開発と土壌改善。それに魔物を討伐して、街道の舗装と治安確保。
クロスカイン領の課題は多い。
最終的には領主であるエドワード・クロスカインを説得しなければ……。
そこでもミュウルニクスの力が必要になる。
俺だけでなく、彼女も一緒ならエドワードを説得しやすくなる。
なぜなら彼女は狼魔貴族だし、この領地の中で唯一エドワードと対等に話ができる人物だ。
「だめだ。それはできない」
なんで? どうして?
「私はこの図書館に縛られているので、ここから出ることはできない。だからエドワードも私のことを恐れていないのだ」
ミュウルニクスはその理由を淡々と話した。
それなら俺の翻訳係になってくれ。またはエドワードと対話するだけでもいい。
しかしミュウルニクスは首を横に振るばかり。
「おそらく彼は私の意見に耳を傾けないだろう。それどころか誰の意見にもね」
あの頑固者め。
俺がどんなに知識を持っていたとしても、とくに領地経営に関しては、エドワードは誰も意見も聞かないという……。
ならばどうする?
ミュウルニクスが直接領民へ指示すれば?
しかしまたしてもミュウルニクスは首を横に振った。
「それも無理ね。だって領民が魔族である私の話など聞くかしら……」
なんで?
このままだと農民は飢えと病で、さらに犠牲者が出るぞ。
それなのに何の対策もしないと?
それでいいのか?
「不毛になるか豊穣になるか、それこそ神の御意思。農民らはそう思っているわ」
良くも悪くも神頼みか。
今より農業は発展しないと諦めているんだ。
農地改革が成功するとは思っていないわけだ。
でもだからこそ、農業改革が成功すれば、彼らのなかに希望が生まれる。
でもエドワードは頑固だからなぁ。農地改革に協力するとはおもえない……。
商業と工業の発展には、まだまだ遠いなぁ。
ミュウルニクスはもう考える気もないようだ。
お手上げとばかりに、椅子に座り込んでしまった
誰ならエドワードを、あるいは農民たちを動かせる?
やはりレオンハルトしかいない?
かつてクラウス王に忠誠を誓った下級騎士レオンハルト。
そういえば農村の長老が言っていた。
彼は領民に慕われ、人望が厚いと……。
結局は彼の力が必要になるのか。
それにマリアが言っていたが、たしか彼は……。
父の死後、財産を国王に没収されてしまい、さらに免罪で死刑宣告されてしまった。しかし彼は逃亡して未だに行方知れず。今では義勇軍のリーダーになっているらしいが。
賊のリーダー。
賊というと血を好む連中ばかりに思われるが。
しかしだ。
彼は俺と一緒にダンジョンを探索して来た。
いや、正確には俺が転生する前の、このカーバンクルと……。
つまりこれは運命のめぐり合わせというべきだ
俺を転生させた《蜘蛛の神様》は運命をもてあそぶ邪神だと聞いた。
まさに、もてあそばれた運命の皮肉というやつだ。
でも果たして、どこに行けば彼に出会えるのだろうか?
「まあ、会うだけなら簡単だと思うわ」
今まで黙っていたミュウルニクスが唐突に話しかけてきた。
「わざと賊に捕まったら? そうすればレオンハルトに会えるかもしれない。でも下手すると殺されるかも……」
そういってクスクスと笑う。
たぶん冗談のつもりで言ったのだろう。
でもそれって案外良いアイデアじゃないか。
聖獣カーバンクルなら、たとえ捕まっても殺されず、密猟者に売り飛ばそうとするだろう。
売られる前にルトと接触すればよい。
しかし俺はこの屋敷から出られないし。
外には死骨狼の群れが徘徊している。
「おまえがダンジョンに潜って鍛錬すれば、いづれ死骨狼さえも楽に倒せるようになるだろう。そうすれば思う存分、外に出られる」
なんて悠長な……!
でもそれが一番の近道なのかも。
俺は観念して、トボトボと地下迷宮に向かう。
だがそのときミュウルニクスに止められた。
「もう少し待っていれば、強い助っ人がやってくるぞ。その者と一緒にダンジョン探索すれば良い」
「んきゅ?」
強い助っ人がもうすぐ現れるだって?
でもこの屋敷にはエドワードとマリアしかいないし……。
あ、そういえばマリアは剣術に優れているんだ。
彼女と一緒なら、ダンジョンの最深部まで潜れそうだ。