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結局のところエドワードを乗せた馬車は、屋敷に戻った。
マリアが追っ手を手配して、マクベインを捕まえる計画だ。
辺境伯爵とはいえ貴族だ。エドワードには力がある。
つまり商人を捕まえるなど容易いはず。
だからエドワードは待っている。マリアが吉報をもって帰ってくることを。
俺はやることがなく、屋敷の中を行ったり来たりしていた。
いろんなことが頭の中を駆け巡る。
例えば、さっき見た農地のこと。
火山灰が降り積もった赤黒い大地。
土壌改善のために、焼き畑農業をした形跡はあるが、その結果に疑問をもつ。
たしかに焼き畑農業は優れた方法である。
火山灰の土壌は酸性に近いので、植物を燃やした灰を混ぜれば、それが中和剤となり土壌が改善される。
病原菌や害虫をいっきに殲滅できるし、メリットは非常に高い。
この世界の農民にそこまで知識とはおもえない。
おそらくカアル王かエドワードか、農業の知識に精通した者が指導したのだろう。
とにかく焼き畑農業は間違いではない。
……間違いではないのだが、過度な焼き畑農業は危険すぎる。
土地を回復させる休閑期間をもたせながら、再度利用するのが適切だ。
計画なしに繰り返してしまえば、植物の回復速度が追いつかない。
だから土地が痩せほそっていたんだ。
このままだとまずいなぁ。
そういうことをしっかりと教える必要があるのだが。
でも俺は獣のカーバンクルだし、農民たちは誰も俺の言うことなんて聞かないだろう……。
俺には助っ人が要る。
それは《義勇軍》のリーダーであるレオンハルトがふさわしい。
農民たちに信頼されている彼なら、説得してもらえるはず。
だが俺は彼と敵対する貴族のペットだし、接触がむずかしい。
ならばどうするか?
もうひとり頼れる味方がいる。
そう。図書館の魔女ミュウルニクスだ。
彼女なら、きっとレオンハルトと会う方法を知っている!
さっそくヴィオニック禁呪図書館に向かおう。
だが玄関から外に出るのはまずい。
なぜって奴らがいるから。
あの死骨狼の群れだ。
さっそく馬車の不審な動きを感知して、湧いてきた……。
奴らはいつも屋敷の周りを徘徊している。
でもなぜか屋敷のなかには入ってこない。
屋敷の外に出た場合しか襲ってこない。
人間を襲うのが目的なら、屋敷のなかにも入ってくるはずなのに。
おそらく奴らの目的は人間を襲うことじゃない。俺たちの監視だ……。
エドワードか、マリアか、俺か、誰かを監視しているんだ。
あんなにたくさんのスケルトンを同時に操るなんて、かなり屍霊術に長けた人物がいるようだ。
でも人間であれほどの力をもつ屍霊術師はいないはずなんだが……。
では誰があの死骨狼の群れを操っているんだ?
まったくの謎だ。
しかたない。
そのことは後回しだ。
まずは図書館のミュウルニクスに会いに行こう!
俺は屋上の橋に向かった。
幸いなことに、俺がエドワードの前を横切っても何も言われなかった。
そのまま俺は急いで図書館に向かった。
やがてそよ風が俺の尻尾を撫でた。
眼下にひろがる廃墟の街。無人かと思ったがそうではない。
たしかに人が居る。
だがあまりにも問題を多い。
さて。
ヴィオニック禁書図書館に降り立つ。
時が止まったように音のしない空間。
やけに静かな図書館のなかは、異様な空気に包まれていた。
古めかしい紙のニオイに満ち、窓はカーテンが閉められ光がとどかない。
不思議なほど落ちついて、それでいて何か危険な香りのする場所だ。
光を見た。
本棚と本棚の間を蛍のように飛び交うホタルの群れを。
これは確か蟲精と呼ばれるものだ。純粋な魔素の塊。
そしてコレがいるということは、それを餌にして魔法を操る危険な奴がいるということだ。
俺の体毛が空気のかすかな振動を感じとる。
初めてそれが現れたとき、俺は唖然とした。
まるでトラックのタイヤみたいだと思った。
そうだ。
巨大な鉄の輪だ。
鋼鉄の無機質な体。銀色の鈍い光沢をはなつ。
巨大な鉄の輪がコロコロと転がって来る。
床と接触する部分には大量の棘がついていた。
そのリング状の魔物が、床を削りながら突進してきた。
俺は間一髪で避けたが、そいつは再び方向転換して襲い掛かって来る。
まずい。思ったよりも動きが早い!
このままでは轢き殺される……!
「《解呪》、《呪物》」
驚いた。
そして俺は、この展開に既視感をかんじていた。
リング状の魔物はバランスを崩して転倒した。そして二度と起き上がることはなかった。
《言葉》の魔法。
かつて神が精霊を使役したときにつかった言葉。魔法の起源だ。
人間は神の言葉を発音することが出来ないので、代わりにルーン文字を使って魔法を呼び出す。
しかしミュウルニクスは古代の獣人であり魔族でもある。
だから神の《言葉》を発音することができる。
ゆえに彼女は詠唱するだけで魔法をあやつれるのだ。
しかもこのように、高度なゴーレム魔法もつかいこなす。
物体に仮初めの魂を吹き込んで使役する魔法だ。
「ふふふ。惜しかったな。もう少しでお前を仕留められたのに……」
狼の耳と尻尾が生えている黒髪の少女。図書館の魔女ミュウルニクスだ。
「くぎゅう」
俺が恨めしそうに見てると、彼女が嬉しそうに笑った。
「私は魔族だぞ。生命を奪うのが仕事だ」
それを平然と言い放つ神経が信じられない。
ほんとうは一人で寂しいから、かまってほしいんだろうけど……。
だったら素直にそう言いなさい!
寂しいから私にかまってください、と……。