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「その前に領主様に会いに行きましょう」



 とマリアに言われ、俺たちは玄関ホールの階段を上がった。

 2階にあるいくつかの小部屋のひとつ。

 扉が開いていたので、隙間からスルッと入り込む。

 マリアは部屋の外で待っていた。



「んきゅ!」



 木製の壁はレンガで補強されている。壁が頑強なのは襲撃に備えてのことか。

 ソファと簡素な机が並んでいる。

 目の前には大きな机があり、書類や本が散乱している。


 その奥でリクライニングチェアにどっかりと座っているエドワードがいた。

 目つきが悪く、偏屈そうな顔をしている。さらに腕を組んで高圧的な態度である。

 昨日の白服ではなく、ゆったりとしたローブを羽織っている。



 島の海岸沿いを領地に持つエドワード・クロスカイン伯爵。

 おそらく島の防衛のために、この辺り一帯の地区を領地として与えられ、さまざまな権限を持っているのだろう。



「悪いが、今おまえと遊んでいる暇はない」



 と冷たくあしらわれた。

 だがマリアと同じように、彼にも例のアイテムを試してみよう。

 もし彼と意志疎通ができるなら、知りたいことがたくさんある。


 彼らの話す言葉は、不思議と頭の中で理解できる。

 それがカーバンクルの持つ特性なのか、この地に転生したときに神様から貰ったスキルなのかは分からない。

 いずれにせよ言葉が理解できるのはありがたいことだ。

 もしこの世界の言葉が分からなければ、俺は本当に獣のまま終わっていただろう……。


 だが今は文字が知りたい。

 まあ正直に言えば文字なんかより、この世界のことや俺を転生させた神様の事とか、他に知りたいことはたくさんあるのだが。

 しかしその答えは得るには、もっと信頼と時間が要る。

 今のままでは俺はただのカーバンクルにすぎない。どうしたってペット扱いで終わってしまう。


 まあ当然である。

 わざわざ世界の理をペットの犬に説明する奴なんていない。

 つまりそういうことだ。


 まだ時期ではない。

 そういうことはもっと俺が特別な獣だと認識されてからだ。

 今はまだ小さな獣の仔だが、もっと大きくなれば……。

 図書館の地下迷宮ダンジョンをもっと深くまで制覇して、もっとたくさんの魔法を身につけるようになれば……。

 主人の命令を忠実に遂行して知性があると思われるようになれば……。


 だから最初は簡単な文字から覚えていこう。

 それにもしかしたら、事態が好転して、俺の株が上がるかもしれない。



 《こんにちわ(エヴァンス)》。



 そこで例の紙を床に広げ、コインを乗せる。

 前足でコインを動かし、紙の上を這わせる。コインの下の文字を追って行けば、それが《こんにちわ(エヴァンス)》になる。


 最初は興味なさそうにそっぽを向いていた。

 どうか気づいてくれよ。


 俺があまりにもしつこく鳴き騒ぐので、ふと視線をこちらに向けた。

 エドワードはすくっと立ち上がり、羊皮紙の前にかがみこむ。

 じっくりと眺めている。俺がコインを使って《こんにちわ(エヴァンス)》をなぞっていることに気づいたようだ。


 最初の一歩を踏み出すために、気づいてくれ。

 俺はただの獣じゃない。前世の記憶がある。だから人間と同じように感情があり考えることもできる。



「《こんにちわ(エヴァンス)》か。おもしろい芸だな。そんなことが出来るとは思わなかった。ならば私がもっと文字を教えてやる……」



 気付いてもらえたか。

 だがエドワードの目を見ると、まだ半信半疑のようだ。

 その彼が俺からコインを取って文字の上を這わせる。



「これが《はい(デュウス)》でこっちが《いいえ(エメール)》だ。おぼえたか? これから私が質問をするから、うまく答えてみろ。私を楽しませたら、褒美にパンくずを一つくれてやるぞ……」



 うん。

 パンくずなどいらない。

 おそらくエドワードは冗談のつもりで教えたのだろう。

 だが俺はそんな軽いジョークも見逃さなかった。

 《はい(デュウス)》と《いいえ(エメール)》を完璧に覚えた。

 エドワードがもっともらしく咳払いする。そして顎をさすりながら訊いてきた。



「お前はへっぽこカーバンクルである。どうだ?」



 とんでもない質問だな。

 それからエドワードは、悪ノリが過ぎたと反省してフフッと笑った。



「……というのは冗談だ。獣のお前にそんなこと分かるわけないよな。私がどうかしていた……」



 といって彼は俺に背を向けようとした。

 でも俺はすばやくコインを動かした。

 さきほどエドワードから教わった単語だ。それを間違えずにつくる。


 《いいえ(エメール)》。


 『お前はへっぽこか?』と聞かれたので、その答えを示した。

 冗談を言って笑っていたエドワードだが、一瞬だけ表情を強張らせ真顔になる。

 すぐに表情が和らいで、詰め寄ってきた。



「ほう。まさかこんなすぐに文字をおぼえるとは思わなかった。だが答えが間違っているぞ。お前は獣なんだから人間より頭がいいわけない。つまりへっぽこだから答えは《はい》だろ? でもまあいい。まぐれだと思うが、もう一度だけ質問してやる……お前は文字を理解できる特別なカーバンクルか?」



 なんとなくエドワードの態度が揺らいでいるのが分かる。

 面白くなってきたので、つぎもしっかり答えよう。

 同じように、さきほど一瞬しか教わってなかった単語を正確につくる。



 《はい(デュウス)》。



 エドワードの顔が曇る。いや違う。驚きのあまり眉間に皺が寄っている。

 何かを思い始めているようだ。

 うまくいったか?

 俺に知性があるということを理解してもらえたか?


 それからエドワードは何度か俺に質問してきた。

 そのたびに俺は《はい(デュウス)》と《いいえ(エメール)》を使ってそつなく答えた。



「……も、もしかしてマリアに教わったのか?」


 《いいえ(エメール)》。



 エドワードはぽかんとしている。

 それでしばらく考えこんでいた。やがて汗をかきながら震え始めた。

 エドワードが口をパクパクさせている。そして驚きの声をあげた。



「……こ、こここ、こいつ……マジで天才かも……!」


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