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STEP2-1 ~地獄→天国→地獄→天国→地獄→天国(→医務室)~

「よし、とりあえずはこれでいい。あとは、追々指示する」

「はああ……やっとおわったー……」


 五階・オフィスフロアの一室で。

 奴がとんとんと書類をそろえる音を聞きつつ、俺は事務机に突っ伏した。


 ぶっちゃけあれからは地獄だった。

 上司になったばかりの男(とついでに引越し業者さんたち)に、探し物直後のぶっちらかしを見られ。

 探し物の後なんでと言い訳したら『持ち物管理が甘いのがバレバレだ』とぶった斬られ。

 提出書類を書き始めたら始めたでもっと綺麗な字で書け、ぼーっとするな手が止まってる、部屋のカギはいつも身につけろベランダから入ったりしたらとっ捕まえるぞ、などなどなど。


「あんた、じつはドSだろ……」

「『実は』だと? 隠したおぼえなどないぞ」


 顔を上げればいい笑顔。

 こいつ、にゃんこに蹴られろ。そう言いかけたそのとき、聞き覚えあるチャイムが鳴った。


「なんとか昼に間に合ったな。

 せっかくだから社食で食うか? うちはうまいぞ、それに安いし」

 奴はいいざま俺に視線を投げる――そ、その微笑みは!

「おごりですね?!」

「無論!」

「いやったああ!! ごっつぁんですっ!!」


 もちろん俺はコンマ一秒で跳ね起きて深々と最敬礼した。

 はあああ、前言撤回。いいひとだ。このひとやっぱいいひとだー!!

 ドアを開けつつ社長は微苦笑する。あきれを含んだ問いかけとともに。

 だがいまや、それも優しく、頼もしく見える。


「自分で仕掛けておいてなんだが、本当によくそれで、ここまで無事に生きてこれたな」

「友達には恵まれましたから!

 ガキンチョのころは、となりのうちのガキ大将がいっつも親切にしてくれたし……

 こっちきてからはナナっちが、なにかとフォローしてくれましたから!」

「そうか。……そうか」


 広く明るく、清潔な廊下を先導してくださりつつ、社長はおっしゃる。


「そうだ。せっかくだから社食でお前を紹介してしまおう。

 世界トップクラスの技術力を誇る製薬会社にして、完全ゼロベースによる運営を達成した、他に類を見ぬエコ優良企業ユキシロ製薬――

 そのファーム部門の長に突如抜擢された若き天才新任部長の顔を、皆一刻も早く見たがっていたからな」

「げっ」


 俺のほわほわ気分は一分もたずに霧散した。



「どうした、何か間違っているか?」

「いや……その。

 まずね。

 俺は農家の次男坊だけど、それでも農業しろうとです。それもドのつくしろうと。

 それがいきなり新任で天才でぶちょーなんて肩書きできたりして!!

 それも頭脳平均容姿平凡貧乏カネなしのもとフリーターとか!!

 総スカンだわ!! 口利いてもらえないわ!! 追ん出されるわ!!

 たのむからやめて! バイトからにして! それで最低限慣れ」

「あ、おーいしゃちょー!」


 廊下にはまだちらほらだが人が出ていた。彼らに聞かれたらしまいだ。

 必死に声をおさえての訴えは、元気いっぱいのメゾソプラノにぶっ飛ばされた。

 音源は廊下の向こうはじ。にこにこ笑いながらぶんぶん手を振っている。


 先端だけにウェーブのかかった栗色のセミロング。ノースリーブにスタンドカラーが特徴的な、動きやすそうなえんじの制服。足元は白いスニーカーのアクティブキュートなお姉さんだ。

 思わず手を振り返しかけてしまい俺は、あわてて頭を下げたが、それを上げると彼女はもうここにいた。


「はやっ?!」

「しゃちょーいまお昼? 一緒に行こっ! そっちの子も一緒に!

 ねえきみ新入社員? よろしくね!」

「え、えと、は、はあ……」


 あっというまもなく、目の前には明るい笑顔。

 若葉にも似たエメラルドの瞳が、きらきらと笑みを含んで俺の顔をのぞきこんでくる。

 差し出された白い、やわらかな手をおずおず握り返すと、ぎゅっと握ってぶんぶん振られた。ちょっぴり、いやけっこう痛い。けどこれはうん、かなりうれしい。

 ってかこの人、近くで見るとけっこう大きい(いろいろな意味で)!

 俺はどぎまぎしてしまい――そのとき脳天に一撃。確かめるまでもない、後ろに立ってるドSが下手人だ。


「こんなときぐらい敬語を使え。社会人だろう」

「ってあんた、朝といってること違うし!! つかチョップ俺だけ?! 理不尽だ!!」

「あははは! 気にしないで、しゃちょーは昔っからこーだから!

 あたしはシャサ、シャサ・スズモリ。呼びにくければシィでもいいよ。

 あたしも敬語とかいらないから。仲良くしようね!」

「いいんですか? それじゃ……えっと。

 よろしく、シャサさん」

「チッチッ。さんはいらないよ」

「え」


 ちょっとまて。初対面の女性が名前で呼べと。それもウインクしながら呼び捨てでと。

 これはまさか。まさかまさか。

 モデルルームみたいな新居に、理想のシゴト。それだけでももう、夢のようなのに。

 こんなきれいで積極的なお姉さんが俺をニコニコ口説いてくださるとか!!

 嗚呼、苦節約二十年、ついに我が人生にも光差す春が……


 そこで、気づいた。そうか、やっぱりこれは、夢だ。

 目覚ましが鳴ったら砕け去る、いつもの無常で浅はかな。

 だったら。


「シャサ――」


 俺、此花咲也の人生史上はじめて使う類の勇気をもって、そっと彼女の手をとろうとすると、ジャストタイミングで邪魔が入った。

 それも、最悪の。


「でっ、きみは? もしかしてもしかして?」

「ああ。新任部長の此花咲也だ」

「   」


 一瞬心臓が止まった気がした。

 悪いことに奴ときたらまるで悪気のない顔してる。

 変な手つきのまま口をぱくぱくさせる俺を、シャサさんがきょとんと見ている。

 ついでに他の社員たちもいつの間にか皆こちらを見ている。

 その全員に向けてヤツめはさらに、よく通る声でのたまった。


「とはいえまだ、仕事に慣れていないのでな。

 2、3日はバイト待遇として、よろしく頼む」


 そういう意味じゃねえ。そういう意味じゃねえ。

 心からのバカヤローは声にならなかった。

 だめだ。終わった。

 俺の理想のおしごとライフは始める前から葬り去られた。

 ひざから肩から力が抜けて、次の瞬間俺は――


「いやっはあああ!!

 よくぞきたー!! よくぞきたねえ!! おねーさんうれしーよー!!

 待ってたよ! ずっと待ってたんだからね? これからはずーっと一緒だぞ!!

 うれしいなあうれしいよーわーいわーいわーい!!」

「むぎゅううう?!」


 痛いやらやわらかいやらいいにおいやらにいっぺんにもみくちゃにされていた。

 どうなってるの。ねえこれいったいどうなってるの?!

 なんとか首を回して社長を見るが、奴は額を押さえてため息している。


「よーし、よーしよーし。きょーのお昼はシャサさんのおごりだー!

 みんなー!! さっくんきたよー!! こよいは宴だー!! もりあがろうぜー!!」


 シャサさんの大きな声が頭上から響くと、周りの人が駆け寄ってくる。

 さらにはあちこちのドアがバタバタとひらき、そこからもわらわらと人人人。


「ええええ!」

「マジですかシィさん?」

「おおおマジだ! マジにさっくんだ!!」

「わああ!」

「さわらせてーもふらせてー」

「さっくんおれのことおぼえてるー?」


 あっという間に俺の周りは人だかり。しかも、みんな旧友でも見たような笑顔。

 呆然としていると、ぱんぱんと手を打つ音が響いた。

 いつの間にか通常モードにもどった社長だった。


「こらシャサ、皆。

 此花咲也とは初対面だろう。最低限でも知り合いレベルの節度を持って接しろ。

 さあ、続きは歓送迎会でだ。質問は各自まとめておけよ」

「そうでした……」

「ごめんなさーい」

「またあとでね、此花ちゃん」


 素直にごめんねと謝りながら、でもなんだかほっとした様子で散っていく人たち。

 その中心で俺はひたすら呆然としていた。


「おれ、記憶ぶっ飛ばした間に、何してたん……?」

「ああ、思い出さなくていいぞ。

 むしろ思い出しかけたら言え。全力で殴って阻止するから。」

「おい。」


 こぼれた呟きに答えたのは、いい笑顔の社長だ。

 思い出せといったり思い出すなと言ったり……まったくこの男、わけがわからない。

 いや、わけのわからないのはこの状況もだ。いい加減頭がくらくらしてきた。


「そらシャサ、お前もそろそろ離してやれ。

 この底抜けアタマの天才に、また記憶を飛ばされてはかなわんからな」

「あ」


 そのときようやく、理解した。

 俺はさっきからずーっと、シャサさんに抱きしめられて……


 気がつくと、医務室で座らされていた。

 脱脂綿を鼻に詰めた状態で。

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