STEP1-3 ~涙の再会を果たした親友によれば俺は一週間ぐらいの記憶を失っているようです~
そこからはちょっとした格闘だった。
年金手帳や通帳、印鑑なんかを部屋からかき集めねばらなかったからだ。
いったん社長には帰ってもらって、明日改めてにしようかな、という考えもよぎったが、一晩たってやっぱりなんてことになったら笑えない。
そんなわけで小一時間。
ぶっ散らかしてしてしまったものどもは帰ってから片付けるとして、俺はお玉さんの部屋で社長と合流、会社にむけて出発することになった。
その頃には、話を聞きつけたご近所さんたちも集まっていた。
少々にぎやかなことになった玄関前で、お玉さんが目元を押さえる。
「それじゃ、しっかりやるんだよサク坊。
あんたは優しすぎる子だから心配だったんだよ。
いいひとに見初めてもらって、ほんとうによかった」
「ちょ、見初めたって……俺は就職するんだからね? 嫁に行くんじゃないからねっ?」
「お前は国語から勉強しなおす必要があるな。」
「っていいつつ照れてんじゃねーよあんたも!」
今度は俺とミーコが突っ込みを入れた。ご近所さんたちが笑った。
「またいつでもおいで。まってるよ」
お玉さんが渡してくれたおせんべつ袋を手に、俺は我が家『鈴森荘』をあとにした。
* * * * *
「……ってちょっと待て! 俺、なんかめっちゃ送り出されてるし!」
だが五分ほど歩いたあたりで、俺はまずいことに気がついた。
なんか流れでああなってしまったけど、俺は今日またあそこに戻るのだ。
手続きとか、オリエンテーションとか、ことによったら歓迎会なんかが終わったあとに。
ご近所さんたちはうまいことごまかすとして……うああ、お玉さんになんていおう!
「ああ、そういえば話していなかったな。
すでに『まるまる運輸』の単身まるまるパックを手配してある。夕刻には、お前の私物はすべてあの部屋に届いてい」
「え――!!
ちょっと! うら若き男の部屋になんてことすんのあんた!!
人に見せたくないものくらいその、いろいろ、あるのわかるでしょっ!!」
今度こそ俺は本気で叫んだ。同時に180度ターン。来た道をそのまま駆け出した。
けれど、社長はついてくる。
「なに?」
「手伝おう」
「あんたひとの話きいてた?」
「あれっ?!
サクやん? サクやん……だよね?!」
走りつつ、食い気味のやり取りにふいに、別の声が混じった。
成人男子としてはちょっと高めの、聞き覚えあるそれに急ブレーキ。もう一度180度ターンをすると、いつもの優しい顔にでくわした。
元同級生にしてバイト仲間、そして一番の親友のナナっちだ。
サラサラとした、ブラウンのショートヘア。ちょっとだけ小柄。『可愛い』と言ってもまったく差し支えない、アイドルなみに整った容姿。
ジーンズに黒のスニーカー、白のTシャツにボタンダウンの半そでを重ねた安定の着こなしもいつもどおり。
ただし大きな、澄んだブラウンの瞳は、泣き出しそうに潤んでいて。
「ちょ、ナナっち?! なに、どうし……」
次の瞬間俺は、駆け寄ってきたナナっちに真正面からハグされていた。
「もー心配したよー!! よかったー!! サクやん生きててほんとよかったー!!」
「むぎゅうう?!」
「あっ……ご、ごめん。大丈夫? どこも痛くない?」
あわてて腕を解くナナっち。ちょうどいい、今なら聞ける。
俺はさっきからまるで、戦場帰りででもあるかのごとく感激&歓迎されまくってる。その理由やいかに、と。
「や、平気だけど……ごめん、俺なんで、そんなみんなによかったよかった言われてるん?」
「えっ」
ナナっちはまじまじと俺を見て、おそるおそる問いかえしてきた。
「あのさ、今朝のニュースでやってたよ?
サクやんののった高速バスがハイジャックされかけて、サクやんは転んで頭打ったって。
それで一時意識不明の重態だったって……」
「え、えーと俺、たしか昨日って、お前と飲みいった……よな?
それで、ちょっと飲みすぎて帰って、お玉さんに叱られて……そのまんま、寝て……」
「なにいってんだよサクやん。それ一週間くらい前だよ?
大丈夫? やっぱさ、ちゃんと入院とか……したほうがいいんじゃない?」
俺を見上げて心配そうに、心から心配そうにナナっちが言う。
心優しき親友のこんな顔を見てしまって、大丈夫じゃないなんていえようか!
俺は知る限りの情報を駆使しつつ、ナナっちの頭をよしよしとなでた。
「だーいじょぶだって。俺どっこも痛くないし、今はそもそも医者公認で外出てんだしさ。
その、バスジャック? のことも、そのうち思い出すから心配ないって。
それよかナナっち、どっかいくん? 今ってまだシフトじゃなかったっけ?」
そうしてやつの顔つきがほっと緩んでくれたところで、話を切り替えた。
そう、ナナっちはちょっとでかめの、黒のスポーツバックを持っている。旅行だろうか。
するとナナっちの表情は、前よりも曇り、声すら抑えたものとなってしまう。
「実は、兄貴が『別のとこ』行っちゃった、らしくてさ。一度、顔出せって。……
でもだいじょーぶ!! もうこの機会だし、バシッと言って縁切って来るわ!」
ナナっちの家『七瀬』は、この辺では有名な『ファミリー』だ。
『七つの白波』の紋章を見れば、パトカーまでもが道を開ける。
その昔は由緒ある騎士の家柄だったというけれど、今ではひたすら恐れられ……
ナナっちも、ずっと周りから避けられ続けてた、と聞いている。
こんな優しい奴が、いまは友達沢山でバイト先のみんなにも可愛がられてるこいつが、避けられてた――なんて、俺にはいまだ、信じがたいのだけれど。
ともあれ自分から笑って顔をあげたところで、ナナっちは気づいたようだ。俺の後ろで、大人しくしていた奴の存在に。
頭かきかき、明るく人当たりのいい笑顔でぴょこんと頭を下げる。
「あ、あーすみません、急にサクやん強奪しちゃって!
俺はただのトモダチですんで! ただの高校時代からの腐れ縁ですので!! どうぞあとはおふたり」
「ね・え・よ!!
これ勤務先の社長!! なんとかって名前の!!」
嗚呼、ナナっちよおまえもか。もちろん即座に否定した。
しかし、そのとたんナナっちは目を輝かせる。
「ええええ!! サクやん仕事きまったの?! うわーおめでとー!!
ありがとうございます社長さん、こいつこれでもすっごくマジメな……
って、よく見りゃメイ社長――!! うそ、ホンモノ?! サインください!!」
「名刺でよければ」
一瞬、何が起きたのかわからなかった。
しばし考え、あ、と気づいた。俺は今、さらっと就職決定報告してたのだと。
同時に目頭が熱くなった。ああ、ナナっち。お前はやっぱりいいやつだ。
こんななしくずしの――しかもバイト紹介してくれたやつより先に決定とか、まるで抜け駆けみたいな――報告。そんなのをすら、ひとつのためらいもなく喜んでくれるなんて!
けど、それとこれとはまた別だ。
『メイ社長』はナナっちに、笑顔と名刺をご進呈。俺にはこっそり睨みを投げてくる。もちろんそんなのにひるむ俺じゃない。渡されていくソレはしっかり見てやった。
白地に黒で、Sakuya I. May。ユキシロ製薬CEO。
そうか、やつはやっぱり、ハーフなんだ(イワなんとかってのはミドルネームね)。だったらこのイケメン振りもうなずける。
うんうんと納得していると奴は、やおら俺の肩を抱き、まるで気楽な友人に対するかのようにナナっちに微笑みかけた。
「部下でもないんだし、気なんか使わないでくれ。俺はこいつと同い年だし。
俺も君の名を聞いていいかな?」
瞬間、ナナっちの顔が、しまったというようにこわばった。
俺はとっさに言葉を奪い、ナナっちの背を押した。
「はーい、三島のナナっちでーす! 高一からバイトまで一緒のマブダチでーす!」
「……サクやん」
「ほれほれナナっち、急ぐんだろ? パパーッといって帰ってこいって。
そしたらまた飲もうぜ、こいつもいっしょにさ!」
「ありがとサクやん!
サクやんも仕事がんばれよー! メイ社長、じゃなくってメイちゃんもー!!」
ナナっちはいつものひとなつっこい笑顔に戻り、大きく手を振りながら走っていった。
ナナっちの姿が見えなくなると、イワノフ社長(仮)はぼそっと言った。
「…… ずいぶん親しそうだな」
「高一からの親友の、三島奈々緒。
三島は母方の姓なんだけど、いまはそっちで生活してるから……」
「了解した」
やつは突っ込まず、すんなりと収めてくれた。
あれ、こいつって、ほんとはいいやつかも……?
思わずうれしくなりながら、俺は改めてやつに頼んだ。
「あのさ。シゴトやっぱ忙しいだろうし、先に会社戻っててくれないかな。
俺は全速力で部屋片付けて、すぐ」
「その必要はなさそうだ」
「へ?」
社長が無言で示す先を見ると、鈴森荘の方向に向け、ゆっくりと走ってゆくトラック。
その側面には『まるまる運輸』と書かれて……
「ま、まてえええええええ!!」
俺は今度こそ、全速力で走り出した。