STEP8-3 真夜中の脱走劇・1
スリッパを脱ぎ捨て走れば、すぐに隔離医療エリアの出口が見えた。もちろん強行突破だ。
ナースステーション前を体を低くして走り抜け、人体の限界を超えさせる気をまとい、肩からドアに体当たり!
すると、ドン。鈍い音とともに床に転がった……俺が。
うそだろ、ドラマなんかでもこういうときは開くのに! いや、ちょっとまってマジに痛い。
「こっ此花さん!! なにやってるんですかっ?!」
思わぬダメージにうめいていると、看護士姿の青年があわてて駆けつけてきてくれた。
そのとき俺は、ひらめいた。
「あの、手を、貸してもらえないですか?」
「はい、もちろんです!」
彼は何も疑うことなく、ニコニコ笑って手を差し伸べてくれる。
正直良心は痛んだが、ありがたく両手で握って立ち上がる。
「そのまま五秒間だけ、目をつぶってもらえますか?」
「此花さん、……はいっ!!!」
なんか、若干反応が妙な気がしたが置いておく。
俺は握ったままの彼の手を、そっと優しく引き寄せて……ぺたり。
そのままドアのそばにある、認証ボードに押し付けた。
独特の音を立ててドアが開く。
「どうもありがとうございました!!」
「え? え? え――!! 此花さん、そんなあ!! 待ってください、ごむたいなあああ!!」
時代がかった嘆きの声に、心で詫びつつ走り出す。
やがて、警報がけたたましく鳴り始めた。
あのカギ忘れ事件を思い出すが、今はびびっちゃいられない。俺は足を止めることなく、階段室に突入した。
ここは三階のはず。役員専用居住フロアのある七階まで駆け上るのは少々骨だが、エレベーターなんか使ったら速攻閉じ込められてアウトだ。
しかして四階入り口を過ぎたとき、ナナっちが追いついてきた。
「ねえ、なにやってんのサクやん! どこいくんだよ!!
ほとんど大丈夫ったって完璧じゃないんだよ!!」
「逃げるんだよ!
お前もいくぞ。こんなとこいたらあいつにどんな拷問されるかわかんねえぞ!!」
「え?! いやいやそんなことないから!! だって俺もうスノーさんの力で」
踊り場ですこし足を緩めれば、ナナっちが腕を抱えてとめようとする。
そこで俺はナナっちの襟首をつかんで引き寄せ……
「あ――もうっ! お前まであいつの味方するのかよっ! ……後でかくまって頼む」
額を寄せて怒鳴りつけると、ちょうど追いついてきたロク兄さんにおっつける――直前にこそっとささやいた。
あのアズールと同じテクを使うのはしゃくだが、場合が場合だ。
「……もういいよいっちまえ!!」
「サクやーん!!」
瞳でうなずきを返してきたナナっちは、ロク兄さんの腕の中に納まると一転、情けない声をあげてよりかかる。演技とは思えないほど、みごとなヘタレっぷりである。
ロク兄さんはそんなナナっちを放り出したりはできない。
そして医療エリア発の追っ手は、そんなふたりがじゃまになって追ってこられない。
そもそも、まずはナナっちを回収しなけりゃならないのだ。それが、本来の仕事だから。
無二の親友の協力に感謝しつつ、俺は足を速めた。
これで、時間が稼げた。避難先もできた。さあ、全力で七階に駆け上がれ。
だがピンチはさらに加速した――なんと、こんな館内放送が響き渡ったのだ。
『コンディションイエロー! 隔離医療エリアより脱走者! 現在本社ビル南階段室、五階付近を上に向かっています! 医療担当者ならびに警備員は……』
ええええ。なんかの基地ですかここはっ!
ともあれ、このままでは七階に着く前に、上下から挟み撃ちだろう。即時階段室を飛び出す。
分厚いドアを開ければ、目の前にいたのは見覚えのある、ありすぎる白衣の女性。
「ゆきさん……?!」
「此花クン。
もしかして脱走者って、キミのこと?」
「……ごめんなさいっ!」
いつもいつも、なんだってこんなにタイミングよく、このひとは現れるのだろう。
不思議ではあったが、階段室と廊下の向こうからはもう足音が。俺はゆきさんを精一杯丁重に抱えるようにして、手近の部屋に逃げ込んだ。
* * * * *
「あらあら、どうしたの此花クン?
今日こそ本気で、ワイルドな色仕掛けをしてくれてるのかしら?」
「……はいっ!」
そこは、あかりの落ちた会議室。しっかりとカギを閉めたそこで、ゆきさんはあやしく微笑みかけてきた。
俺にはスノーがいる。だがこの、階段も廊下も封じられた窮地から脱出するには、ゆきさんの協力が要る。そのために必要なら、色仕掛けだって何だって頑張ってやる。
具体的な方法は、わからない、けど……やはりまずはまっすぐ気持ちだ!!
両目に願いをこめて見つめていると、ゆきさんのほうから俺によりそってきた。
細い、しなやかな指が、やさしく俺のほほを滑る。
「ふふ。とてもいい目になったわね、此花クン。
愛するもののために戦う男の目……とってもステキよ。
それじゃ、いま、できる限りをしてあげる」
ゆきさんはひらりと身を離すや、大きく窓を開け放ち、ドアの前に戻る。
「さて、ここでサービス問題です。
ドアは閉ざされた。その前にはわたしがいる。使えるのは窓だけ。……さあ、どうする?」
「……ありがとうございます!!」
俺は全力でゆきさんに頭を下げた。
ゆきさんは俺に、起死回生のチャンスとヒントをくれたのだ。
俺は、俺の本属性である生命力賦活の力を利用して、人体の限界を超える挙動をすることができる。
もちろん限界はあるが、それがどの程度のものなのか、ここまででそこそこ感じ取ることができるようになっていた。
そう。今の俺ならここのベランダを余裕で伝い、俺の部屋へと進入できる!
廊下だの階段だのにこだわる必要は、俺にはすでになかったのだ!
ベランダに出た俺は五階の手すりの上に立ち、六階の床部分に両手をかけた。
手すりを蹴って、ぐっと懸垂した勢いで片手をベランダの柵に伸ばし、しっかりとつかむ。
よしよし、いけるぞ。あとはこのまま、のぼり棒のように柵をのぼって。
若干まだ信じられないが、俺は何とか包囲を突破、六階へとたどり着いたのだった。
何度も通ったのでわかっている。六階は社長室のあるフロアだ。つまり社長とエンカウントする率が低くないはず。可及的速やかに通過して、七階にたどり着きたいところだ。
俺はさっきと同じように手すりに立って……
「そこにどなたかいらっしゃいますの?」
ジャストタイミング過ぎる声に足を踏み外した。
両の手だけでぶら下がりながら、状況をうかがう。
声は上から聞こえてきている。七階は役員専用居住フロア。
聞こえてきたのは、おっとりとした少女の声。ということはまさか……
俺は進退窮まった。この上はルナさんの部屋なのかっ!!
かわいらしいパジャマ姿の美少女の部屋に忍び込むとか……無理。そいつはむり。
ここはこのまま床伝いに、俺の部屋のベランダまで移動しようそれがいい。
そのためにもここはなんとか、ルナさんをごまかさねば!
「え、えーと……にゃー。ねこさんです」
うん、自分でも情けない。情けないけどこれしか思い浮かばないそんな余裕ない!!
だって俺は、七階ベランダの床部分に、ほぼ両手の指の力だけでぶら下がっているのだ。
しかも絶賛追われる身。
「まあ、ねこさんこんばんわ。こんなところまでどうやって?
よろしければ、お上がりになってミルクでも召し上がりませんこと?」
「ありがとうございます。でもねこさんはいそいでいるのです。おさそいはまたいつか」
「あらまあ、そうですの。それではお気をつけて。ごめんあそばせ」
俺はどっと息をついた。ああ、ルナさんが天然でよかった。
もっともこの愛すべき天然少女とも、今日で永遠にお別れなのだ。
それを思うとさびしい気もしたが、今は逃げなければ。
社長のやつも、まさかルナさんには、酷い待遇はしないだろう。うん、きっとそのはずだ。
自分を納得させながら、俺はベランダの床を伝う。
そうして、見覚えのあるあたりで一気に身体を引き上げた。
ガラスとレースのカーテンの向こうには、ああ、なつかしの俺の部屋。
すこしほっとしたが万一もある。まずは慎重にあたりをつけた。
窓のカギは閉まっている。ガラスを破るしかないだろう。
スマホはベッドのわき、サイドテーブルのうえにあった。いつもどおりの位置だ。愛用の黒の3WAYバッグもいつもどおり壁にぶら下がっている。ならばサイフはあの中だろう。
靴は玄関にあるはずだ。あとは、クローゼットからズボンとジャケットを拝借(といっても俺のだが)すれば当座は何とかなる。
よし。それでは大きく息を吸って、よーい――待てよ?!
『もし洪水がきたら窓をロックしろ、そうすれば水没しても平気だ』
なんていわれるようなとんでもねー強度のガラスを、体当たりなんかで破れてたまるか!
直前でブレーキをかけた。助かった。
だが、俺の所持品はただひとつ。首にかかった小瓶だけ。スノーフレークスの綿毛の入った。
いや、これを成長させるのは論外だ。もうあんな真似はしたくない。
どうするか。とっこむしかないのか。俺の力は……




