STEP7-5 『つぎのわたしを、よろしくね』
再び、少女の声が語り始める。先までより、すこし速度を上げて。
『いきること。育ち開花し綿毛を飛ばすのはわたしの本分』
『でもねサキさん。あなたのためならそれをすててもいい』
『それがわたしのつぐない。それがわたしのねがい』
『きっと生まれ変わって、今度こそあなたをしあわせにします』
『それでは、ダメ?』
いいなんていえるわけがない。そうしたらどんなことになるか。
彼女の写し身は、巨大な大樹となったスノーフレークスは、俺に無敵の力を与えてくれるだろう。なぜなら僕は元々スノーフレークスとともにある存在なのだから。でもそうしたらスノーフレークスはまた伐られ焼かれモンスタープラントと呼ばれてしまう。
たくさんの文献に記されていたように。彼女が俺に語ったように。
『ならばこう言うわ。わたしも戦わせてください。あなたとともに』
しかしその声とともに、小瓶が粉々に砕け散る。
俺の掌に綿毛がかるくキスをして、優しく地面に降り立つ――瞬間、爆発が起きた。
それはあまりにも急激な発芽、そして成長。
一秒にも足りぬ間に、七階建てのショッピングモールは巨大な木陰に覆い尽くされた。
ほんとうの月のひかり。星のまたたき。さやさやとそよぐほんものの風。
そして、ホンモノの土でできたホンモノの大地。
『星降りの丘』のうえ、すべての力を一身に集め、大樹は凛々と立っていた。
「しゃらくせェ! 燃えろッ!!」
最初に静寂を破ったのはアズール。大きく振りかぶった両手に炎が膨れ上がる。
しかし、そいつは背後から浴びせられた、的確な放水に消されてしまう。
みればナナっちが、アズールに両手を向けていた。
しゃん、と背を伸ばした立ち姿で。
その双眸の色は再び変わり、いまや瑞々しいブルーグリーン。
「え、ナナっち、それ」
「スノー、さんていっていいのかな? 彼女が融通してくれた。
お前を裏切ったはずの俺も許して、力を注いでくれたんだ。
今度こそ守るよサクやん。俺たちの不始末は、俺たちでケリをつけるっ!」
宣言すれば、ナナっちの全身は水の流れを思わせる、美しい青緑の燐光に包まれる。
ナナっちはそしてこぶしを握り、アズールに突撃した。
その動き、今までとはまるで別人だ。
速さも、力強さも、アズールと互角の勢い。
しかし、それはつまり、有利ではないということ。
「ナナっち!!」
「だめだ、おまえはスノーさんを!!」
「でも!!」
いまならわかる。スノーフレークスは俺の力の源。そして俺はスノーフレークスの力の源。両者がそろっている今だから、その力を受けたナナっちはあんなに戦えている。
だがそれでも、ナナっちは徐々に押されている。
今、ここで加勢しなければ……
「あーァ。ここまではしたくなかったんだけどなー。
でもま、しかたねえか」
……遅かった。奴の不吉な声が響いた。
同時に、ナナっちの左肩を貫いた熱線が、スノーフレークスのこずえに火を放った。
「スノー!! ナナっち!!」
葉が枝がぼうぼうと燃え始める。俺たちの力も燃え落ちていく。
ナナっちは冷気でダメージを最低限に封じたのだろう、肩をおさえつつもバックステップで距離をとり、気丈にこういってくる。
「俺は、いいから……スノー、さんを!!」
『ナナっちさんを回復して水を』
「……くっそおおおお!!」
合理的なのはスノーの意見だ。どちらを優先してもつらいのだが。
俺は叫びながら手を伸ばし、ナナっちに癒しの力を飛ばした。
しかし、それが届いたのもつかの間。アズールは至近距離から火球を飛ばし、ナナっちを地面にたたきつけた。
ぱっ、と周囲に散った炎のかけらが、火柱となって燃え上がる。ナナっちを取り囲んで燃え立つそれは、まるで檻のように俺とナナっちを分断した。
焦熱のさなか、倒れ伏したナナっちは、ぴくりとも動かない。意識がないのだ。
名を呼びつつも送る、精一杯の癒しの力は、送る端から飲み尽くされていく。
もしも力が届かなくなれば、ナナっちの命のリミットは一分もないだろう。
けれどいまもスノーフレークスは燃え続け、俺の力も減衰している。
どうする。このままでは、じり貧の共倒れしかない。
あせる間にも炎は夜空へ広がっていく。あかあかとアズールを照らし、力を与えてしまう。
割れたサングラスを地に落とし、奴がゆっくり、顔を上げる。まっすぐに、俺を見る。
ぎらつく黒の左目で。底知れぬ赤の右目で。
歩き出す、ゆっくりと。やってくる、まっすぐに。
炎の檻はそのままに。手の上に火球を、顔には悪鬼の笑みを浮かべて。
「俺、さーァ。
若ちゃんのことけっこ気に入ってたんだぜ? いやマジに。
だから今日まで殴るのも蹴るのも焼くのもほかもぜーんぶとっといてきたんだ。
だってのにその晴れの日に、ここまで暴れられちゃーねェ……
惚れっちゃうよねェマジに! 決めたわ俺!! お前らまとめて」
そのとき、どん、どん、どん。激しい音とともに地面が揺れだした。
ところどころでは、巨大化した植物の根が地上にはみ出している。
見れば、握り締めたこぶしから、血が、地面に滴っていた。
しまった。やってしまった。
やってしまった。
俺は僕はかつての過ちをまた。
いやだ、こんなのもういやだ、こんなこんなこんなコンナ――
『サキさん! ……此花咲也!!
今よ。アズールを!!』
わけのわからぬ激情に悲鳴を上げかけたそのとき、力強い声が俺を打つ。
見れば、思わぬ揺れにアズールが翻弄されている。そのためか、炎の檻も掻き消えている。
そうだ、やらねば。チャンスは今しか、ない!
地面の揺れを味方に、月光も巻き起こる追い風も背に受けて、こぶしを固め一気に肉薄。
いまここにある、ありったけの力を集め、勢いのままに――
「気をつけろ。本当の敵は俺じゃない」
インパクトの一瞬先に、アズールがささやいてきた。
驚いたが勢いは止まらない。そのまま、奴を殴り飛ばしてしまう。
奴の身体は二度、三度、バウンドしながら地を転がる。
しかし勢いが死ぬ前に、奴は右手から炎を噴射。まるで人間ロケットのように、夜の向こうへ姿を消した。
その間、左手の親指がグッジョブと天に向いていたのが、俺の目に焼きついた。
ナナっちには幸いにというべきか、倒れたとき以上のダメージは残っていないようだった。呼吸もしっかりとしている。よかった。
本来ならすぐに救急車を呼びたいところだが、今はスノーのことがある。癒しの力を全力で注ぎつつ、肩を軽く叩いて声をかけた。
「ナナっち、悪いがしっかりしてくれ。スノーを」
『ううん、わたしはいいわ』
それをとめたのは、スマホからの声。つまりスノー本人だった。
驚いた俺が問いかけるより先に、彼女はみずからさっぱりと言う。
『このわたしはもう、ほんとにおしまいだったの。だから、いいの。
そのかわり……見て。
わたしの晴れ姿。
これがわたしのほんとの姿!』
仰ぎ見れば、燃えさかる『スノー』の大樹は、しかしそのまま、白い花を咲かせ始める。
六つの花弁を持った花をいくつも、いくつも。
掌にのせたらあわく溶けそうな優しい花たちを、いくつもいくつも。
それはまるで、白く着飾り微笑む少女の姿。
『どうかな? きれいかな、わたし?』
「……ああ。綺麗だ。
すごく……すごくっ……」
もう、涙が止まらない。でも、見える。
そらいっぱい、どの枝にもどの枝にも、いっぱいの花花花。
けれどその花たちはみな、綿毛をつける前に炎にまかれる。
次々とはかなく燃え落ちていく。
まるで、星が降るように。
「いやだ、スノー。やっぱりいやだ」
『だめよ、離れて。燃え移っちゃうわ』
「それでもいい!
お前が、生まれ変わるならっ、俺も……」
『……しかたないなぁ。サキのあまえんぼさん』
目の前に一本の枝が伸びてきた。
その先には、小さな一輪の花。
俺の頬に触れればそれは、小さな小さな綿毛を残す。
『ほら。これをもっていって』
そのとき、俺の目には微笑む雪の天使の姿が見えた。
彼女は全力で、まだ燃えていない腕を伸ばしてくる。
細く優しい指が涙をぬぐった。
ひんやりすべすべとしたくちびるが、俺のくちびるをふさいだ。
『つぎのわたしを、よろしくね』
――そうして、彼女は優しく、俺とナナっちをおしやった。




