STEP7-3 『もってきてんだろ、最・高・機・密』
あの時、俺ははっきり見ていたのだ。
あのおっさんのシャツの袖口。
そこには、七つの白い波模様――そう、七瀬の紋章を刻んだカフスが、鈍い輝きを放っていたのを。
つまりこれは、あの晩のリベンジマッチ、というわけだ。
「欲するは、社長の神の力。けれど、社長はおいそれとは言いなりにはならない。そこで俺を人質に……奴はそう考えた。そうだな?」
ナナっちの瞳は、もはや一片の抵抗とてなく肯定を返してくる。
勢いづいて俺は、さらに言葉を連ねた。
「では逆に、俺をとらえられなかった場合。
奴は、俺を逃がしたいとは思わないだろう。
一番困るのは、このまま逃げられ、社長もろともユキシロの敷地に立てこもられることだ。
そこには、一人で一個中隊を相手取れるやつらがごろごろ詰めている。
それを相手取り、俺の逃げ場も奪うなら、起こすべきはユキシロ製薬本社への爆破テロだ。
幸い社長は神の子。殺したところで生き返る。生き返るまでの間に捕らえてしまえばいい――あの晩と同様の作戦だ。
あの社長を捕らえておけるかについては問題がないはずだ。
唯名帝国は神の子を捕らえ利用していた。つまり神の子を捕らえる手立ては人質以外にもある。やつらはそれを用意している。
帝国の残党だからな、それも可能とみるのが自然だろう。
まとめようか。ナナっち、お前が告げられた計画はこうだ。
社長を捕らえ、神の子の力を利用したい。だから、社長と縁の深い俺を誘拐しろ。
失敗したら、俺の逃げ場を奪い、警備を抹殺し、社長をあぶり出し……ロク兄さんを殺害するため、ユキシロ製薬の本社を爆破する。こうだな?」
「………………」
もちろん、言葉はいらなかった。
立ちすくんだナナっちの瞳からは、涙がぽろぽろ溢れ出したのだから。
俺はニッコリ笑ってナナっちに手を差し出す。
「さて、これでお前は全てを力づくで吐かされちまったな。
もういい。降参していいんだ、ナナっち。
俺のSOSは、もうユキシロに届いているから」
「……!!」
ナナっちが大きく目を見開いた。
そう、あのときベンチにスマホを置いたのは、壊されるのが嫌だったからじゃない。
ナナっちに仕掛けた『コールドリーディング』を通じて、俺が語り、明かしていくことを――すなわち憎むべき犯罪の概要を、ユキシロ製薬警備詰め所に伝えるため。
そして、対策を採ってもらうためだ。
あそこの詰め所はつねにオートで電話がつながり、会話内容が録音されるようになっているのを、俺はシャサさんから聞いて知っていた。
だから、そっと短縮ダイヤルでコールし、スマホを置いたのだ。
俺をハナから騙して連れてゆくのではなく、不穏なハナシにもってったうえで、震える瞳で『頼む』と縋った、勇気ある親友の願い。
それを俺は、三倍増しでかなえてやったというわけだ。
果たして、木立のほうから戦いの音が響いてきた。
よし、これで勝利確定。そこで高みの見物を決め込んでいた出歯亀野郎は、ユキシロの警備員たちがサクサクと『のしイカ』に……
「だめっ!!」
そのとき、ナナっちの声が耳を打つ。
振り返れば、必死の形相のナナっちが、やつの背後から迫るオレンジの閃光から逃げるように、俺に飛びついてくるところだった。
突き倒された俺は無事。しかしナナっちは悲鳴を上げて、俺の上に倒れこむ。
かすかな熱気と、焦げ臭いにおいが漂うなか、ナナっちは声を殺し、身を震わせる。
「おい、ナナっち? どうし……」
「……げて……おれが、とめ、る……からっ……」
途切れ途切れ、搾り出しつつ、ナナっちは身体を起こす。
木立の作る闇の向こうを睨み、どん、と仁王立ち。
俺をかばおうとする背中はしかし、スーツもシャツも大きく破れ、赤く痛々しく腫れていた。
焼かれた、いや、撃たれたのだ。俺をかばって。誰かの炎で後ろから!
「ナナっち!」
「いいから、おまえはいけっ!!」
いまだ、その声は苦痛にまみれていた。
しかし、だからこそその気迫は、手負いの獣を思わせる。
ほっとけるもんか。強引に回復を押し込んだところで、無神経な大声が割って入った。
「おー、いーねいいねえ。子猫を守る母猫ちゃんってか?
そそられちゃうなァ、若サマよォ!」
聞き覚えのある、その声。
はたして木立の影から現れたのは、あの夜のグラサンウルフカット野郎だった。
ニヤニヤと笑いつつ現れた奴は、人の背丈ほどもある『何か』を引きずっていた。
目を凝らして俺は、あっと声を上げてしまった――なぜってそれは一人の男性、それも、ボロボロになったユキシロ警備員だったからだ。
ユキシロの警備員といえば、一人で一個中隊を相手取れるつわものだ。
それも、当然何人もで救援に来てくれたはず。
なのに、信じがたいことに、その全てと戦ったはずの奴は、ほぼまったく無傷に見えた。
マットな黒の革ジャンからのぞくのは、必要充分な筋肉だけが乗った胸と腹。
あちこちにジャラジャラ光りまくる銀色にもかかわらず、ギリギリ下品になっていないのは、サングラスをしたままでもわかるほどに整った、ワイルド系の容姿ゆえだろうか。
もっとも、その口元に浮かべる表情は下品そのものだ。
世界的ロック歌手のごとく、ガンガン響くハスキーな中低音で吐き出す言葉も。
「いーやァやられたやられた。まさか子猫ちゃんがそんな小細工していたとはねェ。
おかげで爆破計画はパーになっちまったぜ。
間近にいながらそれに気づかねェてめぇの失策だ。よって減点一。おしおきパーンチ、だ」
気の毒な警備員を見せ付けるように放り捨て、さらにニヤニヤと奴は笑った。
何てことしやがる。俺のなかの驚きは、すべて怒りに変わった。
今すぐこいつをぶっとばす。そして奴の足元、さらにはその向こうで助けを待っている警備員たちを助けてやる!!
「とはいえ、俺の部下たる若サマが愛する親友の言葉攻めぶち食らって可愛く参っちまったのは俺の力不足に信義違反だなあ。うんうん。それは子猫ちゃんの言うとおり。
というわけで、上司に責任とってもらおー。俺の上司は若サマだ。よって減点十。十倍パーンチだ!」
こちらに突き出す右掌で、まがまがしく赤い炎の球が育つ。
夜目遠目にもわかるほどにゆらゆらと空気をあぶるそいつは、突如ごう、とはじけた。
灼熱の炎の風がこちらに迫る!
ナナっちは進み出る。両手をクロスし、水の渦を出現させた。
ばしゅ、激しい音がして、水が炎を相殺する。
もうもうと立ち込める水蒸気が、視界を白く塗りつぶすと、ナナっちの声が響いた!
「にげろサクや……!」
だがそれをかき消すように、嫌な音が数発。
思わず立ちすくめば、晴れていく水蒸気の向こうから、それが現れた。
あの夜と同じ、パンクなブーツ。
ピッタリとした黒のレザーのズボン。悔しいほど、すらりと伸びた長い足。
そして、バタバタゆれる、黒い革靴。
「ナナっち!!」
ナナっちは右手で首をつかまれて、高々と吊り上げられていた。
まるで、捕らえた水鳥でも見せびらかすかのように。
「ダ――メだなあ若ァ。お仕置きに抵抗とか、男としてなってなくねェ?
つーわけで改めて」
「やめろ!!」
そうして奴の左の手には、派手な色合いの火球が燃えあがる。
させてたまるか。俺はこぶしを固めて奴に迫った。
「おっとそこま」
「きかねえよッ!!」
聞いてやるような義理はない。むしろ速度を倍加して、わき腹めがけ右フック!
奴も見た目以上に筋力があるようだが、それでもガタイは並みだ。いくら強いといったって、野郎一人ぶら下げて、まともに応戦できるわけがない。ましてその状態でナナっちに危害を加えられはしない。
すなわち奴の未来は、ナナっちを解放して戦うか、防戦一方に追い込まれてナナっちを奪われるか、のどちらかに絞られるはず。
果たして奴は左手の火球を、こちらに向けた炎の盾として展開してきた。
ナイス。俺の力は超回復だ。赤炎の中にあってすら緑に輝き、痛みすら感じぬペースで回復しつつ、俺の右手ははそのまま奴を……
「なーにやってるんですかーァ?」
殴り飛ばす、はずだった。
止められていた。奴の手ががっちりと、必殺のこぶしをつかんでいた。
展開していた炎がふたたび凝集、俺の右手を灼熱が包む。
激痛が噛み付いてくる。思わず力をそこに集中した瞬間、みぞおちの辺りに衝撃!
音が、色が、重力が消えた。
それらが戻ったのは土のうえ。冷たい白の光の中、笑って俺を見下ろす奴と、泣きそうな顔のナナっちが見えた。
「あっれーサクちーん。もしかして俺とお手手つなぎたかったー? いーやーごめんごめん☆
それじゃあお散歩にでも行こうか? それともお菓子を食べようか? ねーねー、ごろんごろんしてないであそぼーよー。
……鳴けよ。この化け物が」
奴が足を振り上げた。見覚えのある、ありすぎる顔でニコニコと笑いながら。
『るーちゃん』。その名が口からこぼれると、急に体が震えだした。
「やめろアズール! 化け物はおまっ……」
ナナっちが叫べば、奴は右手をぐっと握り締める。ナナっちの首をつかんだ右手を。
そしてまた、左手にさきの火球を生み出し、ナナっちのスーツのすそに近づけていく。
じりじりと布地が焦げ始める。こちらにまで熱が押し寄せてくる。
「やめろ!!」
ナナっちはしかし、それでももがき、うめき声で伝えようとしてくる。
にげろ。いいから、にげろ、と。
たった二発をもらっただけの俺でさえ、痛くて立てず、苦しくて力も使えないほどなのに。
いやだ、できない。できるもんか。
この状況は俺のせい。ほかの誰でもない、俺の判断ミスの結果なのだ。
なのに、ナナっちが犠牲になろうとしている。
たすけなきゃ。なんとかして、助けなきゃ。そのためにいま俺が、ろくに動くことすらできない俺ができることは……
俺は、プライドを差し出した。痛みに耐えて手を伸ばし、奴のブーツにすがって懇願した。
「やめて、くれ……たのむ、やめて……」
「ふっふーん。許してあげよっかー、サクちーん?
スノーフレークスの綿毛をよこせ。
もってきてんだろ、最・高・機・密」
「え」
にんまりと奴が笑えば、いつのまにか、俺のスマホがすぐそばに転がっていた。
ブブ、と音を立ててメールが着信する。
思わず目をやれば、その画面には……
『メール着信 わたしてください:S・F』
『メール着信 わたしを、マスターに:S・F』
「えっ……?!」




