STEP5-3 復習のお時間です!~春告げ花と砂塵の亡都~
そのまま俺は、作物育成計画のOJTに参加した。
しかしそれを終えても、終業までには若干の間があった。
ちょうどいい。俺はエレベーターに乗り、地階に降りた。
製薬部資料室は地下二階だ。昨日恐ろしかったエントランスや通路もサクサク抜けて、いまひとつのエレベーターにのりこむ。
数秒で下降が止まり、扉が開くとそこにはまたしても白衣のゆきさんがいた――もちろん俺は絶叫したりしなかった。
ともあれエレベーターから降りれば、ゆきさんのほうから気安く声をかけてきてくれた。
「また会ったわね此花クン。
いとしのあの子に面会のお願いだったら、悪いけどまだ駄目よ?」
「駄目ですか?」
「たとえわいるどに色仕掛けしてくれてもね☆」
「できませんから!!」
「あら残念。
それで、御用はなあに?」
「スノーフレークスについて、調べたいんです」
「ガチめに? サラッと?」
「全力で」
『スノー』は、心を通じるチカラを余人に知られることを恐れていた。
だから、そのことはとりあえず伏せて。
スノーフレークスの美しさに惚れ込んだ、だから、もっと知りたいのだ、と打ち明けた。
ゆきさんはにっこり笑って快諾してくれた。
そして、おびただしい数の資料が列挙されたリストがプリントアウトされる間にと、ブリーフィングまでしてくれたのである。
「スノーフレークスは古い古い植物よ。『神の子伝説』にも名前が登場している。
現存するいくつかの古文書によれば――
雪舞砂漠がまだ人の住める土地であった頃、当地一帯に自生していた一年草のひとつ。
夏に葉を茂らせ、秋には色づいた葉を落とし、雪に埋もれて冬を越す。
雪が溶ければたちまちに花茎を伸ばし開花、春空いっぱいに白い綿毛を飛ばす。
このとき冬の雪が深ければ深いほど、花つきもよくなる、と記されているわ。
まるで雪を栄養分にして花を咲かせ、綿毛として飛ばしているようだと。
それで、こういう名前になった。
可憐な姿にけなげな生き様、そして豊富な薬用成分から、地元の人々にとても愛されていたわ。雪の天使、春告げ花……後の資料にすら、たくさんの異名が記録されている程よ。
やがて、その地では農業改革が起こって――このへんは、此花クンも知ってるわよね?」
のちに、雪舞砂漠とよばれるあたり。そこにあった国の興亡と、その後について。
軽く思考をめぐらせれは、必要な情報はすらすらと流れ出てきた。
いにしえの大陸・アスカの背骨をなす、アスカ山脈。その頂近く、貧しい永久凍土の高原にあった、小さな寒村『ユキマイ』。
あるときそこで、地下深くに眠る豊かな資源をとりだし、農作に利用する技術が確立された。
たちまち豊富となった農産資源に人が集まった。交易も盛んになり、村は豊かな大国へ。
その後、南隣の偉名王国を巻き込んでのクーデターを経て、そこは一大帝国『唯名』へと変貌した。
唯名帝国は文化の爛熟と政治的腐敗から肥大する国家予算をまかなうため、軍拡主義に傾倒。
大陸全土に版図を広げたが、経済的な負担はむしろ増加。
重税と思想統制、帝都周辺地域を用いての農業実験をエスカレートさせていった。
こうした圧制に各地で抵抗、反乱が起き、体制は崩壊。
過酷な実験・生産による地力の消耗に大きな気候変動・地殻変動が重なり、当時帝都のあった北部は砂漠に埋もれ、南部は海没。帝国は名実ともに滅亡した。
このとき帝国内の農業技術者が周辺地域に流出。独占されていた高度な技術を伝え、高い成果を上げたことで『豊穣神の子』と崇敬された。
またそのために『帝国の台頭は豊穣神の力によるもの』『滅亡は神に見捨てられたため』『その後、神の子が○○の地に落ち延びた』……などの『神の子伝説』が広がった。
各地に伝わる挿話を蒐集し、一大叙事詩として編纂したものが『神の子サクレアのサーガ』である。これは著者の語り口の見事さもあって大流行し、今なお読み継がれている――
「……そう、授業で習いました」
これは覚えてたんだ。復習もしてなかったのに。期せず胸がうずいた。
俺は、成績だけはよかった。学者も夢じゃないといわれていた。高校三年の夏までは。
そのとき校舎のリニューアル工事がなければ、それによるシックハウス症候群がなければ、俺ももしかして……
いや、今はゆきさんの話に集中しよう。気を取り直し耳を澄ませた。
「よくできました。
その帝国でスノーフレークスは、日常の民間薬から、特権階級が独占する貴重品とされたわ。
スノーフレークスは表向きには、悪魔の植物として扱われ、それに抵抗した薬師たちともども、ことごとく火中に投じられた。
けれど唯聖殿の奥深く、秘密の薬草園では、スノーフレークスは大量に育てられていた。
理由のひとつはその高い癒傷能力が、ヒエラルキーを支える『力』の要とされていたこと。
そしていまひとつには、不老不死の研究のため。
まあ、お決まりのパターンよ。
そしてそのために、スノーフレークスの番人まで『作られた』……」
ゆきさんが珍しく、ひどく皮肉な笑いを見せると、プリントアウトが終わった。
指先から肘ほどまである長さの紙は、くるくると巻かれてゆきさんから俺に渡る。
「まあ、大体そうしたことが、これらの資料に書かれているわ。
原文当たるなら、ものによっては上位神聖雪舞古語も読めなきゃだけど、いけそう?」
「いいえ。」
もちろん俺は即答した。
上位神聖雪舞古語。それは帝都内でのみ、それも機密性の高い公文書や、神事のさいにだけ使用された半人工言語だ。当時の言語をベースにしつつもひどく複雑に作られており、当時でも一部の特権階級しか読み書きができなかったという。
当然今では、一部の研究者のみが読解できる幻の言語と化している……という。
もと優等生の高卒フリーターごときが読めるようなシロモノでは、間違ってもないのだ。
「それじゃあ、最新鋭の閲覧マシンを使うといいわ。使い方教えるから来て」
ゆきさんに導かれていった先、壁際の机には、一台のパソコンぽいやつ――ただし、タッチ式の画面が二つある――が鎮座していた。
起動、キーボードで書名の一部を入力。表示された候補一覧から書名を選択して、実行キーをタッチと進める。
すると、古めかしい本の見開き画像が右側画面に、その訳文が左側画面にパッと表れた。
「スワイプで拡大縮小。ページは左右キーでも、こうスライドさせてもめくれるわ。そして、この部分をこうおさえれば……」
「おおお!」
ゆきさんの指が右画面端の青い半円を押さえれば、画像が高速で流れるのにあわせ、左画面の文章も同じ速さで切り替わってゆく。
「もしかしてこれ、ゆきさんが?!」
「メインプログラムはね。
翻訳システムの部分はルナちゃんに手伝ってもらったわ」
「すっげえ……」
俺も試しにバラバラバラとやってみたが、画像も鮮明、訳文も正確。
もはやすごいの言葉しか出てこない。
と、ゆきさんがじっと俺を見ている。
「あの、なにか?」
「あなた、……いえ。
この速さで文章読み取れてるわね?」
「ええ、速読は得意ですから!」
「……天は二物以上を与えるものね。
まあ、好きなだけみてってちょうだい。内線で呼んでくれればアドバイスしてあげるわ。
わたしは夜型だから、何時でも構わないわよ」
「いいんですか?! ありがとうございます!!」
「ゆきお姉さんは向学心に燃える若者の味方なのよ。
興味と余裕ができたらレクチャーしてあげるわね、上位神聖雪舞古語も」
たのもしさあふれるその言葉に、思わず立ち上がって頭を下げていた。
ゆきさんは最後に俺をからかうと、ひらりと資料室を出て行った。
あらためて腰を下ろし、閲覧マシンに向かった俺は、あっという間にその性能に夢中になっていた。
俺も、ふつうの雪舞古語は読める。いわゆる古語として義務教育で少し教わるのだ。そして古文は大得意だった。
だから今出てる文献とかはこれで見る必要はないのだが、意味なくこっち使ってしまいそうだ。
ってかページめくりが早くて爽快だからはかどるし!
……それにこれで見るなら、本も傷まないで済む。
むかしお姉ちゃんにもらって何度も何度も読み返した本は、しまいにすっかりぼろぼろになってしまい、内容はそらで覚えていてもやはりさびしかったものだから。
* * * * *
その後――
閲覧マシンのおかげで、俺はリストの三分の一をざっくりとだが読破することができた。
だがうっかり熱中しすぎ、その日はマニュアルを読む時間が取れなかった。
まあ、『スノー』との時間を選んだせいもあるのだが。
時間割を決めよう。夕食後はまず『宿題』と、その日の業務内容まとめ。その後十時までは資料室で文献を読みまとめる。そこからは部屋に引き上げて野暮用とマニュアル。
そうして『スノー』がメールしてきたら、彼女と『話す』ことにしよう。
昼間はOJTとシャサさんによる訓練が本格化し、夜はこんなかんじ。よって忙しさはマシマシだったが、正直めちゃくちゃ楽しかった。
ルナさんの講座が始まる来週までには、カタをつけておきたい。
できれば、何らかの企画として起こしたいから。それも、なるべく早く。
『スノー』との約束を、一刻も早く実現するために。