STEP4-1 ~過去のトラウマと戦おうとした俺は地下室の幽霊(※褒め言葉)に迫られているようです~
その夜、また夢を見た。
子供の頃の夢。
まぶしい夏の太陽の下、にかっと笑ったサクちゃんが、わしわしと俺の頭を撫でて――
急に、会いたくなった。
優しくて、しっかりしてて、よく頭を撫でてくれた、あいつ。
中学にあがるタイミングでアユーラに越してしまって、それきり一度も会えてないけど。
目が覚めたのは、目覚ましがなる前だった。
ちょうどいい、サクにメールしようか。サイドテーブルに手を伸ばした。
スマホを手にとると、画面には着信通知――『メール着信 無題:ナナっち』!
いそいそとメールを開けば内容はこうだった。
『遅レスごめん、ちょっと揉めてました。
よければ来週の土曜、二人で会えないかな。サクやんに、話したいことあるから。
NKCショッピングモールわかる? そこだと、ベランダから見えると思うけど……
そこの近くの喫茶店です。サイトのリンクつけておきます』
なんと、直後の週末は避けてくれたようだ。かたじけない。
心で拝みつつ、リンクをポチる。だが、結果は無情のNot Found。
『ごめん、リンク先みれない?店の名前とか教えてくれれば、検索して行ってみるけど』
ナナっちは推敲して慎重にメールを打つ。さらにスマホの入力が苦手だから、レスはゆっくりめだ。
俺はとりあえずこの一行を送信すると、サイドテーブルにスマホを置いて、服を……
『あれ? 昨日は見れたんだけど。
それじゃあとりあえずNKCで待ち合わせようか』
「はやっ!」
この速度。ナナっちのやつ、あわてたな。
思わずクスッときながらスマホを手に取り、レスを返す。
『そこってとなりに造成中の運動公園あるアレだよな?りょーかいです!』
今度こそはすこし時間かかるだろう。経験上5分程度だ。俺は今度こそスマホを置い……
『そうそれ。 それでは来週土曜、昼の十二時に、一階のフタバカフェで待ってます。
もしダメなようなら連絡ください』
「はっやっ!!」
一体どうしたんだ今日のナナっちは。
らしくもなく、変なとこにまでスペース入ってるし。
ふと時計を見て気がついた。バイトの時間が迫ってるのだ。悪いことをしてしまった。
ナナっちは自分の都合で答えを待たせることを良しとしない。気遣いのできる優しい、いいやつなのだ。
そんなあいつに、出勤前にメール打ったらこうもなるよな。
ちょっとさびしいがいまの俺たちは、返事はバイト先で、なんてことはもうできないのだから。
『らじゃっす!』
だから、シメは短くこれだけに。
だが身支度を終えて戻ってみると、また着信が入っていた。
『あそこ激込みだから、俺はいつもの格好で行きます。
サクやんは?』
『りょーかい、俺もいつもみたいので』
と返信すれば、手の中でアラームがなった。ジャストタイミング、社食に行く時間だ。
スマホをポケットに入れ、もちろんカギも首からさがっているのを確認し、俺は部屋を出た。
* * * * *
社長室は本社ビルの六階。朝食後、一番で俺はそこに出頭した。
目的はふたつ。まずは始末書の提出。
もうひとつは、こちらが本来の予定だが、社長との待ち合わせ。
これからゆくところは製薬部門。いうまでもなく、ユキシロ製薬の中枢部。
それゆえに、見学には社長が同伴するのである。
これは製薬部チーフ・憂城氏との初顔合わせも兼ねている。
身が引き締まる思いがした。
勤務初日に告げられた、社長の言葉がよみがえる。
――ここから先の命すべては、お前が育み守るのだ。いいな、此花咲也。
『ここから先』。
よく考えればそれは、ファームの植物やそこに勤める人たち、だけではない。
うちから生み出される薬を待つ、世界中の人たちも、なのだ。
体が震える。だが、嫌な気分ではない。
守ってやれる。助けてやれる。
分け隔てなく皆を。こんどこそみんなを……!
「そこで何をぷるぷるしているのだ?
トイレならばあっちだぞ、早く行って来い」
「うん、予想してたよ心の底で!!」
そのときそんな高揚感を、無情にもぶっ壊す奴がいた。
思わず声に出して叫んでいた。
我が後頭部にはまたしても、社長のチョップがめり込んでいた。
エレベーターの終点は地下一階。
ちん、とドアが開くと、灰色の殺風景が広がった。
高度の閉鎖環境。身体がこわばった。
足が動かない。ここはただのエントランスだ。わかっているのに。
――またあんな痛くて苦しくてつらい思いをするのか?
けど動けなければまた、別の新入りが出てくるのを背中越しに見ることになるだろう。
冗談じゃない。冗談じゃない。こんなところで……
「大丈夫だ」
そのとき暖かなものが肩に触れた。
「怖いものはない。外部のものが入りにくくするために、あえてこうしてある。
お前が恐れる必要はない。大丈夫だ」
「あ……すみません……」
そうして深い声に大丈夫と告げられると、とたんにスッ、と楽になった。
気恥ずかしくもありがたく、俺はまだ整わぬ息のままお礼を言った。
あの頃は本当にひどかった。動悸、悪寒にめまい。頭と身体に走る痛み。こみあげる恐怖感。それらは吐き気を催すほどで、幾度もパニックを起こした。
校舎内への立ち入りは難しく、ナナっちたちがノートやプリントを持ってきてくれたり、先生や家族、近所の人までがいろいろと手を尽くしてくれなければ、俺の高校卒業はなかった。
いやそれどころか、『現在』だって、なかったかもしれない。
その話を当然、社長は聞いているのだろう。しっかりと肩を支えてくれる。
「どうしても恐ろしいなら、次は猫のぬいぐるみのひとつも用意しよう。
行けるな」
「……はい」
そう、行かなければ。行きたいんだ、この先へ。
いつまでも、過去の恐怖にとらわれてばかりいたくない!
開いたままのドアの向こうへ、俺は一歩を踏みだす。きっぱりと顔を上げ、前を向いて
「でたあああああ!!」
そのときだった。
見えた、白い、女の人影。
スラリと伸びた体躯。波打ち流れる白銀の髪。
右目は長い前髪に隠され、静かな翡翠の左目だけがひたとこちらを見つめている。
白磁の肌に鮮やかに浮かぶ目鼻立ちは、整いすぎているほどだ。
美しい、が、美しすぎる。何より着衣が真っ白だ。
けしてこの世のものではない。俺はそう直感したのだ――
* * * * *
が、もちろんそんなわけはなかった。
そこにいたのは、製薬部門のチーフ。主任研究員を兼務する『憂城ゆき』さんだった。
そう、不運なことに、彼女と俺は初対面。憂城さんはおとといから昨日にかけて、学会に出席するため社を離れていたからだ。
せめて歓迎会で顔見知りになれてたら、こんなことには……というのは、生きた女性を幽霊扱いするという大失態の前では、言い訳にしかならない。
俺は全力で平謝りした。
「すみません、ほんとにすみません!!」
まったくどうかしている。着ている物だって普通に白衣じゃないか。
確かに、綺麗な人だが。そんじょそこらのモデルなど軽くかすむレベルの。
だがそのエイジレス系セクシー美女は、鷹揚に笑って許してくれた。
「ふふ、いいのよ。幽霊ってのは美人しかいないんでしょう?
だとしたら、立派に褒め言葉よ、部長クン。
でもそうねぇ、せっかくだから、お願い聞いてもらおうかしら。
『ゆきちゃん』って呼んで」
「えっ?」
「いい、ゆきちゃん、よ。さんはだーめ。
さ、言ってごらんなさい、ぶちょークン?」
憂城さんは妖艶な唇の前にひとさし指をゆらし、あやしく俺に微笑みかける。
気づけば顔の距離、二十センチたらず。
なんということだ。またしてもこのパターンか。
「現実は一体俺をどうする気なんだ!!」
「その辺にしておいてやれ。おととい鼻血を出している。」
「あら残念。じゃあしばらくはゆきさんでいいわよ。
あとはいずれ、ということで……ね?」
思わず叫べば、社長が余計なことまで言いつつフォローしてくれた。
ゆきさんはかろやかに笑って身をひるがえし、歩き出した。