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リセット  作者: 吾妻 あさひ
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一回目の実験

 この実験が人道的かそうでないかを語るには、まずは今の世の中の倫理観を考えなければなるまい。

 家庭用や兵器用のアンドロイドの普及が進む中で、それを「神への冒涜だ」と考える人々も増えてきた。今や人々がアンチエイジングにすら過敏に反応し「倫理観」を唱える時代なのだから、それも無理はないだろう。

 不老不死の研究を禁じる法律ができて久しい昨今だ。それに深く関わった者としては、人々が倫理への抵触を過剰に恐れる気持ちもよく分かる。

 しかし、倫理を気にする一方、一部の人々のフラストレーションが高まっていくのも事実であった。

 愛玩用アンドロイドの虐待やアンドロイドを使った戦争が相次ぐ中で、一体何が人道的な行いと言えるのだろうか。


 実験室の扉を開けると、アルラは既に起動された状態で椅子に座っていた。

 短い鎖を巻きつけて両足を椅子に固定され、両腕は肘置きの上の短いベルトで縛られている。本人は、どうしてそんなことをされたのか未だ分からないらしく、ニュートラルな感情を示す緑色のランプを頭に点灯させていた。俺に気づいた彼女は、少し首を傾げ、こちらの方を見た。錆びた椅子には似合わない金色の髪の毛が、蛍光灯の冷ややかな光を受けて揺れる。

『おはようございます、ジャン博士』

「誰に聞いたんだ」

『さっき研究員の皆さまが教えてくれました、これから来るのは“ジャン”博士という方だと』

 まさか、被験体のアンドロイドに気安く名前を呼ばれるとは、思ってもいなかった。俺がため息をつくと、アルラは無表情を貼り付けたまま、また小首を傾げた。

『博士、これからどんな実験をするんですか?何度聞いても、研究員の人たちは教えてくれなかったんです』

「まあ、そうだろうとも」

『博士は教えてくれますよね?』

「教えずとも、じきに分かる」

 俺は準備済みの記録用ビデオカメラの動作を確認し、上を見た。最新設備の整ったこの環境でキリキリと音を立てる旧式のビデオカメラは異質で、それはまるでこの冷たい空間の中でひとり純真さを失わないこの人造人間のようだ。

 背後にある強化ガラス張りの壁に仕切られた二階席には、非常時のために、三人の研究員が控えている。彼らとアイコンタクトを交わすと、俺はビデオカメラのボタンを押した。カメラの前に立った俺は、記録用の宣言文を読み上げる。


「これより、第一回目の実験を始める。私は被験体の体を部位ごとに破壊していき、その反応や絶命までの時間など、全ての経過を記録する」


 後ろで、息を呑むような音が聞こえた。振り返ると、アルラがピクリとも動かずにこちらを見ている。表情は皆無。そう作ったのは、紛れもなく俺自身だ。

 リボンの色は薄い黒。不安を感じてはいるが、まだ私の宣言を信じ切れていないところもあるのだろう。

『あ、は、博士』

 私は震えた呼び声には答えずに、拷問用のマスクと手袋と帽子を手際よく装着した。アルラの足元に置かれた鞄を開け、次々と中身を取り出していく。

 金槌。ペンチ。糸鋸。鉗子。開口器。タオル。それらを順に取り出し、アルラにも見えやすい距離の床に、並べていく。それを見て、アルラのリボンの黒色はどんどん濃くなっていった。

 この実験では、被験体を拷問し、どの時点で心が折れたか、どの時点でショック死するかを確かめる。

 関節を砕いたり、爪を剥いだり、歯を折ったりなど、今回用いるこれらの方法は、原始的ではあるが、痛覚に作用する最もシンプルなやり方ということもあり、失敗のリスクもコストも低い。その上、確実にある程度の効果が期待できるのだ。

 しゃがみ込んで、手始めに金づちを手に取ると、頭上からガチャガチャと騒がしい音が聞こえる。ようやく事体をのみこめたらしく、アルラが必死に逃げようとしている。

『は、博士、やめて、助けて』

「大丈夫だ、壊れてもすぐに直す」

『痛いのは嫌……!』

「新しい体には、実験前までの記憶を入れてやるよ。痛いのも、すぐに忘れられる。……替えの効く体に生まれて不幸だったな」

 壊れたら直し、砕けたらかき集め、辛い記憶はなかったことにする。そうしてできあがったなにかは、果たしてここにいる“アルラ”なのか。いや、俺がそんなことを考えても仕方がない。問いを心の中で哲学者に譲ると、俺はその代わりに金槌を握った。

 アルラは俺の答えを聞いて諦めたのか、抵抗をやめて、ぐったりと大人しくなっている。こちらを見る瞳には感情がない。リボンの色が黒から徐々に赤く染まっているところを見ると、これは恐怖と憎しみ。それが、裏切られたことに対してなのか、この行い自体に対してなのかはわからないが、彼女に表情があれば、きっと私を睨みつけているのだろう。


 金槌を握り締めて、振り上げる。


『……ッ』

 振り下ろした後に響いたのは、金属と金属がぶつかり合う甲高い音だった。どうやら、狙いを外して、肘置きを叩いてしまったようだ。金槌を握っていた腕が、衝撃で痺れている。

 アルラを見ると、目を閉じて浅く速い呼吸を繰り返していた。幼く華奢な体は、足元の鎖をカチカチと鳴らしながら震えている。

「すまない、今度こそちゃんと当てる」

 早く終わらせてやらないと、無意味に恐怖を先延ばしにするのはさすがに残酷だ。俺はアルラに謝ってから、もう一度金槌を振り上げる。


 が、それは途中で地に落ちた。


「……?」

 見ると、俺の手はがたがたと震えて、力が入らなくなっている。その反対に、アルラの震えはもう止まっていた。

 俺は、震える手で、何度も取り落としながらも金槌を拾う。肘置きを叩いてしまった時の先ほどの衝撃は、これほどに影響があっただろうか?いや、そんなはずはない。それならば、どうしてこんなに手が震えているんだ。機械を壊すくらい、これまでに何度もやらかしただろう。……今更、恐れることなど何もないはずなのに。

 顔を上げると、緑色のリボンをつけたアルラが、真っ直ぐにこちらを見ていた。もう、目を瞑ってはいない。

『博士、ちゃんと握ってください』

「はっ……」

 震える手からもう一度金槌が落ちそうになったのを見て、アルラが冷たい声で俺を叱咤した。驚きで咄嗟に金槌を握り締めたから、今度は落とさずに済んだ。

『そんなに震えていては、硬い骨には傷一つ付けられませんよ』

「お前、これから何をされるのか、本当にわかっているのか」

『はい』

 表情を変える機能は実装されていないはずなのに、彼女の瞳がこんなにも強い意志を宿して見えるのはどうしてなのだろうか。アルラの揺るぎない瞳に気圧されながらも、俺は震える手で金槌を握り直した。

『代替可能な品は不幸せだなどと、一体誰が決めたのですか』

「アルラ……?」

『私のことを“替えの効く体”と言っておきながら、壊すのをためらうなんて、中途半端なことはやめてください』

 リボンには、赤色の強い光が点灯し始めていた。彼女は怒っていたのか、俺の発言に。

 金色の睫毛を震わせて、彼女は顔を伏せた。その表情はやはり何も変わらないが、下手な役者なんかを朝のドラマで見ているよりかは、表情筋がないはずのアルラの感情の方が、ずっと伝わってくる。

 それは、彼女なりの強がりだったのだろうか。

『替えの効かない、不便な人間なんかと、いっしょにしないでください』

 アルラの言葉に、アルラの姿に、替えの効きかないたった一人の娘の姿が重なった。

 輝く金の髪も、透き通る青い瞳も、華奢な白い体も同じ。ただ一つ違うのは、アルラは私がいる限り何度でも生き返るが、娘は私のせいで死んだということだ。


「替えの効かない不便な人間は、だからこそどうしようもなくいとおしかったんだ」


 俺が振り下ろした金槌は、今度こそアルラの指の関節を正確に砕いた。





はじめてのごうもん

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