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一花繚乱  作者: 渡里あずま


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浮雲

 わずかの供だけを連れて、信長はひたすら馬を走らせた。そして汗まみれ埃まみれになりながらも、夜の闇に紛れて何とか帰京を果たした。


「っは……はぁ……」


 すっかり疲れ果て、留守居の兵に馬から降ろして貰うくらいだったが、その口元には笑みが浮かんでいた。


「どうだ……逃げ切って、やったぞ……!」


 結果として、信長が逃走を決めてすぐに動いたことは好機となった。

 市からの知らせにより、挟み撃ちにされる前だったというだけではなく。京では信長の死亡説まで流れ、もう少し信長の帰京が遅ければ留守居の兵達では、これ幸いと好き勝手するだろう義昭達を止められなかったからだ。

 しかし信長が、更に織田の家臣達や殿を務めた木下・明智軍が京に来たことで、義昭に睨みを効かせることが出来た。


 そして岐阜に戻った信長は、浅井家への報復戦に討って出る。

 長政の城・小谷城は、難攻不落と言われていた。普通なら、どう攻略するべきか考えるだろうが信長は違った。攻め難いなら、あえて城攻めにこだわる必要はないと思ったのだ。


「長政には、城から出てきて貰おうか」


 その為に、信長は小谷城の支城である横山城を包囲した。そして、横山城の付近を流れる姉川へと兵を出してきた浅井・朝倉軍を織田の兵と、家康からの援軍とで迎え撃った。

 ……半日以上の、激戦だった。川が血で赤く染まった程のこの戦いは、後の世で『姉川の戦い』と呼ばれている。

 しかし、勝利こそしたが織田軍の被害も少なくはなかった。更に、小谷城には妹・市とその子供達がいる。それ故、信長は長政達が逃げ込んだ小谷城ではなく、まずは足場となる横山城を攻め落として長政に圧を掛けた。


 けれど、ここで一気に長政を攻め落とさなかったことが裏目に出た。

 長政は朝倉家だけではなく、延暦寺も味方につけて再び挙兵をし――信長は、その戦で忠臣・森可成を喪ったのである。



 可成の訃報を聞いた後、信長は濃の部屋に来ていた。

 それから濃の膝に頭を乗せて目を閉じ、光秀を部屋に呼んで口を開いた。


「光秀」

「はい」

「比叡山を、焼き払うぞ」


 静かに告げられた言葉に、濃と光秀がハッと息を呑む。

 けれど、二人はまずは口を噤んで話の先を待ち――そんな彼らに促されるように、信長は言葉を続けた。


「延暦寺からの援軍のせいで、可成は負けた……八つ当たりと言われれば、それまでだがな。これ以上、鼠のようにウロチョロされて邪魔をされるのは真っ平だ」


 だから、比叡山を焼き討ちすることで延暦寺を黙らせるのだと信長は告げた。

 そしてしばし黙った後、目を閉じたまま光秀に言った。


「……神を敵に回すのは、光秀の思い描く『天下人』とは相容れなくないか? そうだとしたら、わしを見限って別の」

「おそれながら」


 信長の話を、光秀が遮る。

 それに驚いて目を開き、顔を向けると光秀は真っ直に信長を見返したまま告げた。


「確かに、私は神を……主を、信じておりますが。神仏が絡むことで、人は寺社に畏怖を抱きます。私は彼らのように主を利用し、権勢を振るおうとは思っておりません」

「光秀」

「義昭公へのご機嫌取りでも、あるのでしょうが……しかし、今回の焼き討ちをみせしめとし、寺社が黙れば今後の憂いが一つ減る。主君として頼もしいと思いこそすれ、殿を見限る理由にはなりませんので。妙な勘ぐりは控えて頂きたい」

「……で、あるか」


 言い切った光秀に、パチリと瞬きをし――信長は、我知らず緊張で強張らせていた頬を緩めた。内心、同様に光秀離反かと思い悩んでいた濃も、従兄の言葉に安堵したが。


(信長が、こんな風に家臣のことを気にするなんて……そして十兵衛どのが、主君の話を遮るなんて)


 二人の『らしくない』様子に、濃は違和感と不安を覚えた。恋慕ではない。しかし、お互いが思い描く『天下人』による結び付きをこの時、濃は感じたのである。



 こうして、先鋒を申し出た光秀により比叡山は焼かれた。

 そして僧侶だけではなく、居合わせた人々は女子供に至るまで殺されたのである。

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