婚儀【一】
「お前、男だろう?」
「……っ!?」
婚儀の為、生まれ故郷である美濃から尾張へやって来た濃は今、乗ってきた輿ではなく草原にいた。突然、現れた夫・信長によって馬で連れ出されたのである。
武士の正装である直垂ではなく、泥に汚れた着物と破れた袴姿は成程、うつけと呼ばれる訳だ。
さらり、ととんでもないことを言う相手の瞳には、自分の姿が映っている。
艶やかな黒髪と大きな瞳。
小袖の上に打ち掛けを羽織った姿は、我ながら女にしか『見えない』と言うのに。
……そんな自分の姿に挑むように、濃はキッと目の前の瞳を睨みつけた。そして紅を差した唇を開き、相手の言葉に問いかけで応えた。
「そう言うあなたは、女子でしょう?」
※
蝮と呼ばれる斉藤道三の息子として生まれた濃は、けれど産声すらか細く明日をも知れぬ状態だった。
そんな中、母・小見の方はとある僧の「姫として育てれば助かる」という言葉にすがった。そして彼に『濃』と女名をつけ、女として育てたのだ。
長いまつ毛が影を落とす、雪白の肌。豊かな黒髪に縁取られた、可憐な面差し。
病弱なだけではなく、己の女装姿を見られるのが嫌で城に引きこもっていたが――それでも何も知らない家臣や侍女、そして町の者達は濃のことを天女のごとき美姫と噂していた。
「おぬしの縁談が決まったぞ。尾張の織田信長だ」
「父上、いよいよ呆けましたか?」
しかし、父である道三は当然、濃が本当は男だということを知っている。相手が評判のうつけという以前に、男へ嫁げとは何事か。
だからこそ、濃は冷ややかにそう返した。そんな彼を、道三が面白そうに見つめて言う。
「相手が女子なら、構わぬか?」
「…………は?」
「そんな噂があるのよ。ぬしの相手に、これ以上の者がおるか?」
思わぬ言葉に唖然とすると、父は濃に短刀を差し出して続けた。
「真に女子なら……いや、たとえ男だとしても、うつけならその刀で斬れば良い。そうすれば、尾張はぬしのものとなる」
「…………」
確かに次男の濃では、たとえ男に戻っても美濃は継げない。異父兄である義龍は成り上がりの道三ではなく、前城主の血を引いているからだ。
そして可憐(自分で言うのも何だが)な濃相手なら、相手は油断するだろう。その隙を突けば、首をかっ斬ることは可能だ。
(まあ、親心なんかじゃないだろうけど)
父は尾張が欲しいのだ。その為に、息子である濃を利用しようとしている。問いかけの形は取っているが、これは道三からの命令だ。
……解っていながら、濃は無言で父から短刀を受け取った。
姫として生きることを強要され、異父兄からは女男と見下される――この生活から脱する好機を、みすみす逃したくはなかった。
※
とは言え、濃は斬る気満々で尾張に来た訳ではない。
切支丹である従兄弟の影響もあり、彼は無闇な殺生が嫌いだった。貞操が危うくなれば考えるが、まずは信長の本質を見極めようと思っていたのだ。
……もっとも、見極める前にこちらの秘密がバレてしまったが。
「見た目は完璧に美女だがな。しがみつかれれば、流石に解るぞ」
「その為に、私を馬に!?」
「いや? 輿なんて、窮屈だろうと思ってな」
確かに、初めての乗馬だったので思わず信長の背中にしがみついたが――まさか、それであっさり見破られてしまうとは。
(私には、そんな余裕なんて無かったのに!)
細身ではあったが、女性だと言う核心までは持てない。だから先程の女子発言も、実は単なるハッタリなのだ。
「お優しいこと」
けれど濃は前言を撤回せず、ひた、と目の前の相手を見据えた。
嫁いで来た姫が実は男、と言うのはいくら本当に信長が女だとしても、騙されたと思って当然だ。
それなのに怒りも、斬りもしないとは――まあ、今回の婚礼は盟約の証であるので、濃を殺したら道三はこれ幸いと攻めてくるだろうが。
……だが、信長の答えは意外なものだった。
「ぬしの言う通り、わしは女子だ。元々、跡継ぎになるのが間違っているし……ぬしが蝮の間者だとしてもそうでないとしても、死ぬ時は死ぬだろう?」
草原を揺らす風に、結った黒髪をなびかせて。
微笑み、静かにそう言った信長に刹那、濃の目の前は真っ赤になった――怒りの為に。




