選別【二】
「明智どのが、お見えでございます」
襖戸の外から侍女に告げられて、信長と濃はそれぞれの場所へと腰を下ろした。そんな二人の前に、光秀が現れる。
「……明智十兵衛光秀、岐阜どののご所望により、参じました」
城主の奥方は、城の名前で呼び表される。つまり『岐阜どの』とは濃のことなのだが、その目は信長の傍らに控える、男姿の濃へと向けられていた。
濃の言う通り、先程、会った『信長』が自分の従弟だと解っていたのだろう。
そんな光秀に上座に座り、脇息に凭れた信長が朱唇の端を上げる。
「で、あるか」
小袖に紅の打ち掛けを羽織った信長がいつもの口調でそう言うと、光秀の切れ長の瞳が微かに、けれど確かに見開かれた。
それに「してやったり」とばかりに、信長は笑みを深めた。
「驚いたか? 一応、ここはお濃の部屋だからな。一人くらいは、女子の格好をした者がいた方がよかろう?」
「……はっ……」
言葉だけだと返事の形を取っているが、光秀は頭を下げたので反応に詰まって出たものかどうかは解らない。
(信長も、人が悪い……『格好』なんて言って、女だとははっきりと言っていないし)
しかし当の信長は、相手を驚かせたことで満足したらしい。濃の声に出さない突っ込みや光秀の反応には構わず、紅を塗った唇で笑みを形造って言う。
「何故、ぬしは道三どのの元を離れた?」
「…………」
「何故、今回の話をわしに持ちかけた? 言い出したのはぬしだと聞いておるぞ?」
「…………」
信長の問いかけに、顔を上げた光秀は無言で応じた。それにふむ、と呟くと信長は帯に差していた扇を手に取り、閉じたまま口元へと当てた。
「わしは、将軍の道具になどならん。逆ならともかくな……それを解っていないのなら能無しだし、解っているのなら随分と薄情だ。かと言って、己が天下を取ると言う訳でもない」
「……それでは、違うのです」
しばしの間の後、光秀がそう言ったのに信長は言葉を止めた。
そんな信長の視線の先で、光秀が話の先を続ける。
「私は、自分の全てを出し切りたいのです。己の為にではなく、己が主君に天下を取らせる為に。その為に学び、鍛え、生きてきたのでございます」
「天下を『取らせる』? 天下人を、ぬしが作ると?」
「はい」
「ッハ! アハハハッ」
不遜なことを言い、短く、けれどきっぱりと返事をした光秀の前で、信長はひどくおかしそうに笑った――昔、従兄から聞いた話を教えた濃の時と同じ反応だ。
「怒らないのですか?」
そんな信長に対して、光秀が口にしたのも濃がした問いかけと同じで。
それがまた、愉快だったのだろう――信長は唇の端を上げ、扇の先を光秀に向けて言った。
「ぬしこそ、後悔するなよ? わしは『天下布武』で終わるつもりはないからな?」
天下布武――それはこの国を、武力で統一すると言う意志を示したものである。
だが、信長にとって天下を取ることは己の目的を叶える為の手段なのだ。
「世の中を変え、戦を無くすことこそがわしの望みだ。わしを選んだのなら、出し切る『だけ』など許さん。それこそ、死ぬ気で働いて貰わねばな」
「……御意」
光秀は、再び頭を下げた。
その顔は信長にも濃にも見えなかったが、答えた声は己が選んだ主人に仕えられることへの喜びに満ちていた。
……主従となった二人は、まだ知らない。
信長が、天下統一を果たせないことを。
光秀が、信長を討つことを。




