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一花繚乱  作者: 渡里あずま


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主君

 百姓出の藤吉郎が、若き城主と対面出来たのは草履持ちになったからだ。

 とは言え、主君の顔をじろじろと見ることなど出来ない。

 だから目を伏せて足元だけ見ていたが、その足があまりに白く小さかったので、藤吉郎は冷えた草履を温める為に懐に入れた。

 最初は尻に敷いていた、と斬られそうになったが、藤吉郎が懐で温めていたのを知ると――何と相手は身を屈め、藤吉郎を真っ直に見つめてきたのだ。


「気が利くな、気に入ったぞ」


 結った黒髪に縁取られた、端正な輪郭。

 吸い込まれそうな黒い瞳が、笑みに細められる。

(こんな綺麗な方になど、会ったことがない)

 思わず赤くなった藤吉郎に、主君である信長は。


「猿みたいだな、よし! お前は今日から猿と呼ぶぞ」


 そう高らかに言ったのだった。



 ……農民達の中で一人、鮮やかな緋色の打掛をまとう乙女。

 目尻を彩る紅。

 肩までの黒髪をなびかせ、金色の扇を閃かせ。

 桜色の唇で今様を紡ぎ、艶やかに舞う様は――現代風に言うと、アイドルのようなものだろうか?


「うぉーっ!」

「信長様ーっ」

「お館様、万歳ー!!」


 そう、農作業に疲れた彼らを癒すその姿は、まさにアイドル。

 農民達の歓声に包まれた主君を眺めながら、遠駆けについて来た前田利家は感心したようにため息をついた。


「素晴らしい……相変わらず、信長様の女装は民衆の士気を上げるな」

「……また、おぬしはぬけぬけと白々しいことを」


 目を輝かせる利家にツッコミを入れたのは、その隣に腰掛けた木下藤吉郎である。

 もっともその目は、同様に信長から離れない。

 うっとりと主君を眺めた後、藤吉郎は至極残念そうに呟いた。


「そうなのだ。女子おなごなのだよ、お館様は……どうせうつけものと呼ばれているのだからいっそ、いつもああして着飾れば良いものを」

「こら、猿。うかつなことを言うものではない。お館様に聞こえたら、首が飛ぶぞ?」

「猿と呼ぶな、犬!」

「貴様こそ、幼名で呼ぶな! この、猿猿猿!」


 それこそ、犬猿のようにギャンギャンと言い合った二人だったが。

 藤吉郎はすぐに俯き、膝についた手で頬杖をついた。


「まあ、結局は人のものなんだがな」

「……お館様は、皆のものだ。お前の主君ものでもあるんだぞ?」


 ぽつりと落ちた呟きは、藤吉郎が自分に言い聞かせる為のものだ。

 仮に、信長が斉藤道三の次男を伴侶としていなくても。

 元百姓の藤吉郎が、主君である信長を娶ることなど出来ない。いくら功績を上げようと、だ。所詮は高嶺の花なのである。

 けれど、恋はそんな理屈で押さえ込めるものではない。

 切ないものよと思いつつ、利家が悪友の肩を叩いたその時である。


「猿、犬千代! 貴様らも早う来て、わしと踊らぬかっ」


 鈴の音のような声で、信長が二人を呼び。

 笑顔で、扇を持った手を彼らへとさしのべてくる。

 ……強制ではない、けれど、けして抗えないいざない。

 利家と藤吉郎は顔を見合わせ、やれやれと言うように笑うと立ち上がり、主君・信長の元へと駆け出したのだった。


 女城主は珍しくはあったが、全くいない訳ではなかった。だから長子である信長が、跡を継ぐこと自体に問題はない。

 だが、生憎と世は乱世である。

 それ故、侵略する口実を与えない為に信長は男名を名乗り、男として振舞っていた。

 ……結果、徳川幕府で後継は男子のみと定められたこともあり、信長=男説は定着したのである。

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