第6話 「ずるい」
気に入らないものはすべて潰して壊して見えないところに片付けてしまおうか、そんな考えがチラリと頭をよぎる。
思うだけで実行しないのは出来ないからではなく、ただ単に面倒だからだ。
それは『表』において「物騒」とか「脳筋」とか言われ、あまり推奨されない考え方かもしれなかったが、エオンにとってはごく自然で、当然な思考の帰結だった。
おそらくは、〈掃除屋〉の女にとっても。
「あたし、客分!」
「――だから?」
最初は気にもならない程度だったはずの不快さはジワジワと成長し続け、今や誤魔化しようのないほどにその存在を主張している。
エオンは何もかもがどうでもいいと感じた投げやりな気分のまま、表情を取り繕うことも止めて、盛大に顔を顰めた。
「確かに、お前は客分だ。だが、こっちはその分の対価を払ってる」
そう、〈暗殺教団〉は決して慈善団体ではない。腕利きをひとり借り出せば、それ相応の対価はきっちりと請求される。
〈ケツァーハ〉がこの女を雇うため〈ウェラル・ゼキト〉に払った額もそれなりで、真っ当に働いて得られる賃金とは程遠い。
殺す人数での依頼ではなく期間を定めての契約のため、幾らかは安く上がったのかもしれないが、まだ後金の払いが控えている。それを思えば、
「弁えろ、――部外者が」
殊更吐き捨てるように告げたくなるのも仕方なかった。
しかし、それで相手はようやく口を閉ざしたが、拗ねたような表情でむっつりと上目遣いに見上げて来る。
剣呑な気配はない、威嚇する空気も、主張を拒否された憤懣も。
そのくせ、何か言いたげな顔とじっとりとした目線は何より雄弁で。
その微妙な空気に困惑し、エオンは片眉をぐい、と吊り上げた。
何が言いたい、言いたいことがあるなら言ってみろ、意訳すればそんなところか、言葉には出されないエオンの言葉を正確に理解したのか、それとも自分の感情に忠実なのか。
まぁ後者だろうとエオンが当たりをつけていることも知らず、珍しく闊達さも歯切れの良さも鳴りを潜めた喋り方で、女がぼそぼそと言葉を紡いだ。
「…………ずるい」
「――ハァ?」
突拍子もない言葉だった。
完全に予想外の不意打ちを食らった形で、あんぐりと口が開く。
〈ケツァーハ〉の〈副頭〉という肩書を得てから――もしかしたら、その前を含めても、かもしれない――初めてではなかろうかというほど、今までになかったほどには、驚きだった。
あまりのことに素っ頓狂な声を上げた後、続ける適当な言葉を見つけられず、眉根を寄せて固まってしまったエオンに、女は酷く分かりやすく唇を尖らせて見せた。
「だって、ずるい。アイツばっかり贔屓! ずるい!」
――正直、そんなことを言われても、だ。
「…馬鹿か、お前。当然だろう、」
あからさまに動揺して挙動がおかしくなったりはしないまでも、短い音節でブツ切りになった台詞を繕うことが出来ない程度には戸惑いが隠せていない。
「あいつは身内だ。俺の側役。お前とは違う」
――そうだ、全然違う。
眉間に深い縦皺を刻んだまま噛みしめるように口中で繰り返せば、やや気分が落ち着いた。
身内は大事だ。
そして、〈ケツァーハ〉を構成するものすべてがエオンの身内。無論、あの側役も。
それを意識的に確認して、エオンはいつの間にか逸れていた視線を女へと据え直した。
「――」
困惑がひと段落してしまえば残るのは不信しかない。
こちらにすり寄るような調子の良いことを言って、一体何を企んでいるのか――思いかけて、エオンは深い溜息をひとつ吐いた。
それも、この女に何かを企むとか、そんなことが出来る頭があるならばの話で、女の頭の出来が決して良い部類でないことは、エオンが身をもって理解させられている。
それらもすべて計算の内だというのなら大したものだが、十中八九、それがないだろうことは断言出来た。
この女は仕事に関しては素晴らしく頭が回るが、それ以外についてはてんで話にならない。
――おそらく、〈掃除屋〉というものはわざとそういう育て方をされている。
それはエオンがひっそりと下した結論だったが、きっと大きくは外れていないだろう。
だが、その前提であれば、先の女の発言は言葉通りの意味で。
エオンは心底嫌そうに顔を歪めて、女に向かって問いかけた。
「…お前、俺の犬にでもなりてぇのか」
「…え、」
実際口にすると酷い内容だと思う。しかし、女が望むのはそういうことだ。
言った側ですら相当アレな発言だと思ったそれは、けれど言われた側にとってはただ「思いもしなかったことを言われた」程度の感慨だったらしく、女は「どうなんだろう」と小さく呟いて首を傾げた。
「…よく、分かんない」
その、気の抜ける返答にエオンは細く長く息を吐き、姿勢を崩して無駄に豪勢で座り心地の良い椅子の背にどさりと体を預けた。
「…突然訳の分からんことを抜かすな」
女にしてみればいつも通り、思うままに口にした言葉のひとつで、そこに特別な重みなど何も載せてはいないだろう。
だが、エオンにしてみれば〈暗殺教団〉の〈掃除屋〉に所属組織を乗り換えたいと意思表示を示されたようなもので、正直、肝が冷えた。
そんなことは許されない。どう足掻こうと、絶対に。
〈暗殺教団〉から抜けるとなれば、その集団の性質ゆえに、望むだけで対価に命を求められてもおかしくはないのだ。
〈掃除屋〉として育てられた以上、この女は〈掃除屋〉として生きて死ぬ以外の選択肢を持っておらず、許されてもいない。
そしてきっと、それを疑問に思うことさえないだろう。
なぜなら、女は――〈暗殺教団〉の〈掃除屋〉は、そのように育てられているのだから。
――けれど。
「――あぁ、でも、そうか。そうだな、それならむしろ好都合か」
時々どうしようもなく、燃え盛る炎の中に手を突っ込んでみたくなるのだ。
熱いだろうか、痛いだろうか、――炎をこの手に掴むことが、出来るだろうか。
そんなことを確かめたくなる。
「悪い癖だとは思うがなァ」
自嘲まじりに椅子から立ち上がると、不思議そうに瞬いた女がじっと目で追いかけて来る。
動くものを無条件に目で追う、肉食獣というよりはその幼獣が見せる動作に似た動きに、本格的に頬が緩むのを堪えることが出来ない。
「エオン?」
問いかける声を手で制して、エオンは先程までとは打って変わった上機嫌で壁際に置かれた棚に歩み寄ると、その扉を片っ端からパタパタと開いていく。
遠く薄ぼけた記憶に間違いがないのなら、確かこの中に放り込んで以降、取り出したことはなかったはずだった。
側役に訊けば一発だろうが、自分で遠ざけた以上文句は言えない。
幾つ目かの抽斗で目的のものを見つけ、エオンは思わず「あぁ、あった」と声を上げた。
「何?」
興味深そうに手元を覗きこんで来る女へ、エオンはニィ、と笑いかけると、手の中のものを女に押しやった。
「丁度いいからコレやるよ。つけてろ」
「え、何?」
押しつけられた小さな箱を反射的に受け取ってしまった女は、驚いたように目を軽く見張り、その箱を掲げるように目の高さまで持ち上げた。
「…何、コレ?」
しげしげと、矯めつ眇めつ手の上に載った箱を見やる女の動きは、どう見ても未知の物体を前にした小動物の幼獣が見せるそれで。
「いいから早く開けろ。――首輪だ」
笑いを堪えて教えてやれば訝しげに眉を寄せてエオンを見上げる。
「えぇ? 何それどういう…」
埒が明かないと早々に痺れを切らしたエオンは、女の手の上から箱を取り上げると自ら蓋を開け、その状態で中身が見えるようにもう一度、女の手の上に箱を置き直した。
「――わ、ぁ、」
その中身を見た女の顔が分かりやすく喜色を浮かべるのを、コイツも一応女だったんだな、とエオンは興味深く見守った。
女の手に載るほどに小ぶりな箱は〈掃除屋〉という物騒な職業に就いている女には馴染みの薄いものだったようだが、実際のところ、見ればそれと分かるほどに分かりやすく、装飾品の収められた専用の箱だった。
光沢のある布張りで、蓋が蝶番で本体と一体になった形の、小さな箱。
エオンが女に渡したそれの中に収められていたのは。
――細い金の輪が三連になった、華奢な腕輪だった。




