第2話 運命の二択
――最初は。
最初は、本当に二人きりだった。
ボスとその右腕の役はコインで決めた。
裏と表、単純明快な運命の二択。
そうして与えられた役割は、恐ろしいほど肌に馴染んだ。
それこそ、最初からそう決まっていたように。
「エオン?」
「――何だ」
記憶に没頭していて、返答が遅れた。それに気づいたアルドが簡潔な言葉で疑問を呈する。
「寝不足か?」
「…昨日の酒が抜けてねぇのかも」
「ザルのくせによく言う。あのジジイ、随分お前のこと気に入ったみたいじゃないか」
「あんなヒヒジジイに懐かれたって嬉しくも何ともねぇよ」
心底嫌そうに顔が歪んだのは本心からだ。見目の良い女に好かれるならまだしも、皺くちゃの、しかも男だなんて土下座されても御免被る。
「我慢しろ。せめて――奴の在任中くらいは、な」
「次の選挙が待ち遠しくて涙が出る」
肩をすくめて感想を述べれば、ふ、と笑う声が聞こえた。
「ま、その間はせいぜい搾りとってやればいいさ」
「あぁ、――それくらいは楽しみがないと、なぁ?」
にや、と歪めた口元は、自分でも悪役そのものだと思った。
空になった椀を膳に載せ、それを片手に部屋を辞す。それを見た張り番が慌てたように手を伸ばした。
「エオン、そんなことは俺たちが」
「あぁ、」
ついでだから気にすんな、言いながらも膳を渡して、身軽になったところで控えていた自分の側役に声をかける。
「行くぞ」
「どちらに?」
「〈教団〉から客分が来たってよ。東翼だ」
「〈教団〉って――〈ウェラル・ゼキト〉!?」
実在したんですかアレ、という驚嘆の声にエオンも「おぉ」と笑う。
「スゲーだろ。〈頭〉に自慢されたから、俺もお前に自慢してやる」
〈ウェラル・ゼキト〉は死と裁定を司る神を崇める宗教団体だ。
それ自体は、特に珍しいものでも何でもない。この国には数え切れないほどの神がいて、信仰の対象に誰を選ぼうが個人の自由だから。
同じ信仰対象を持つ者同士が集まり団体組織――教団を作るのも自由なら、彼らが私兵を持つのも、国の法が許す範囲においてならば自由だ。
〈ウェラル・ゼキト〉が特殊なのは、宗教団体の私兵が本来自分たちの身を守るためのものであるのに対し、暗殺に特化した部隊であること、――しかも、それを傭兵として貸し出していることにおいて、だった。
それらの異色さを端的に言い表したのが、〈暗殺教団〉の異名だ、とも言える。
〈ウェラル・ゼキト〉の狭義は、〈教団〉の抱える暗殺者そのものを指す。そのくらい、〈教団〉と暗殺は密接に関わっている。
相応の対価さえ支払えば、それが他神を崇める教団であっても、神など信じない者たちであっても、同じように「客」として扱う。
他神への信仰に無頓着と言えるほどに寛容で、死を厭わず、命を奪う行為を否定しない。
暗殺ならば力技でも搦め手でも、あらゆる手法で応じてくれる――それを望み、〈教団〉が望む対価を払うだけの懐と度量があるならば。
どんな無理に思える注文でも「ほぼ必ず」成果を上げる――絶対と言い切れないのは、敵対する両陣営双方に〈教団〉が関わる場合があるからだ、そんな冗談みたいな逸話が大真面目に語られるのも、この〈教団〉の特徴かもしれない。
戦場に出てしまえば仲間同士でも殺しあう傭兵の掟通り、彼らも互いに殺しあうことを厭わない、そんな事実が面白おかしく語られたのが、こんな話だ。
――ある組織が〈教団〉の暗殺者を雇い、敵対する組織の頭を潰した。
頭を潰された部下たちはすぐさま自分たちも〈教団〉の暗殺者を雇い、それを命じた組織の頭を殺した。
分かりやすい報復に次ぐ報復が繰り返された後。
互いの部下たちは、敵対組織が機能不全に陥る程度の被害を、それぞれが雇う暗殺者に命じる。
暗殺者は雇用主の命じるとおり互いの組織を構成する者たちを殺し合い、依頼を完遂させた。即ち、両陣営とも甚大な人的欠損により、組織としてはほぼ壊滅。暗殺者同士も相討ちとなり、関係者の殆ど全員が死亡。
結果、一番得をしたのは〈ウェラル・ゼキト〉。
崩壊寸前とは言え辛うじて形を残していた双方の組織の、その息の根を完全に止めたのは、〈教団〉への成功報酬だった、とか。
「待ってください、エオン」
呼び止められて振り返る。
「危険過ぎます、〈暗殺教団〉なんて」
「雇用主には逆らわねぇよ」
「ですが!」
彼が声を荒げるのは純粋にエオンの身を案じているからか、それとも己の保身のためからか。
外壁のない外回廊に流れる緩やかな風に吹かれて顔にかかった髪を軽く頭を振ることで払いのけ、エオンは愚にもつかないことを考える。
他人の善意を素直に受け取れなくなったのはいつからだったろう。
この相手――エオンの側役を務めるようになって数年経った、クストという名の男――が、素直な厚意から苦言を呈していることは分かっているのに。
「あのな、」
だからエオンもわざわざ足を止めて説明する。彼の、クストの杞憂を、少しでも払拭するために。
「ここで、俺がどうにかなるわけないだろ」
言って、トン、と足で床を軽く蹴る。
「ここはどこだ? ホラ、言ってみろ」
「――〈ケツァード・コラーハ〉の表屋敷です」
「そんで、俺は? 俺は誰だ?」
「〈ケツァーハ〉の〈副頭〉、です…」
「その通りだ。――どう思う?」
ニヤ、と笑ってみせると、クストが小さく息を吐いた。
「確かに、危険は少ないと思います。でも、絶対なんてことはない。――でしょう?」
食い下がる相手に、エオンは肩をすくめて見せる。
「そんなこと言ってたら何にも出来やしねぇよ」
人間、どんなに用心したところで、死ぬ時は転んでも死ぬのだ。
「まあ、用心するに越したこたぁ、ねぇだろうけどな」
こんな因果な商売やってんだし?
そうエオンが笑うと、クストはムッとしたように唇を引き結んだ。
「〈ケツァーハ〉は確かに〈藩〉で裏組織ですが、『表』にだって通用します。他の〈藩〉とは違いますよ」
「違わねぇよ。〈藩〉は〈藩〉だ。お前は『裏』が嫌なのか?」
「嫌じゃないですよ」
彼はそう言って顔をしかめた。
「ただ、〈藩〉が『裏』の組織だからって、何も知らない連中に一緒くたにされるのは我慢ならない」
子供のような、潔癖さ。こいつは幸せな育ち方をしたんだな、と思う。
「オレは、この〈藩〉が良い。アルドとエオンの〈藩〉が」
クストは言って、真っ直ぐにエオンを見た。
視線ではなく、気持ちが「真っ直ぐ」な目。
「――オレには、あなたが一番違って見える。あなたはすごく――真っ当に、見えるから」
言われたエオンは瞠目して瞬き、失笑した。
「それは褒め言葉じゃねぇよ」
自分が真っ当に見えると言うなら、それはエオンが『裏』ではなく『表』に見えているということだ。『裏』より『表』の人間のほうが阿漕で腐っている、というエオンの持論を知っているくせに、彼は時々こんなことを言う。
「俺はそんなに鬼畜か。えぇ?」
眉を吊り上げて問いかければ、「もっとそうなるべきだとは思っています」と大真面目に返された。
エオンは甘い、クストは常々そう言っている。エオン自身もそれを否定しはしない。
なぜなら、それは撒餌だ――これから必要な、ことだから。
「『表』向きを俺が回してるからそう見えるんだろ。俺は骨の髄まで『裏』の人間だぜ? 確認するか?」
何にも持っていない餓鬼は、生きるために悪魔と取引するしかなかった。
この〈藩〉――〈ケツァーハ〉の身内なら誰もが知っている、アルドとエオンの過去。
〈ケツァーハ〉が誕生した、その理由。
対価を誤魔化すつもりも、逃げるつもりもない。その覚悟を決めた日のことを思い出せば、自然と口元が緩んだ。
その表情を貼りつけたまま側役を見やれば、エオンの視線に呑まれた相手が足元に目を落とし、その視線から逃げを打つ。
「――申し訳、ありません」
服従を示す態度を最も分かりやすい行動で示され、エオンはそのあざとさに鼻を鳴らして、東翼に向かうために踵を返した。
「見誤んなよ」
一歩間違えれば、谷底へ真っ逆さま。それはどんな風に生きていても変わらないが、自分たちの場合、道の細さは足の幅よりも狭い。『裏』というのは、そういうところ。




