Story.9 真実の感情
本当は、見当くらいはついているのだった。
祐作が自信を持てないのは、自分で何かを判断した経験が少ないからだ。いつだって、どこでだって、道は祐作が選ぶ前にすでに敷かれていた。そしてそれは常に正しかった。今回のお見合いでさえ、正しかった。
自分で選ぶことのできなかった人生に、自信なんて持てるわけがなかった。そして、人生に自信を持てないということは、そのまま自分のすべてに自信が持てないのと同じだった。
祐作には欠けているのだ。同年代の大人なら当然のごとく持ち合わせているはずの、人生経験も、自信も。
「絢乃さんが好きだ。絢乃さんのことを、守りたい。でも、絢乃さんと結婚することができたって……絢乃さんのことを幸せにしてあげられる自信も、絢乃さんに自分を好いてもらえる自信も、どうしても、どうしても……」
込み上げた嗚咽を喉の奥に閉じ込めて、ようやく口にできたその言葉だったのに。絢乃にぐいと強く抱き締められて肺が詰まったせいで、またも遮られてしまった。
何するの、と言いかけた祐作を、次の瞬間には絢乃は引き離していた。祐作を睨むように見つめる絢乃の顔は雨で蒼褪めた上に赤く火照っていて、けれど怒っているようには見えなかった。
彼女は、泣いていたのだ。恐らくは祐作よりも、遥かに前から。
「……自信、なんて」
うなだれた絢乃は、掠れた声でそう呟いた。
「自信なんて、要らないのに。今の祐作さんだって、私にはずっと大人に見えるのに……。虚飾でもいいから『私のことを幸せにする自信がある』って、言ってほしかったのに……っ」
「……絢乃、さん」
「それとも私がちゃんと言っていれば、自信を持ってくれたんですか……? ──私、祐作さんのこと、好きです。好きなんです。ずっと、ずうっと、初めて会ったあの日から好きだったんです。だけど、私にそんなことを言われたら、祐作さんが私の気持ちを重荷に感じてしまわないかって……。祐作さんのお荷物になんてなりたくなかったから、祐作さんの心の中には私への気持ちなんてないって思ってたから、一度も好きですなんて言えなかった……。もうずっと前から、言いたかったのに…………」
そこまで言い切った絢乃はもう、ひくっ、ひくっとしゃくり上げるばかりだった。
“祐作さんのこと、好きです”
耳を確かにつんざいたはずの絢乃のそんな叫びが、祐作には未だに現実世界の出来事のようには感じられなかった。
絢乃が、祐作のことを好きだなんて。
そんな、有り得ない。真っ先に拒否反応を示したのは、他でもない祐作の心だった。──だが、その拒否反応を打ち砕いたのもまた、祐作の心だった。
絢乃が泣きながら口にしたことが、嘘なはずはない。祐作が好きになったはずの絢乃は、あんな場面で、あんな口調で、嘘を吐けるような人間ではない。それとも愛しい絢乃の言葉を嘘だと切り捨ててまで、その自己否定感を守り抜きたいのか──?
それでも、どうしても自信を持つことはできなかった。
だから祐作は、尋ねた。
「……絢乃さんの気持ち、僕は……信じてもいいのかな」
再び雨や風が吹き付けるまでもなかった。黙ったまま咽びながら絢乃は、祐作の身体をさらに強く抱き締めた。
それが絢乃なりの答えなのだと、ようやく祐作は信じることができた。言葉よりも、仕草よりも、今は肌越しに伝わる確かなこの温もりこそが、絢乃の伝えたかった想いのすべてを乗せてきてくれていた。
「そっ、か」
祐作は、呟くようにそう言った。その瞬間、熱くなった目頭から、何かが堰を切ったように溢れ出した。
好きだよ。
私もです。
大好きだ。
大好きです。
互いの言葉を貪るように言い合い、確かめ合い、祐作も絢乃も無我夢中で、相手の身体を抱き締めあった。
泣いて、笑って、また泣いた。
初めて知った、嘘偽りのない互いの気持ちの在処。祐作の心は絢乃に、絢乃の心は祐作の方に、きちんと向いていたのだ。奇蹟だとしか思えなかった。もしこれが奇蹟の残した世界なら、永遠に奇蹟が起き続けてほしかった。
本当に私が好きなんですか。どうして私なんかを好きになったんですか。嗚咽の合間に何度も尋ねられ、そのたびに祐作は絢乃に感じた魅力のすべてを語って聞かせた。今なら何度だって言える。いくら言ったって減るものではないと、今は心から信じられる。
絢乃も同じように祐作が問いかけるたび、祐作を好きになった理由を口にしてくれた。
「背が高くて大きくて、隣にいるとその大きさに守られているみたいで、安心するんです」
「すごく真面目で真摯そうで、この人ならきっと私のことを裏切ったりしない、って思えました」
その項目数は本当に多かった。そんなことない、それは間違ってる。幾度となくそうやって割り込みたくなった祐作だったが、ついに一度もそれを実行に移すことはなかった。
胸いっぱいに溢れ返った幸福感は、その程度の思いで蹴散らしてしまえるほどに軽くはなかったのだった。