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Story.5 衝動の詰問




 この寒さが、今に始まったもののように感じられないのは、祐作だけなのか。

 もしかしたら絢乃も、ずっと前から感じていたのではなかろうか。

 水の蒸散作用に従って、湿り気を帯びた肌からはじわりじわりと温もりが失われていく。少しの風が凍てつく牙を剥いてくる。雨に濡れた場所から生じた冷気が、深々と身体をえぐって心臓まで届きそうだ。

 心臓まで届いたら、どうなるのだろう。そうしたら言えるだろうか。この迷いを、この不安を。

 ただ、今はひたすら、罪悪感ばかりが募る。


 風がびゅうと吹き抜けた瞬間、祐作は絢乃の前で、小さく頭を下げていた。

「ごめん。こんなことになって」

「……どうして謝るんですか」

 絢乃の声は震えていた。怒りのせいか、寒さのせいか。どちらであっても大差はないだろう。

「僕が外を歩こうなんて言わなかったら、こうはならなかったのに」

 顔を上げることはできなくて、絢乃の細い足を必死に見つめながら祐作は言葉を紡いだ。

「これで絢乃さんが風邪を引いたら──結婚式が挙げられなくなったら、僕のせいだ。仮に外に出てきてしまったとしても、あのタワーが雨予報を教えてくれた時点で引き返せばよかったんだ。ごめん……」

「謝らないでください」

 絢乃は語気を強めた。怒っているのは確かだったが、彼女がうつむいたままなので表情の確認だけはままならなかった。

「どうして祐作さんが謝るんですか。雨が勝手に降るのが悪いんです、祐作さんは何も悪くないんです」

「…………」

「祐作さんはどうしていつも、そうやって自分を悪者にしようとするんですか。謝るくらいなら一緒に風邪、引いちゃえばいいじゃないですか。私たちが二人とも風邪を引いちゃえば、結婚式だって挙げられなくなるんですから。冷静になる時間を、もらえるんだから──」




 どくん、と心臓が痛いほどに拍動して、胸を衝かれたように祐作は身体の動きを止めた。

 それは、絢乃が初めて自分の口から、本音らしき言葉を吐き出した瞬間であった。


 ああ。天を仰ぎ、そう口にしたくなった。

 やっぱりそうだったんだ、と思った。

 絢乃だってこんな結婚式、いや結婚そのものが、不本意なのだ。

 当たり前の事実にこんなに驚いている自分がいる。驚いているのとは、少し違うかな……。浅い呼吸を繰り返しながら、祐作は自分の思いを分析した。

 驚きのようではあるが、実際は似て非なるもの──ショックを受けているのだと。

 だとしても、どうしてショックを受ける必要があるのか。この結婚が間違いだと思うなら、ここで祐作がすべきことはたったひとつ。『やっぱり結婚はやめよう』と絢乃に告げ、親を説得することだ。ショックなど受ける道理も、必要もない。

 そして、このショックが親の期待を裏切ることへの背徳感から来ているものでないことは、さすがの祐作にも分かっていた。


「……絢乃さんは、結婚式、やめたい?」


 それでも、そう問わずにはいられなかった。

 雨音がやけに大きい。もしも雨音がなかったら、開く音も聞こえたのだろうか。そう錯覚しそうになるほど、絢乃は大きく目を見開いた。六月の雨に晒されたその顔には、水滴の通った跡が幾つも流れていた。

「私も今、同じことを聞こうとしたところだったのに……」

 え、と祐作は声を搾り出した。せっかく上げた顔を絢乃が下に向けてしまったのと、同時だった。

「本当はこんなこと、聞きたくなかったんです。だけど、言わせてください。謝ってくる祐作さんを見ていたら、どうしても、どうしても、言わずにはいられなくて」

 声を震わせながら、絢乃は祐作に向かって訴えかけた。

「親がどうとか、私がどうとか、そんなことは何でもいいんです。本当の気持ちを教えてください。私と結婚するのは、祐作さんの本心からですか。もし本心でないのなら……もう、結婚なんて……」




 その問いは、雨に濡れて凍える今の祐作には、あまりにも残酷な質問だった。




「僕、は」

 言いかけて、言葉が続かなくなった。ガラス天井の作るがらんどうの大空間に、ひび割れた自分の声が嫌と言うほど反響した。

 結婚するのが嫌なのか。……違う。

 親の言う通りの道に従うのが嫌なのか。……今さらそんなことは、思えない。

 ならば、この心の迷いは何だ。不安は何だ。強く詰問した時、自分と同じように雨に濡れて凍えながら、祐作の返事を待っている絢乃の姿が目に入った。

 それが答えだった。答えが視覚的に飛び込んできたのと同義だった。






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