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Story.4 雨天の夜道




 二人は、幹線道路が幾つも合流する大きな交差点に出た。

 今度もどちらからと言わず、二人の足は左に舵を切った。右に行けば繁華街が、直進すれば高層マンションの建ち並ぶ一角がある。明るい場所から意図的に逃げたかったのかもしれなかった。

 左、すなわち北に向かってゆくその道路は、ぎっしりと詰まった住宅街の中を縫うように抜けていく細い道だ。歩道も二人で並ぶのがやっとの狭さで、祐作も普段は必要でない限りは通りたくない。もっとも、この道沿いに新市役所が建っているので、通らざるを得ないのだが。

 このまま、どこまで行こうか。このまま歩いていったら、どこに行き着くだろうか。

 車が全く来ないという意味では、この時間帯のこの道は安全だ。前方注意に向けるべき視線を、祐作は歩きながら足元に向けた。前を向き続けるのは、疲れるからだった。

 でも、交互に現れるだけの足と、冷たい艶を放つ漆黒の路面を見つめているのも、かえって疲れてしまった。

 どうしてだろう。反射的に祐作は、絢乃の顔を窺おうとした。

 絢乃も祐作と同じようにうつむいていた。その口は真一文字に結ばれていて、長い睫毛に隠れた瞳は祐作の足先へと視線を注いでいた。その横顔が、ひどく哀しそうに──虚しそうに見えた。


「絢乃さん」

 思いがけず、祐作は絢乃の名前を呼んでいた。

 絢乃が立ち止まって祐作を見る。責められているように思って、祐作は開きかけた口で言った。

「……ごめん。何でもないんだ」

「……そう、ですか」

 絢乃が何かを言いたそうにしていたのが、今度は容易に感じ取れた。

 ああ、今度も言えなかった。その場に立ち止まったまま、身体の重さを足にじかに感じながら、祐作は言い様のない後悔に包まれた。途中で言うのをやめてしまっても、口に出したかったことははっきりと覚えている。

 『僕と歩いていても、楽しくない?』──そう、聞きたかったのだ。


 楽しいわけがない。

 恋愛関係など、この二人の間にはないのだから。

 二人はまだ出逢って幾何(いくばく)も経っていない、なのにこれから無理やり『夫婦の契り』を結ばされるだけの関係なのだから。


──なんで、僕なんだろうな。

 この数日、いつも祐作は考えていた。

 どうして祐作だったのか。どうして祐作でなければならないのか。絢乃ほどの女性なら、他にも似合う相手は幾らだっているだろうに。密かに想いを寄せる人だって、どこかにはきっといるのだろうに。

 どうして絢乃は自由な恋愛を許されず、わざわざ自分のような人間と引き合わされなければならなかったのか。こんな、親の言いなりにすることを生き甲斐にしてきたような、まるで人形のような人間と……。


「…………」


 悔しくて、申し訳なくて、募った思いを息に乗せて吐き出す先を探して、祐作は空を見上げた。




 その鼻先に、ぴとん、と水滴が跳ねた。

「!」

 祐作と絢乃は顔を見合わせた。その額にも、ぴとんと冷たい衝撃が走った。

 雨だ。

「降ってきた……」

 やって来た方向を見やり、絢乃が掠れた声を上げた。視線の先、霧のように霞む空気の彼方に、青色の電飾を輝かせたあの電波塔が見えた。そうだった、雨の警告はずっとなされていたのに。

 立ち尽くしている間に、雨は徐々に勢いを増していく。ぽつりぽつりと服に染みを落とすほどだった雨は、十秒もするとそれなりの雨量へと変わってきた。

 こうしてはおられない。

「どうしよう……」

「どうしましょう……」

「市役所まで行こう。走れる?」

 祐作の思い付きに、絢乃は頷いた。本人なりに力強く頷いたつもりなのであろうことは、読み取れた。

 市役所までは徒歩で三分ほどだ。祐作が先に立って、二人は駆け出した。祐作の考え得る限り、こんな深夜に雨宿りのできるような建物は、このあたりでは市役所以外には存在しなかった。




 追い立てようともせず、立ち止まって休むことも許さず。

 さーっと耳に快い音を立てながら、雨は降り続ける。




 昨年秋に竣工、冬に移転が完了したばかりの新市役所は、七階建ての大きな本庁舎棟と四階建ての議事堂・文化ホール棟を、巨大なガラス張りの屋根で接続した構造になっている。曰くその大屋根には、合併した二つの市を視覚的に『繋ぐ』イメージが込められているのだという。

 普段はイベントに利用される大屋根下の空間も、さしもの深夜になれば人っこ一人おらず、大屋根に落ちる雨の音を反響させるばかりだった。敷地の前は住宅街、そして後ろには都心の大学が所有する広大な農園が広がっており、今は雨音以外に聞こえる音はない。

 そこに、祐作と絢乃の靴音がけたたましく響き渡った。


 ぽたぽたと服から雨水を垂らしながら、二人は屋根の下に何とか逃げ込んだ。

 梅雨独特の、しとしとと長続きする雨だ。勢いはさほど激しくないものの、いったいいつ止むのか見当もつかない。それに傘を持ってきていない二人からすれば、どうせ濡れるという意味では雨の勢いなど関係なかった。

「濡れたな……」

 服の裾をぎゅうっと絞りながら、祐作は雨音にも負けそうな小さな声で言った。絢乃からの返事はなかったので、今のは独り言だったと思うことにした。

 絢乃は口を閉じたまま、靴を見つめながら立っていた。その長い黒髪からも水が(したた)っていて、表情は何も見えなかった。ぐっしょりと水を吸い込み肌に貼り付いたワンピースが、何とも言えず妖艶で、祐作は唇を噛んだ。こんな時に、そんな馬鹿なことを考えるなんて。自分を戒めたつもりだった。

「……寒いですね」

 滴る雨粒のように、絢乃の口から言葉が落ちていった。

「僕もだよ」

 祐作も後を追うように、言葉を落とした。

「すごく……寒い」


 雨音の音量が、少し大きくなった。





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