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Story.2 沈黙の二人



 二人は今日、結婚する。

 だが、祐作は絢乃のことを、絢乃は祐作のことを、ほとんど何も知らないに等しかった。


 祐作の両親は、そして絢乃の両親は、自らの子どもを気にかけることを生き甲斐にしているような人々だった。

『ここの高校を受験しなさい』

『ここの大学を受けるといい』

『ここの市役所がおすすめよ』

 未来を選択する時、両親は祐作の肩にそっと手を置いて、いつもそう耳元で囁いた。そうして暇さえあれば何度も繰り返し、教え込んだ。私たち親は色々なものを見て考えてきた、だから親の言うことは正しい、私たちに従っていれば間違いなんて犯すことはないのだ、と。

 実際のところ、それは真実だった。二十五年間の祐作の半生はおよそ順風満帆と言って差し支えなく、浪人も留年も、あまつさえ就職難すらも経験することはなかった。学校では常に成績優秀だったし、法を侵す行為に手を染めたこともなかった。誰よりも祐作自身が、親によって示された道の正しさを確信し続けていた。自分で道を選ぶ機会などはごく少なかったし、自分が道を選んでも失敗しそうだ、とも思ってきた。今日まで一度も女性と交際関係を持ったことがないのは、それが理由の一つでもある。

 絢乃も似たようなものだったそうだ。女子が一人で長距離を通学するのは危険が伴うという親の方針に基づいて、彼女が大学に通うことはなかった。箱入り娘という表現がまさにぴったり来るほど大切に育てられた絢乃は、家事や家計管理の能力も申し分なかったし、もちろん誰かに身体を許したこともないという。

 そして三ヶ月前。さらなる生活基盤の安定を求めた両親たちは、結婚するという前提で二人をお見合いさせた。無論、祐作の心の中に、断るという選択肢は存在し得なかった。絢乃もそうだったのだろうか。

 片や、安定志向の就職先としては最も優秀な市役所勤務の、真面目で年齢の割には高給な好青年。片や、家のこと一般を取り仕切ることに長け、良識と若さを兼ね備えた清純な女性。これ以上に理想的な組み合わせがあろうかというほど、祐作と絢乃の組み合わせ(カップル)の印象は良かったわけである。かくして親たちの熱烈な推しを受け、二人は“恋人”となった。

 あれから、三ヶ月。親たちの間で挙式の準備は着々と進んだ。当の祐作と絢乃は、まだ六、七回ほどしか顔を合わせたこともないのに。



    ◆



 都心まで続く長いこの幹線道路も、丑三つ時を過ぎた今は流れゆく静けさに表面を撫でられながら、夜明けが来るのをじっと待っている。

 ふと、祐作は後ろを見た。待ち合わせをしたあの電波塔が、遥か後方にまで遠ざかっていた。

 田無タワー青く光ってますね、と絢乃が隣で呟いた。闇夜に突き刺さるようなあの電波塔は、このあたり一帯の地名を冠したそんな通称で呼ばれていた。

「明日の天気──違う、今日の天気を予報しているんだったか」

 目を細めながら、祐作は答えた。絢乃がこくんと頷いた。

「紫が晴れで、黄緑が曇りだな」

「青は、雨です」

「今はまだ、晴れているのにね」

 塔を見上げながら、祐作は言った。塔の上にかかる高い空には、灰色の雲が広がっている様子はまだ見られない。

 だが、季節は六月。梅雨入りした今となっては、いつどこから雲が迫り出してきて雨を降らせても、何も不思議なことはないだろう。

「せっかくの式なのに、雨なんですね」

 絢乃の声は残念そうというより、淋しそうだった。

 ジューンブライド。六月に結婚式を挙げることは、そんな特別な名称で表現される。六月を意味する単語“June”が結婚生活の守護神の名と同じであることから、西洋ではジューンブライドの花嫁は幸せになるという言い伝えがあるという。だが、六月がじめじめとした梅雨の真っ只中である日本においては、むしろ六月は結婚式に適さない時期として忌み嫌われる傾向にあった。

 仕方ないのだ。日取りを決めたのは、二人ではなく親たち。出逢ったあの日から式の準備を始めた場合、最速で挙式できるのがたまたま六月だったのだから。




 畑や郊外型店舗、そして高圧鉄塔ばかりだった沿道の風景に、だんだんと中高層のマンションが混じり始めた。

 この市内で一番に大きな私鉄の駅が、右斜め前のあたりに近づいてきているらしい。何層も重なった廊下に輝く常夜灯の数々が、そうでなくても見えにくかった空の模様に(もや)のような膜をかぶせてしまった。光はあるのに人のいない不思議な空間が、市街化の進んだこの町にはどこまでも広がっている。

 祐作と絢乃はふと、立ち止まった。目の前の歩行者信号が、ちょうど赤に変わったところだった。

 祐作は特に考えもなく、左に足を向けた。絢乃も同じタイミングで、身体の向きを変えた。

「道、反対側に渡ろうか」

「大丈夫です」

 馴染みのやり取りが、ここでも交わされた。

 どうして渡ろうと思ったんだろう。青く光る歩行者信号の下をくぐりながら、祐作は考えた。結局、その答えにたどり着くことはなかったが、高い建物を背にしたことで心のどこかがほっと、安堵の嘆息を溢したような気がした。

 祐作も絢乃も、黙って歩く。縞模様の横断歩道に落ちた二人の影は、顔色が窺えないせいか、二人というよりも一人と一人のように見えた。





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