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Story.1 夜半の街






 ベッドの中で、何度も寝返りを打った。

 気温は高くはないはずなのに、べったりとした汗が鬱陶しく、寝間着にまとわりついた。

 眠れない、長い夜だった。


 枕元に腕を伸ばすと、愛用のスマートフォンが手先にそっと触れた。

 スマートフォンを手元へ引き寄せた西原(にしはら)祐作(ゆうさく)は、画面の電源をそっと入れた。暗闇に目映い白色の光が溢れて、その眩しさに思わず目を閉じてしまった。慣れてきた頃合いを見計らって、メールを起動した。


『起きてる?』


 思い付いて打った、たった五文字の本文。

 短いその文面を幾度も目で確かめて、送信ボタンをタップした。緊張の一瞬が過ぎると、浅い息は深呼吸に変わった。

 果たして返信はすぐに送られてきた。先刻、祐作がメールを送った相手──久保(くぼ)絢乃(あやの)の名前が、二分と経たずにスマートフォンの画面上に浮かび上がった。


『起きてます』


 祐作は、ほっ、とため息を漏らした。どうしてため息だったのか、自分でもよく分からなかった。

 僕も起きてるよ──何も考えずにそう返信しようとして、その返信が何の意味も為さないことに気付いた。

 だから代わりに、少し考えてこう送った。

 

『散歩でも、どうかな』




 時刻は、深夜二時。

 夜の帳に覆われた街並みはどこまでも暗く、静かだった。しんとした冷気が、肌に心地よく触った。

 街路灯に青白く照らされた細い道を行くと、交通量の多い大きな通りに出る。ずらりと並んだナトリウム灯が路面をオレンジ色に輝かせて、ここは特別な道なのだ、と言外に示しているようだった。電飾をすべて落として眠りに就く郊外型店舗たちの向こうで、見上げれば首が痛くなりそうなほどに背の高い電波塔が、青い光の帯を頂上付近にまとって立ち上がっていた。

 その尖塔を目指して、祐作は早足で歩いた。踏みしめるアスファルトは心なしかいつもより固くて、歩きにくかった。

 巨大な塔の真下にある交差点の、規則正しく光を点す信号機のすぐ横。そこに、祐作の求める人は待っていた。祐作より十五センチほど低い、身長。どことなく清楚な雰囲気を感じさせる、膝丈のワンピース。──絢乃だった。


「ごめんね。待たせたね」

 祐作の言葉に、絢乃は少しうつむいて答えた。

「いえ……大丈夫です」

 そうか、としか祐作は口にすることができなかった。

 車の往き来も少ない時間帯。時折、横を通過する前照灯の光の輪が、たたずむ二人の影を歩道に叩き付け、ぐるりと回して走り去ってゆく。そうやってどのくらい、無言の時間も過ぎ去って行っただろう。

「歩ける?」

 祐作はぽつりと、尋ねた。

「大丈夫です」

 絢乃もぽつりと、答えた。


 沈黙の間にお互いの歩き出すタイミングを探って、祐作と絢乃は同時に、一歩を踏み出した。



    ◆



 公立の高校、公立の大学を卒業して、今は公務員として役所に勤める日々を送る、二十五歳の祐作。

 公立の高校を好成績で卒業したにも関わらず、大学には進学せず今は書店員として働いているという、二十三歳の絢乃。

 二人は、親の方針で行われたお見合いで出逢った仲であった。本人たちよりも先にお互いの親が互いを気に入ってしまい、気が付けば段取りは既に結婚式の直前まで進んでいた。

 今日の昼、二人は結婚式を挙げ、正式に夫婦となることになっている。昨日の夜のうちに祐作も絢乃も、形ばかりの『お別れ会』を両親と開いた。式場の準備も整っている。茶化すつもりか本気なのかは定かではないが、二人の友人たちも式に出席すると連絡をくれている。

 後戻りのできない、いや許されない未来が、祐作と絢乃の前にはぽっかりと開いている。




 そうでなくとも少ない車通りが、一瞬だけゼロにまで減少することが何度もあった。

 刹那、二人の足音はひときわ高く町に響いて、この世界を構成するのが自分たちだけであるかのように祐作には思われた。

 祐作も絢乃も、本当にただ歩いているだけだった。会話も交わさず、目的地も享有することなく、どこかを目指してただ黙々と足を運んでいた。アスファルトで綺麗に舗装された道が、どこまでも無尽に続いている。まとわりついた熱気は、ついたそばから漂う冷気が引き剥がしてくれる。このままどこまでも歩いていけてしまいそうだった。


 なんとなく乾いてきたような気がして、祐作は唇をそっと舐めた。舐めた拍子に、ふと、隣を歩く“恋人”のことが気になった。

「疲れてない?」

 訊くと、一秒ほどの間を空けて絢乃は答えた。

「大丈夫です」

 こういう種類の問いかけをして、この子から『大丈夫です』以外の答えをもらったことなど、数え上げられるほどしかない。そうか、と祐作も返した。『大丈夫』と『そうか』の組み合わせは、きっと便利すぎるのだ。自分もこの子も多用してしまうのはそのせいだ、と思った。

 だから、『大丈夫』と同じトーンで絢乃が疑問の言葉を口にした時、祐作はほんの少し、戸惑った。

「祐作さんは、疲れていませんか」

「……僕?」

「だって、徹夜じゃないですか」

「それは、絢乃さんもでしょ」

 絢乃がこくんと頷いた。その目元に隈がないのを確認してから、祐作は答えを考える。

「……大丈夫だよ」

 結局、それしか思い付かなかった。そうですか、と絢乃は答えた。


 それきりまた、二人の間には沈黙が流れ込んだ。







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