Ⅱ 傷口
「久しぶりだな、由宇」
診察室のドアを開けると、甘い笑顔に迎えられた。
蒼井外科医。大きな怪我は全部市民病院で診てもらっていた。外科医は何人もいるのに、何故か毎回蒼井先生が担当だった。
人気の医師なのに、毎回担当というのには違和感があったけど、自然と親しくなっていた。
「来ない方が良い場所でしょう。もう道場には行っていませんし」
「まあな。大怪我なんて滅多にするもんじゃないしな。で、今回は……何だコレ」
傷口を見て、先生は眉を寄せた。
縫う必要がある傷だったため、すぐに麻酔を打たれ、麻酔が効くまでの間傷口を凝視された。
「薄い金属板で切ったような……何で切ったんだ?」
「わからないんです。何もないところで突然」
痛みを感じてから咄嗟に周りを見回したが、凶器になるようなものは何もなかった。血がついたモノもない。
だからこそ、かまいたちだと思った。
「とにかく縫うか」
先生は素早く針を進めた。傷口は強制的にくっ付けられていく。麻酔といい、容赦がなかった。
怪我は慣れているけど、痛くないわけではない。
「しばらく動かすな。お前が思っている以上に傷は大きい」
縫合は済み、ガーゼで覆われて最後に包帯を巻かれた。
包帯を見ると、大怪我をしたと自覚する。あの痛みの記憶が蘇った。
何もないところで。
腕が切れていた。
「知り合いの医者に、友人に刑事がいる奴がいる。そいつにこのことを言っておくけどいいか?」
「はい。また同じことがあるかもしれませんし」
自分だけでなく他の人も被害に遭ったら。この程度じゃ済まないかもしれない。
右腕が鈍く痛んだ。
治療中もずっと『視線』は離れなかった。
「どうしたの!?」
帰って早々に大騒ぎしたのは弟の宙翔だった。母さんはいつもと変わらず穏やかに笑っていた。
右腕を胸の高さまで上げて、包帯がしっかり巻かれているのを確かめた。
「なんか切れた。かまいたちかなーって。蒼井先生に縫ってもらってきた」
「縫ってって……大丈夫なの!?」
まあ大丈夫じゃないな。
麻酔が切れてから、ジクジクと痛んでいる。これほどの大怪我は久しぶりだから、余計に痛く感じるのかもしれない。
宙翔が騒いでいる中、母さんは穏やかに聞いた。
「一人で病院に行って帰ってきたってことは、一人で大丈夫ね?」
「うん。骨折じゃないから、補助はいらない」
空手の練習で足を骨折したときは補助が必要だったけど、今回は普通に動かせる。
迷惑をかけたくなかった。たとえ家族でも。家族だからこそ。
『視線』はずっと付き纏っている。
「由宇が怪我するなんて久しぶりね。かまいたちだと仕方ないけど」
「明日も病院に行ってくるよ。一応原因不明の怪我だから」
平気だとわかるように笑みを浮かべた。笑顔でごまかされてはくれないだろうけど、追及はなくなる。
宙翔の何か言いたそうな表情に頭を撫でることで応え、いつもどおりに食卓に着いた。
突き刺さるような『視線』が痛かった。