Ⅰ 視線
視線を感じた。
何度も、いろんな場所で、角度で、悪意の込もった視線を感じた。
視線を感じる方向に目を向けても何もない。監視されているような、覗き見されているような、嫌な視線が付き纏っていた。
「ストーカーなんじゃないの?」
「僕に? それはない」
あっさり否定すると、机を挟んで正面に座る名波咲良は口を尖らせた。
咲良じゃあるまいし。僕にストーカーは考えられない。
咲良は元モデルで、美形に分類される容姿を持っている。今は、中学を卒業したら芸能界に復帰するために、芸能事務所に登録している。
もしかしたら、咲良関係の嫌がらせか。
いや、それならこんなに不確かなものじゃない。教室内でこんな視線があるはずない。
「そういうのじゃなくて。気持ち悪いというか」
呪いってこういうものかもしれない。じわじわと、自覚させて追い詰めていくような。自分が悪いのだと思い込ませるような。
身体ではなく、精神に作用する。
「というわけで、学校以外では別行動でよろしく」
「はあ!? なんでだよ!」
「なんででも」
不満そうな咲良を無視して決めた。
巻き込みたくなかった。飛び火がないとは言い切れない。
今だって、首の後ろに視線を感じている。
じっとりと、張り付くような視線は、神経を蝕んでいくようだった。
声が聞こえた。微かな声で、呼ばれた。
背中から首に駆け上がるように、寒気がした。
ぞわり、と撫でられるように。ぬめり、と舐められるように。粘着質な声が耳元で囁かれた気がした。
「聞こえて……いるのか?」
そう囁く声は、頭の後ろから聞こえた。咄嗟に鞄を振り回したが、手応えはなかった。
辺りを見回してみても何もない。人通りはなかった。
気持ち悪い。
視線だけじゃなく、声も。
視線は前より増えた気がする。複数の眼を感じた。それに伴って、悪意も増えている。
ピリピリと突き刺さるような感覚が、肌を刺激した。
なんでこんな目に。鈍感であれば良かったのか。気付かなければ幸せだったのか。
でも、知らなくても何かがそこにある。
「誰かいるんですか?」
返答はなかった。先程の声も答えなかった。息遣いさえも聞こえない。
息をしないモノなのか。それは幽霊と言われるものなのだろうか。正体不明なのだから、近いものではある。
どうすれば。
頭が痛くなってきた。
「気付いているのは僕だけっぽいし」
思わず漏れた独り言に、空気が揺れた気がした。
頭の上から。背後から。
複数の目が見ている。
無自覚であったなら。こんな思いはしなくて済んだ。
「ッた!」
ピリッと走った痛みに、腕を見た。
一筋の傷がある。それはすぐに見えなくなり、血に埋まった。
だらだらと流れる血液。思ったより深く切れているようだった。
『かまいたち』という現象なのか。これなら通り魔の方がマシだ。通り魔なら実体がある。
一人で帰って良かった。ここに咲良がいたら、と思うと鳥肌が立った。
傷口をハンカチで押さえ、ズキズキと痛む腕をなるべく動かさないようにして病院へ向かった。