ひとりぼっちの魔法使い
いつの時代か、わかりません。
ここがどこかも、わかりません。
(どこの国だか、わからない)
(どこの森かも、わからない)
ふかいふかい森の奥に、ひとりの魔法使いが住んでいました。
それは、子供ほどの背の高さの、ちいさな魔法使いです。お顔の方も、まだまだ幼い男の子のように見えます。魔法使いの、暗い色の洋服が、全く似合っておりません。
でも、そんなことはどうでも良いのです。
だって、魔法使いはひとりぼっち。気にするものは、誰もいないのです。
(ひとりぼっちの魔法使い)
(ちいさなちいさな魔法使い)
魔法使いは、いつも決まった時間に起きて、決まった時間に眠ります。
決まった時間にごはんを食べて、決まった時間に散歩をします。
そうして何をする時も、かならず小さな袋を首から下げて、服の下に隠しているのです。
大きな声では言えませんが、袋の中に入っているのは、魔法使いにとって命と同じぐらい大切なものなのです。
(魔法使いの宝物)
(大事な大事な宝物)
ある日の朝の事でした。
魔法使いがいつものように目を覚ますと、家の前に見たこともない白い馬がいました。
「お探ししました。ちいさな魔法使い」
白い馬は言いました。
「私は、白い魔女のしもべ。魔女さまが、ちいさな魔法使いにご用があります。さあ、私に乗って下さい」
魔法使いに、白い馬は身を寄せます。
でも、魔法使いは首を振りました。
「ご用とは、何だ?」
「それは、あるじが話されること。さあ、お急ぎ下さい。白い魔女さまは待たされるのが一番お嫌いです」
「では、ひとりで帰るといい。ぼくは、用件も言わないものについて行くつもりはないから」
白い馬は、びっくりしました。
白い魔女は、とても強くておそろしい魔法使い。その魔女に逆らうものがいるとは、思わなかったのです。
(なんて、なまいきな魔法使い)
(ちいさなちいさな魔法使い)
「おそろしい。ちいさな魔法使い。あなたは白い魔女さまに逆らうのですか?」
白い馬は、魔法使いに食ってかかります。でも、魔法使いはやっぱり従おうとはしません。
「間違っているのは、魔女の方だ。世界の王様だって、人を呼び出すときは、理由を言う」
「王様と魔女さまを比べるのか? あなたは、間違いなく白い魔女さまを怒らせる。ああ、おそろしい。私は、このことを魔女さまに言わなけければ……」
白い馬は背から翼を取り出して、空をかけて行きました。
それを見届けてから、魔法使いは何やらごそごそとそこいらを探します。
取り出したのは、背負い袋に、動きやすい服装。そして、厚手のマントと少しの食糧、水筒。
どうやら、魔法使いは旅に出るようですね。
そう。魔法使いは、本当は知っていたのです。白い魔女が、魔法使いを探していた理由を。
魔女は、この世界を壊そうとしている。そうならないために、魔法使いは旅に出ることにしたのです。
(魔法使いは、旅に出た)
(たったひとりで、旅に出た)
(行くは行くは、東の山)
(険しい険しい、山の中)
そう。東の山はとても険しく。
そこには、恐ろしいドラゴンがすんでいると言われています。
青いうろこで全身をおおわれていて、口から吐き出す青い炎は、鉄さえも溶かすそう。
「久しぶりの客は、こんな小僧か。面倒くさい」
ドラゴンは、つまらなさそうに青い炎を吐き出しました。
でも、その炎は魔法使いには届きません。
だって、ドラゴンは魔法使いを殺すつもりはないのです。
ただ、おどろかせて、どこかに行ってもらおうと思っただけなのです。
なぜって、ドラゴンはとても面倒くさがりやさんで、いつも「面倒くさい」と言っています。
ドラゴンにとっては、何が起こっても、ただ面倒くさいだけなのです。
(面倒くさがりやの、ドラゴンさん)
(ひとりぼっちの、ドラゴンさん)
魔法使いが逃げもしなければ驚きもしなかったので、ドラゴンは逆にびっくりしました。
「北の山の主よ。ぼくは、あなたに贈り物を持って来ました。これがあれば、少しは面倒くさくなくなるんじゃないかな」
「なにを、こしゃくな小僧め。お前が、何を持っていると言うのだ」
「心、です」
そう言って、魔法使いは大事な袋を手に取りました。
袋の中には、赤ちゃんの拳ぐらいの大きさの石が入っています。中には赤やオレンジなどの綺麗な色が渦巻いていて、とても不思議な色合いです。
(魔法使いのたからもの)
(大事な大事なたからもの)
「ここには、いろんな心が詰まっています。この中には、あなたに必要な心も入っている。その心を贈ります。だから、あなたの心をぼくに少し、分けて下さい」
「面白い。だが、その心とやらがつまらないものだったら、その石ごと炎で溶かしてしまうぞ」
魔法使いは頷いて、右手に石を持って左手をドラゴンにかざしました。
薄紅の光が、ドラゴンを包み込みます。
「なるほど、これは」
光が消えた後で、ドラゴンは満足そうに笑います。
「面倒くさい、だが、悪くない。お前の言う通りだな、ちいさな魔法使い。おれに足りなかったものが、解ったよ」
それは、ちいさなきっかけ。
足りなかったのは誰かを思いやる、ちいさな気持ち。
魔法使いは嬉しそうに頷くと、石を袋に片づけました。
赤やオレンジの中に、少しだけ青い色が混じった石を。
(魔法使いは、旅に出た)
(たったひとりで、旅に出た)
(行くは行くは、西の密林)
(暗い暗い、密林の奥)
魔法使いの旅は続きます。
次に来たのは、西にある密林。
うっそうとした密林の奥に、何もかもが大嫌いな、嫌われ者の黒豹が住んでいました。
(嫌われ者の、黒豹さん)
(ひとりぼっちの、黒豹さん)
「こんにちは。黒豹さん」
「なんだ? 小さな魔法使い。この、嫌われ者のおいらに、何の用があるってんだ?」
黒豹は、魔法使いに向かって、牙を剝きます。でも、魔法使いはひるみません。
「ぼくは、あなたを嫌っていない」
「ああ、そうだろうともよ。おいらとあんたは、会ったばかりだからな。でも、おいらはあんたが大嫌いだし、あんたはおいらを嫌いになる」
「どうして、そう思うんですか?」
「なぜって、おいらは誰のことも大嫌いだし、だから、だれもおいらに近づかない」
ぷいと背を向けた、その背中はとても寂しそうで。
魔法使いは、優しく声をかけました。
「あなたに、必要な心を贈ります。だから、あなたの心を少しだけ、ぼくに分けて下さい」
「そんな事が、出来るのか?」
魔法使いは、石を取り出しました。あの、色とりどりの石です。青い筋が新鮮です。
(魔法使いのたからもの)
(大事な大事なたからもの)
魔法使いが左手をかざすと、柔らかなだいだい色の光が黒豹を包み込みます。
「本当、なのか?」
光が消えると、黒豹はどこかぼんやりしながら言いました。
「誰も、おいらが思うほど、おいらの事を嫌っていない」
それは、ちいさなきっかけ。
足りなかったのは、理解をしようという思い。
魔法使いは、石を片付けます。
少しだけ、濃い緑色が混ざった石を。
(魔法使い、旅に出た)
(ひとりぼっちで、旅に出た)
(行くは行くは、南の海)
(深い深い、海の中)
魔法使いの旅は続きます。
南の海底には、ウミガメがいました。
外に出る事が恐ろしくて、外の世界が恐ろしくて。
いつも、殻に閉じこもったままのウミガメがいました。
(孤独な孤独なウミガメさん)
(ひとりぼっちの、ウミガメさん)
さすがの魔法使いも、今度は困ってしまいました。
なぜって、ここは海の中。魔法使いの声は届きません。
「仕方ないか」
魔法使いが魔法を使うと、空気の泡がウミガメを包みます。これで、声が届くようになりました。
「何をするんだ。魔法使い。ワシは、何も見たくない。何も聞きたくないからここにいるんだ。ワシのことはほおっておいておくれ」
「世界には、きれいなものや楽しい音にあふれているのに?」
殻に閉じこもったままのウミガメに、魔法使いは語りかけます。でも、ウミガメは頭を出そうともしません。
「みにくいものやおぞましい音など、見たくない。聞きたくない」
「あなたに、必要な心を贈ります。代わりに、あなたの心を少しだけ分けてくれませんか」
「ワシは、そんなものはいらない。必要なものなど、ない」
「本当に?」
パンと小さな音を立てて、空気の泡がはじけました。もう、魔法使いの声はウミガメには届きません。
すると、ウミガメはとてもさみしくなってしまいました。
殻の中で、ひとりぼっち。何も見えない。なにも聞こえない。今まで、当たり前だったその事が、たまらなくさみしくなってしまったのです。
ウミガメは、そっと頭を出してみました。
久しぶりに目にした海は、とてもきれいな色でした。色とりどりの魚たちが、ウミガメの周りを泳いでいました。
海の中に、ちいさな魔法使いは立っていました。
ウミガメを見て、笑っています。
「あなたには、ぼくの魔法は必要ない」。声は届きませんが、そう言っているようでした。
「いや、おまえさんの魔法はもらったよ」
ウミガメが言います。
「ワシの心、持って行くといい」
それは、ちいさなきっかけ。
足りなかったのは、さみしさを知る事。
魔法使いの旅は、続きます。
ぐるっと世界をひとまわり。出会うものたちに、少しだけ心をもらって。
袋の中の石は、色んな色が渦巻いています。
(魔法使いのたからもの)
(大事な大事な、たからもの)
そんなある日の事。
魔法使いは北の平原にやって来ました。
そこには何もありません。
ただ、白い平原が広がっているだけ。
「久しぶりですね。小さな魔法使い」
声をかけてきたのは、いつかの白い馬でした。
「助けて下さい。魔法使い。私は、白い魔女の元から逃げ出して来ました。魔女は、世界全部をこの白い平原に変えてしまおうとしています。そして、その事を知ってしまった私を、殺そうとしているのです」
「ぼくに出来る事は、相手の心を少しだけもらって、欲しい心を少しだけ渡す事」
「私にも、失った心があるのです。魔女に奪われた心」
本当でしょうか?
魔法使いが、一歩、馬に近づきます。
あの、魔法の石を左手にしっかりと握りしめて。
その時です。
『かかったな、魔法使い』
しゃがれた声が、聞こえました。
魔法使いが、慌てて身を離すよりも少し早く。
白い馬の姿がゆらいだかと思えば、そこには白いドレスの、太った女が立っていました。
女は素早い動作で、魔法使いの手から石を奪い取ってしまいました。すると、魔法使いは、ばったりと倒れ込んでしまいます。
女の手の中で虹色に輝く石こそは、魔法使いの命そのものだったのです。
(魔法の石は、魔法使いの魔力)
(魔法の石は、魔法使いの生命)
「これで、邪魔するものはいない。私は、この世界を自分の思うように変えるのだ」
魔女の願いは、世界中を真っ白にしてしまうこと。何もかも、無くしてしまう事。
「簡単に、終わらせるな。精霊達」
不意に、石の中から魔法使いの声が響きました。
(言われて、精霊たち?)
(精霊たちって、誰のこと?)
「そこでおしゃべりをしている、お前達のことだよ。たまには、協力してくれ」
少し呆れたような声で、魔法使いは言いました。
「今まで、ぼくと一緒にいたんだろう? 一緒に旅をして来たんだろう?」
(魔法使いは、気づいてきた?)
一緒に旅をしてきた事を。
(魔法使いは、聞いていた?)
精霊たちの、おしゃべりを。
「このままでは、世界は終わってしまう。だから、力を貸してくれ」
魔法使いの望みは、たったひとつ。
だって、旅の目的は、白い魔女の魔法を止めることだったのですから。
精霊たちは、飛び立ちます。旅の間に、魔法使いが出会ったものの元へ。
だって、かれらは魔法使いの心の一部を受け取っているのですから。
「面倒くさいが、助けてやろう。魔法使い」
ドラゴンがため息交じりにそう言うと、
「お前の事、嫌いだけど嫌いじゃない。力を貸してやるよ」
獣たちを連れた黒豹が、照れくさそうに言いました。
「怖いけど、出て来てやったぞ」
ウミガメも、たくさんの魚たちを引き連れて登場です。
白い魔女は、魔法使いの魔法の石を握りしめます。
「それ以上、だれも動くな。もしも、動いたらこいつを壊してやる」
魔法の石は、魔法使いの命。
誰も、何もできなくなってしまいました。
「そうだ。そのまま、動くな。それだけでいいんだ。誰も、何もしなくてもいい。世界は、白く染まる。みんな、ひとりぼっちになる。わたしだけではない。みんなが!」
不意に。
虹色の石が、とても激しく輝きました。
(魔法使い、叫んだよ)
(ふざけるなって、叫んだよ)
(魔法使い、言っている)
(もう誰も、ひとりぼっちじゃないって。みんな、それを知っている筈だって。だから)
「面倒くさい」
ドラゴンの青い炎が、魔女の右手を凍りつかせました。
魔女の手から、石が落ちます。
「お前、本当に嫌いだ」
地に落ちる前に拾い上げたのは、黒豹。
「本当に、この世は怖い事だらけ」
その間に、ウミガメが魔法使いの身体を救い上げます。
「だけど、わくわくする事、ひやひやする事、それはなんと楽しい事よ」
「お前は、おれたちにそれをくれた」
「小さい体の魔法使い」
黒豹が、その手に宝石を乗せると、魔法使いの瞳が開き、ゆっくりと起き上がります。
「ありがとう、みんな。ありがとう、精霊たち」
恥ずかしそうに、みんなを見回す魔法使いに、
「なんの。お前さんは、大切な事を教えてくれた。誰かが傍にいるのは、面倒くさいが面白い」
「嫌いな奴でもさ、目の前で死なれたら、ものすごく嫌だって、思った」
「わしも、閉じこもっていてもつまらないって、そう思ったよ」
「わたしも」
「ぼくも」
動物たちや鳥たち、魚たち。みんなに包まれ、魔法使いは、もうひとちぼっちじゃありません。
いいえ。最初から、ひとりぼっちなんかじゃなかったのです。
「白い魔女、お前はどうする?」
魔法使いと、ドラゴン、黒豹、ウミガメに囲まれて、白い魔女は震えあがりました。
「ごめんなさい。もう、何もいたしません」
魔女がぷるんと首を振ると、一匹の白い馬に姿を変えました。
白い馬は、魔女が変身した姿だったのです。
とっとと駆け去る姿に、皆が笑います。
「なんだ、ひとりぼっちだったのは、あいつじゃないか」
いつの時代か、わかりません。
ここがどこかもわかりません。
ふかいふかい森の中に、精霊を連れた魔法使いが住んでいました。
魔法使いの元には、ときどきドラゴンさんや黒豹やウミガメなんかが遊びに来ます。
(魔法使いは、ひとりじゃない)
(魔法使いは、人気者)
ひとりぼっちの魔法使いのおはなし。
これで、おしまい。
ここまで、お読みいただき、ありがとうございました。
この物語は、「冬の童話2014」の為に書き下ろした作品になります。
読んでいただき、もしも面白いと思っていただければ、下の方にあるボタンをぽちりと(いえ、決して無理強いではありません)
締切ぎりぎりの投稿になったため、多少ミスがありました。
読んで下さった方からご指摘いただいた箇所と、自分で気になった箇所を少しだけ訂正いたしました。