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不死の町  作者: 白本
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狐と少女

不死(しなず)町。

ここは芥という名の何にもなれなかった無数の人間が集う町。


 緩やかな楕円形を描く不死町のほぼ中央に構える、この小さな町には不釣り合いなほど立派な御社。そこに祀られているのは、黒羽色の美しい一匹のお狐様である。

 留意しておくべきは、不死町におわすお狐様は、日本各地で祀られている“お稲荷様”とは全くの別物であるということだ。お狐様はこの不死町という限られた地域にのみ存在する土着の信仰、土地神様なのである。力の及ぶ範囲は不死町内のみ、願いを聞くのは不死町に住む人間のものだけ。他地域には全くの無干渉を決め込んでいる、まさに地域密着型の神様だとはいったい誰が言ったのだろうか。二十一世紀、時代の流れとともに人びとの神仏への信仰が風化し薄らぎつつあることすら、古めかしいお狐様信仰を続ける不死町には無関係なのだ。

お狐様は実在するのだ。過去も今、この瞬間すらも。

不死の名を冠する私たちのお狐様はいつだって私たちを見ている。


「ねえ、やめようよ…」

 お狐様がいらっしゃる御社は町の中央、緑が茂る小高い丘の上に位置している。そのため御社にたどり着くためには長い石階段を登らなければならない。百段ほどのそれを登り終えるとようやく見えてくるのが御社の入り口、正門にあたる朱塗りの大きな鳥居である。鳥居には参拝者の行く手を阻むかのように太い縄を編んだ注連縄が低い位置で張られているのだが、その一歩手前に紺襟のセーラー服を着た三人の少女が佇んでいた。

「大丈夫だって。由布子は怖がりすぎなんだよう」

「そうそ。お狐様の昔語りなんかただのお伽噺でしょ?」

怯えているように青褪めた顔をする少女を、宥めるように一人の少女は快活に笑った。

「お狐様に願えば、不老不死になれるとか超傑作なんですけどう。お手軽すぎじゃんねえ?」

そう言って首を傾げるのに合わせて色素の薄い茶色の髪がさらりと肩から滑り落ちる。由布子は困ったように眉根を寄せた。

「…不老不死じゃなくて、不死だよ」

「似たようなものでしょ?」

全然違う、という言葉は心の中に留めた。確かにそういったものから縁遠い場所で生きている人にとっては同じようなものと受け取られるかもしれないが、この町ではそれぞれが意味する違いに重きが置かれている。

「あゆみちゃんも麻奈も、この町の人間じゃないからわかってないんだよ…。

お狐様は本当に存在するこの不死町の神様なんだから。軽い気持ちでお狐様の神域に入ると罰が当たるって…お祖母ちゃんも言ってたし」

 ぼそぼそと唇を尖らせて呟く由布子は、二人から視線を外し御社までまっすぐに続く石畳を眺めた。まるでつい最近敷かれたかのように美しい敷石は、けれども祖母の言葉によると何百年も前、この御社が建てられたのと同じ時期に成されたものらしい。

「でたよ、由布子の“お祖母ちゃんが”話。そんなの嘘に決まってるじゃん。

だって考えてもみなよ?人の手を加えずにこんな木造りの鳥居とか社が腐らないわけないし。そもそも神社なのに誰もお参りできないっておかしいじゃない。きっと何か、大人たちにはこの神社に入ってほしくない理由とかがあるのよ」

顎に手を当てて御社の方を睨むあゆみの言葉に同調するように麻奈は少し吊り上った目を細めて笑った。

「そう、そこだよ、そこ。不死町の人たちってお狐様をあれやこれやと崇めるわりに、あんまりおおっぴらなことしないなあ、って思ってたの。普通さ、地域の神社とかって神様の存在は信じていないとしても秋祭りとか春祭りとか、神様に感謝するお祭りするじゃない?なのにここではまるで逆だし。近付いちゃダメなんて変じゃない。不自然っていうかなんていうか…。まあ、とにかく。地元っ子の由布子にきいてもよくわかんないんだからこれはもう自分たちの足で調べるしかないじゃない!」

 最後の言葉とともに胸の前で力強く拳を握った麻奈に、由布子はほとほと困り果ててしまった。どうやってもお狐様の神域に足を踏み入れる気満々である二人を言葉で説き伏せるのは、由布子にはとてもじゃないが可能なことには思えなかった。不死町の住民ならば誰もが守る当然が、この他地区出身の二人には通用しないのだ。

 そもそも由布子が不死町の出身ではない二人の少女と友人になったのは、由布子が中学校にあがる直前に不死町にあった中学校が少子化の煽りを受け他地区の中学校と併合されることになったことが根本にあった。不死町はあまり他地区との関わりを持たない特殊な地域ではあるが、そうはいってもやはり同じ国、同じ県に属するという事実は変えようがない。住民の強い反対の甲斐なく、不死町の中学校は廃校。そうして不死町と隣あう上六乗町との境に新たな中学校が建設されたのだ。

 そこで出会ったのが、この川上あゆみと市橋麻奈の二人であった。出席番号順の座席が近かったことから自然と三人で一緒にいるようになったのだが、二人ともどこで聞いてきたのか、不死町のお狐様に大変な興味を持っていた。曰く、「不老不死の神様とか超ファンタジー」ということらしい。由布子にはよくわからないのだが、他地域からみると不死町は相当変なのだそうだ。これもまた、あゆみと麻奈の言なのであるが。

「それじゃあ、いってみようかあ」

麻奈の言葉に由布子はぎょっと目を見開いた。

「だ、だめだってば。本当にだめなんだよ」

「いーから、いーから。由布子は私たちの後ろについて来るだけでいいんだから、ね?」

 由布子はとんでもないといった体で首を激しく横に振った。不死町で生まれ不死町で育った由布子には、お狐様の神域に足を踏み入れるというような掟破りは出来るわけがない。それは由布子にこの町から出ていく覚悟をしろと言っているようなものである。

 もしも町の約束事を破れば、罰を受けるのは由布子だけでなくその家族も含まれるということを由布子は祖母に強く言い聞かせられていたのだ。随分古風な考え方ではあるが、この不死町ではそれが当然であった。

 青褪め、この世の終わりのような顔をする由布子に、あゆみと麻奈は顔を見合わせた。

「…もう。しょうがないなあ」

「だねえ。由布子は怖がりだし」

二人の言葉に勢いよく首を上下にふる由布子は、麻奈の次の一言に固まってしまった。

「なら、由布子はここで待ってればいいよう」




 「…なんで」

小さな呟きは虚しくも風に溶けた。鳥居の太い柱の元で蹲るように膝を抱えた由布子は自身の履くローファーのつま先を見遣った。二年間履き古したそれは購入時の見る影もなく色が剥げ、乾いた土で薄汚れている。昨日は雨が降ったから泥が跳ねたのだな、と手を伸ばし指で軽く拭った。

 結局、あゆみと麻奈二人に置いてきぼりにされた由布子は神域の入り口にあたる鳥居の下で二人の帰りを待つことにした。本心では、やはり二人が諦めてくれることを祈っていたのだが半刻程経った今も、どうも二人が帰って来る気配がない。

 ざわざわと木々が騒ぐ音を聞きながら由布子は額を膝がしらにつけて、深いため息をついた。夏服の白いセーラーにじわりと汗が染みるのを感じて瞼を落とす。鳥居の傍に生えた太く大きな古木のつくる日陰にいるとは言っても、三十度を軽く超える真夏日である。自然、玉のような汗がふき出しては肌を滑り落ちてゆく。風があるのがせめてもの救いか、ととりとめもなく考えていた時だった。 

「わっ…」

 突風が吹いた。由布子の二つに結わえたお下げ髪が風に靡く。

 驚きに思わず目を瞑るとふわりと何かが香った。それは今まで全く感じられなかった妙に甘やかな匂いだ。由布子は顔をあげ、その風が吹いてきた方向、風上の方を見遣った。しかしそこには、先ほどまでと何ら変わりなく風に葉を揺らしている古木があるだけで特別変わったものがあるわけでもない。広がるのは青々とした木々の緑のみ、感じた甘い匂いを出すような花の存在も見つけられなかった。自分の勘違いだったのだろうか、と由布子は訝しげに眉を顰めた。きょろきょろと辺りを見回すが、やはり特に変わった様子はないようだ。

 しかしながら、ふと、気づく。先ほどまでは五月蠅いほどに鳴いていた蝉の声がぴたりと止んでいた。それだけで、人里から離れた神社は静寂に支配されているように感じられる。まるで世界から切り離されたようだと、不安を滲ませながら由布子は制服の裾を握りしめた。

 ざわり、ざわり。木々の囁きにまぎれ、再び甘やかな香りが由布子の鼻をくすぐった。


「お前は、願うか」


それは、硬質な、けれどどこか曖昧な音であった。

「…え…」

「お前も、願うか」

 辺りを見回すが、声の主はどこにもない。むしろ、これは果たして声なのかと由布子は思った。言葉を紡ぐその音は、まるで音源が存在していないように一面的に耳に届き、声と呼ぶにはいささか稀薄すぎた。朱塗りの鳥居に身を寄せ、恐る恐る本殿に続く参道の方を見る。

「…な、なに…?麻奈?あゆみ?からかっているの…」

 先ほど御社の神域に入って行ってしまった二人の名を呼ぶが返事はない。由布子もわかってはいた。二人であるはずがないということは。ノイズのような耳障りな音は、人が出せるような類には思えなかった。

由布子の困惑など関係なしに、音は淡々と言葉をつづける。

「不死を、願うか」

 その奇妙さにぞくりと肌が粟立つ。逃げたい、と思った。けれども同時に逃げられないとも思った。手足が何かに絡め捕られているかのように動かない。そんなことは願っていない。不死、など唯のお伽噺でお狐様も人びとが神と崇めるお飾りに過ぎないのだ。だから、だから、これは、ちがう。きっと、白昼夢でも見ているのだ。悪い夢だ。由布子の額から一筋、汗が流れ落ちた。ぽたり、石畳の上に落ちた汗の粒が白に染み込んでいく。

「その願い、叶えよう」

 由布子の耳に届いたのは、由布子を愕然とさせるには十分たる理不尽さを孕んだ応えだった。だから、そんなこと、願ってなんかいないのに…どこからともなく漂ってくる甘い匂いが、霞のように思考を妨げる。

 それは、あまりに突然の出来事であった。そして一瞬の出来事でもあった。

 カロン、と鈴を鳴らしたような軽やかな音が一つ。

「お前は、代償を払わねばならない」

不可解な音が急にクリアな声となった。

そして。

「きつね…?」

 いつの間にか漆黒の艶やかな毛皮をもつ狐が、尻餅をついて座り込む由布子の足の上に行儀よく座っていた。重みは感じられないが、柔らかな毛並みが肌をくすぐる。いつだったか麻奈とあゆみが言っていた、不老不死とか超ファンタジーという言葉が由布子の頭中には浮かんでいた。

「いかにもその通り。お前たちの大好きなお狐様だが」

すまし顔をした黒い狐は、心もち金色に輝く瞳を細めて由布子の顔を覗き込んだ。

「有難く思え。お前の願い、叶えてやろう」

 

 


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