第三章後編(終章)
それから僕たちはどことなく重い雰囲気を纏いながら、帰るために昇降口へ向かって歩いていた。
先程まで屋上で対峙していた小嶋のことが頭をよぎる。
「愛もあそこまでいくと病気だね」
「そうですね、同じ女として少し怖いです」
隣にいた峰藤が静かに相槌を打つ。
「……一応これで今回の事件は無事解決ってことになるんですか?」
「いや、まだ終わりじゃないよ」
「? それってどういう……」
まだこの事件には不可解な点が多すぎる。
小嶋に手紙を送った人物。なぜその人物は東が浅井に告白したことを知っていたのか。なぜ小嶋に教える必要があったのか……。
おそらくその人物はこの事件の核となる存在だ。そして、とても抜け目がなく自分が表に出ないように僕たちの行動を把握している。
だがそのためには、僕たちのすぐそばいなくてはならない。おそらく今もどこかで見ているはずなんだ。
「いるんだろう、出てきなよ」
「えっ!?」
僕の言葉に驚きの声を上げる峰藤。そして、背後にある廊下の柱の影から「ふふふっ……」と微笑と共にゆっくりと姿を現したのは……岸田愛だった。
「先輩っ、どういうことですかっ」
突然の展開に思考が追いつかないのか、僕と岸田の顔を交互に見ながら尋ねてくる峰藤。
「彼女がこの事件の黒幕だよ。きっと屋上でのやりとりも見ていたはずだ」
「……バレてましたか、さすがは探偵ですね。でもいつから私が怪しいと?」
岸田は不敵な笑みを浮かべながら僕をまっすぐに見つめてくる。
「最初は小さな違和感だったんだ。浅井さんとの関係を聞いた時、君はこう言ったんだ『親友"だった"』とね。まるでもう過去のことのように」
「……」
「それに君は浅井さんが東先輩に告白されたことを知っていたね。でも、そのことを黙っていた」
「……」
あの猫が言っていた、告白の話を知っているもう一人の人物とは岸田のことだったんだ。
「なぜだろうね。僕たちに知られたらマズイことでもあったのかな?」
「そんなの、私が言わなくてもわかっているんですよね」
「まぁね。あくまで推測だけど小嶋さんの机に手紙を忍ばせたのは君なんだろう」
「……ええ、そうです」
もし小嶋の机に手紙があったという話を聞いた時、前もって岸田から告白の件を聞いていたらすぐに彼女のしわざだと気づいてしまう。
それだけは避けたかったから、僕たちに話さずにいたということだ。
「でも、一つだけわからないことがあるんだ」
「なんですか?」
「君が浅井さんを殺そうとした理由だよ」
岸田は窓の方を向き、遠くを見るような目をしながら語りだした。
「知子は頭が良くて運動もできる、それにリーダーシップもあるし正義感も強かった。まるで太陽みたいな存在で、私はいつも知子の影でした」
確かに色んな人に話を聞いてきたが、浅井という人物はいい印象を持たれていた。
でもそのせいで苦しんでいる人も中にはいる。
「私がどんなに頑張っても知子はいつもその上をいき、私は知子という光に埋もれていくばかり。誰も私のことを見てくれない。次第に一緒にいることが辛くなりました」
強すぎる光は時に人を惑わせてしまう。ある意味では岸田も被害者と言えなくもない、……だが。
「そんな時です。知子が東先輩に告白されたという話を聞いたのは、隣のクラスの小嶋さんの噂も耳にしていたから、これはチャンスだと思ったんです」
「そうして小嶋さんを利用した犯行を企てたのか。ふむ。しかし、君のことを誰も見ていないというのは、本当にそうなのかな」
「どういうことですか……っ」
先ほどまでの不敵な笑みはどこえやら、岸田は感情をむき出しにして僕に食って掛かってきた。
「だって君の隣にはいつも浅井さんがいたじゃないか。彼女は君のことをちゃんと見ていたはずだよ」
「……知子にとって私なんて、自分を引き立てるための道具としか思ってないですよ」
そんなはずはない。あの時、猫の記憶の中で見たものは親友のことを楽しそうに話す浅井の姿だったのだから。
「君は大きな勘違いをしている。知っているかい、浅井さんが東先輩の告白を断った理由を」
「知ってます。友達に東先輩のことを好きな人がいるから、ですよ」
「そのとおりだ。でもその言葉には続きがあったんだ」
「えっ?」
「それはね『わたしには誰よりも大切な親友がいるから、今は恋人はいらない』だそうだよ。彼女が言う親友というのが誰のことかは、言わなくてもわかるよね」
「そ、そんな……」
目を見開き驚きの表情を浮かべながらも、必死に信じようとはしない岸田。
「この話は東先輩から直接聞いたものだ。嘘だと思うなら確かめてみればいいよ」
「……う、うぅ。わ、私はなんてことをっ」
岸田は手で顔を覆い隠しペタリと廊下に座り込んでしまう。
「確かに君は過ちを犯した。でも、まだやり直すことができる」
その時岸田の携帯が鳴った。
「も、もしもし……はい、はい……えっ、ほんとですか! わかりました、今すぐ行きますっ」
電話を切ると、慌ててポケットにしまい、今にも駆け出していこうとする。
「どうしたんだい」
僕がそう聞くと、ここで話しをする時間も惜しいかのように早口でまくし立てた。
「知子が、知子が目を覚ましたって。私行ってきます、それで全て話そうと思います。許してもらえるとは思っていませんが」
「きっと浅井さんならわかってくれるさ」
「はい。それじゃ失礼します」
岸田は一度深くお辞儀をすると廊下を駆けて行った。
「先輩、これでよかったんですか」
彼女を見送ったあと、峰藤は僕の方を振り向きそう聞いてきた。
「ん、なにがだい」
「だってあの人は一応この事件の犯人なんですよ。捕まえたりとか……」
峰藤はまだ探偵というのがどういうものなのかを理解していないみたいだね。
「ふぅ……、僕はあくまでも探偵だ。探偵の仕事は真実を見つけること、犯人を捕まえることじゃないよ。そういうのは警察に任せておけばいい」
「そんなもんですかね」
「そんなもんだよ。ほら、依頼主に報告に行こう」
「……と、いうことです」
峰藤が事の顛末を話終えると、猫はにゃあと一声鳴いてスタスタとどこかに歩いて行ってしまう。
「猫君はなんて」
「ご苦労さん、それとありがとうって言ってました」
「ははっ、猫君らしいね。まぁこれでやっと一件落着か」
見上げれば日は完全に傾いて山並みに沈み、藍色の空には一番星が瞬いていた。
「帰ろうか、峰藤君」
「はい、そうですね」
二人で帰路についている途中、峰藤はそういえばと前置きをし質問をしてきた。
「ずっと聞きたかったんですけど、なんで先輩は探偵をやろうと思ったんですか」
ああ、まだ話していなかったっけ。
「ふむ、峰藤君には話してもいいかな」
と一呼吸置いて、
「――僕の両親は僕が小さい頃、何者かに殺されたんだ。はじめ警察は事故として処理しようとしていたけど。ある時、両親の親友だと名乗る一人の探偵がやってきた。その人は現場に残った僅かな証拠から犯人を見つけ出し、それがきっかけで警察は犯人を逮捕することができたんだ」
「そう、だったんですか……。いや、なんだかすいません」
「両親のことなら気にしなくていいよ。――だから僕はその人に憧れ、自分もああなりたいと思ったんだ」
その探偵とはあれ以来会っていない。今どこにいるのか何をしているのかわからないけど、きっと誰かのために動いているのだと思う。
「どうだろう、僕は探偵としてちゃんとできているだろうか」
「大丈夫です。先輩は立派な探偵だと思いますよ。……まぁ人としては微妙ですけど」
「まったく、最後が余計だよ。峰藤君はもっと先輩を敬う気持ちをだね――」
それからも他愛もない会話は続き、偶然にも何気なく二人が歩いていたのは、二人が出会った始まりの場所であった。