第三章中編
午後の授業が終わり放課後なった。僕と峰藤は合流し、様々な体育会系の部活が活動しているグラウンドへと来ていた。
大きなバックネットがある隅の方では野球部たちが掛け声を掛けながらランニングをしていて、中央のトラックの周りでは陸上部がラインを引いている。
そして目的のサッカー部はトラックの中で部員たちが輪になりストレッチをしている最中だった。
「練習中失礼。ここの部長さんに話があるんだけど、いいかな」
僕がそう声をかけると、サッカー部の部員たちはお互いの顔を見合わせ、ざわつき始めた。
その時、腕に蛍光色の腕章を付けた褐色肌の男子生徒が「俺に用なのか、少し待ってくれ」と答えた。おそらく彼が部長なのだろう。彼は部員たちを集めると色々と指示を出した。皆が練習に入るのを確認するとこちらに小走りでやってくる。
「悪い、待たせた」
片手を上げて軽く謝罪の言葉を言う姿はなんとも爽やかだった。僕には到底マネできそうにない。
「いや、構わないよ。僕は探偵の佐伯、こっちは助手の峰藤君だ」
峰藤は、かの有名なイケメンサッカー部部長を前に少しドギマギとした様子でペコリとお辞儀をする。
ふむ。いつもこのくらいお淑やかならいいんだけど。
「俺はサッカー部部長の東貴幸、よろしくな」
お互いに紹介を終え、僕は早速本題を切り出すことにした。
「東先輩が浅井さんに告白をしたのは本当かな」
東はその問いに、まいったなぁといった感じに頭の後ろを手で掻きながら答えた。
「ああ、俺は浅井に告白したよ。でもこのことは誰にも言ってないはずなんだけどな」
「……探偵だからね」
猫から聞いたとは言えないので、はぐらかして答える。
「さすがだな。もしかして、俺がフラれたことも知っているのか」
僕は頷き、それを見た東は苦笑いを浮かべた。
「でも、彼女があなたの告白を断った理由だけがわからない」
「それは――」
東は告白した時のことを詳細に説明してくれた。
「ふむ、そういうことかい」
僕は理由を聞いてなんとも彼女らしいと思った。そして、改めて東に質問をする。
「あなたは自分のことをフッた浅井さんを憎んでいるのではないのかな」
「馬鹿なこと言うな。確かに俺はフラれたが、そんなことで浅井のことを嫌いにならないし、俺はまだ諦めたわけじゃない」
「……まったく、粘り強いね」
「スポーツには粘り強さが必要なんだよ」
恋愛はスポーツではないんだけどな。そんなことを思っていると脇から声をかけられた。
「あの、お話中いいっすか」
その人物は赤色のジャージを着ていることから一年生だということがわかった。ちなみに二年は緑、三年は青という感じだ。
「君は?」
「サッカー部一年の大久保っす」
「どうしたんだ、大久保。練習の途中だろ」
「その、少し気になることがあって、探偵さんに話したほうがいいかなって」
大久保は恐る恐るといった感じで言った。
「で、話っていうのは?」
「えっと、浅井って人が飛び降りした日の放課後、練習前に何気なく屋上を見上げたら見たんすよ。女子生徒っぽい二人の人影を」
その言葉に思わず僕は、一年生の肩を掴んだ。
「なんだって、それは本当かい。しかし、どうして女子生徒だとわかったんだ」
「スカートが風になびいていたのが見えたからっす」
「なるほど」
確かにそれなら女子生徒だと特定することができる。
女子生徒が二人……か。一人は浅井さんとして、もう一人誰かが屋上にいたことになる。そうなると自殺の線はかなり薄くなるな。浅井さんと関連のある女子生徒。今のところあの人しか思い浮かばないけど。
いや、まだ決めつけるのは早い。
「有力な情報ありがとう。最後に東先輩、二日前の放課後なにをしていたのか教えてくれないかい」
「その日はいつも通り部活に出ていたよ」
「そのことを証明できる人は……」
「オレが証明するっすよ。それにオレ以外のサッカー部の人たちもいるっす」
大久保は力強く僕のことを見返す。これは嘘をついていない人の、澄んだ瞳だ。
「ふむ、それは本当みたいだね。協力ありがとう、失礼するよ」
また一つ謎が増えてしまった。二日前、屋上にいたもう一人の女子生徒。一体何者なのだろうか。でも彼女の正体がわかれば、この事件は一気に解決へ向かうはず。
もしかしてあの人なのか……? いや、まだだ。まだ何か大切なピースが足りない気がする。これはおそらく一人で考えを巡らしても答えは出ないだろう。
「もう一度、岸田さんに話を聞きに行こう」
彼女なら僕たちが知らないことを知っているはずなんだ。
そうして僕たちは岸田のクラスの前まで来た。
「先輩、もう結構時間経っていますけど岸田さんは残っているでしょうか」
携帯で時間を確かめると、時刻は五時を回っていた。
確かにこの時間帯になると部活動をしていない岸田は残っている可能性が低い。
「どうだろう。まぁ、いなかったらまた明日聞けばいいだけさ」
開けっ放しのドアから教室の中を覗いてみる、しかし岸田の姿は見当たらなく数人の女子生徒が談笑しているだけだった。やはり帰ってしまったのだろうか。
諦めて引き返そうとした時、女子生徒たちの会話から興味深い話が聞こえてきた。
「そういえば明美さぁ、最近どうなのよ」
「なにが?」
「だから、なんかこの前先輩に悪い虫がついてどうしよう、って言ってたじゃん」
「あぁ、アレね。大丈夫よ、悪い虫は私が駆除したから。……東先輩は誰にも譲らないんだからっ」
「さっすが、明美こわぁ~い」
東……、もしかしてサッカー部部長のあの人のことか?
ふむ、一応話を聞いておく必要がありそうだな。
「すまないけど、少し話を聞かせてくれないかい」
突然現れた僕たちに、女子生徒たちは驚いて目を丸くした。
「あんたたちは昼休みに来た。たしか……探偵さんだっけ?」
「探偵っ……」
僕たちが探偵だということを知ると、明美と呼ばれた女子生徒は表情に動揺の色を見せた。
「さっき東先輩が話にあがったから、そのことで話を聞きたくて」
「どうして探偵が東先輩のことをっ」
しかし僕が東という名前を口にすると、さっきまで動揺していたのが嘘のように血相を変え、にじり寄ってくる。
「えっと、君は?」
「あたしは隣のクラスの小嶋明美。そんなことより、どうして……」
「あまり詳しいことは話せないけど、東先輩は浅井さんと関係があったみたいでね、そのことで少し話を聞かせてもらったんだ」
「浅井……? もしかして、東先輩が告白をしたっていう……」
と小さく呟く小嶋。
……ん、あれ?
おかしくないか、なぜ彼女がそのことを知っているんだ。
「小嶋さん、どうしてそのことを?」
「えっあっいや、その……」
この動揺のしかた尋常じゃない、なにか隠しているのは明らかだな。
そんな時峰藤が「あっ」と何かに気づいたように小さく声をあげた。
「どうしたんだい峰藤君」
「……あの小嶋さんの背中のところ、少し制服の糸がほつれています」
と周りに聞こえないように耳打ちされ、小嶋の背中を見てみると確かに制服の糸がほつれていた。あれは……。
「……峰藤君」
「……はい」
「ねぇどうかしたの」
小嶋は僕たちが声を潜めて会話をするのを見て怪訝そうに眉をひそめる。
「いや、なんでもないよ。そういえば、小嶋さんは二日前の放課後は何をしていたのかな?」
「な、なんでそんなことを聞くのよ。もしかして疑ってるの?」
「いや、そういうわけじゃないよ。あくまで形式として話を聞いた人にこの質問しているんだ」
「そ、そうなの。あぁ~私はその日、沙耶と一緒にタカノ屋に行っていたわ」
そう言って小嶋は隣にいた女子生徒を指さした。しかし、当の彼女は急に自分が名指しで指名され驚いたような声を上げた。
「そうでしょ、沙耶?」
「う、うん……そう、だね」
高圧的な小嶋の態度にしどろもどろになって返事をする。
「君は?」
「わ、私は吉田沙耶っていいます」
なんというか、オドオドしていてとても気の弱そうな人だな。
「吉田さんね。ああそうだ小嶋さん、ハンカチは持っているかな。ちょっと貸してほしいんだけど」
「……別にいいけど、なにに使うのよ」
突然のお願いに訝しむ小嶋だったが、言われるままハンカチを僕に渡す。
「それは秘密。まぁ聞きたいことは聞けたよ、ありがとう」
「ふん。話はこれで終わり? ならあたしは帰るわよ」
言うが早いか、そそくさと小嶋は荷物を片手に教室を出ていってしまう。
「小島さん、行ってしまいましたね」
と峰藤は軽く息をつく。
「ちょうどいい、残った君たちにも少し聞きたいことがあるんだ」
「私たちにですか?」
吉田が答えた。
「ああ。確認するけど、小嶋さんは東先輩のことを好きなんだよね」
「はい、そのことは同じクラスの女の子ならみんな知っています。明美は自分で公言していましたから。それに……」
彼女は言葉をつまらせ、近くにいる友人たちと困ったように目を合わせる。
「どうかしたのかい」
「その……明美は一途すぎるというか、好きな人のことになると周りが見えなくなるとこがあって、そのことで中学の時に少し問題になったこともあるんです。それに明美はこの前……」
「ふむ。もう少し詳しく教えてくれるかな――」
話を聞き終え、僕たちが教室を出た頃にはもう日は沈みかけ、夜の帳が降りようとしていた。
まったく時間が経つのは早い、さっさと残りの仕事を終わさないと。
「峰藤君これを」
二人分のハンカチを彼女に渡す。
「僕はこれから行くところがあるから、君には岸田さんと小嶋さんが本当にタカノ屋へ行ったかどうか調べてもらいたい」
またゴン太に借りができてしまうな。
「わかりました」
「それが終わったら帰って大丈夫だよ。報告は明日聞くから」
「はい、わかりました。それじゃ行ってきます」
峰藤が行ったのを確認し、僕は目的地へと足を向けた。
階段を上り、一つの鉄扉の前にやってきた。
「ずっと気になっていたんだ。どうして屋上へ出ることができたのか」
屋上に出るための扉には南京錠が掛かっていたはず。しかし、目の前の扉には錆び付いて鍵としての機能を失った南京錠がぶら下がっているだけだった。
ドアノブを回すとガチャと低い音がして、腕に伝わるわずかな抵抗感ののちゆっくりと扉が開いた。
もう南京錠がついている意味がないじゃないか。学校の管理をもっとしっかりしてもらわないと困るな。
「だが、これなら簡単に出入りすることができる。あとは……」
外に出て、浅井が飛び降りたであろう場所に目をやる。するとそこのフェンスには人ひとりが通れそうな程の穴が空いていた。
「そうかここを通って」
一体どういう経緯で穴が空いたのかは知らないが、危険極まりない。
穴に近づいてみると千切れたフェンスの先端がとても鋭利になっていることがわかる。そして穴の上の部分には糸クズみたいなものが絡まっていた。不思議に思い、手にとってみる。
「これは……そうか、そういうことか」
そして翌日の放課後、この事件に終止符を打つために、僕たちはある人物を屋上へ呼び出した。
「君を呼んだのは他でもない、浅井さんのことだよ」
彼女は浅井の名前が出たとき肩を一度ビクッとさせ、顔を俯かせた。
「まず、君は東先輩が浅井さんに告白したという話を知った。その時受けたショックは計り知れないものだろうね。なんせ君が東先輩に思いを伝え、そして断られた間もなくのことだったから」
そして、なにも聞きたくないとでも言うように自分の手で耳を塞ぐ。だけど僕は話すことをやめない。
「半狂乱に陥った君は衝動に駆られるまま浅井さんを屋上へと呼び出し、先に屋上へ来ていた君はそこにあるフェンスの穴から外側に出た」
僕はその場所を指さして言った。
「浅井さんが来ると君はこう言ったんだ『自殺する』と。君の事情を知っている彼女ならこう思ったはずだ、自分が東先輩に告白されたことが露呈したのだと。それに正義感の強い彼女のことだ、止めに入るのは容易に予想できただろう。君と同様フェンスの穴を通り外側に出て、自殺するのを思いとどまるように説得をする浅井さん。そしてもとより死ぬつもりがなかった君はあっさりとその説得に応じ、それを聞いて安心し隙だらけになった浅井さんを君は突き落とした。と、まぁあくまでも屋上で起きたことは推測だけどね。どうかな――?」
小島明美さん、と彼女の名前を呼ぶ。
ここまで話したところでようやく彼女は顔を上げ僕のことを見た。その瞳にはうっすらと涙が浮かんでいたが、その表情はまだ諦めていない様子でキッと鋭い眼差しを向けてきた。
「はっ、所詮それはあなたの推測なんでしょ。あたしにはアリバイがあるし、そもそも証拠がないじゃない」
お決まりのセリフだね。
「まぁそう言うと思ったよ。峰藤君」
「はい」
隣にいた峰藤はポケットから取り出した手帳を片手に一歩前に出た。
「タカノ屋である方に話を聞いたところ、小嶋さんはタカノ屋へ行っていないことがわかりました。そしてもう一人、岸田さんもタカノ屋へ行ったという話でしたが、そちらの方は本当みたいです」
「そ、そんなっ」
「そのことを吉田さんに言ったら、本当はタカノ屋へ行っていないと話してくれました」
「チッ……沙耶のやつ、裏切ったのね」
小嶋は憎々しげに舌打ちをした。
「まぁもともと小嶋さんに無理やり言わされた感がありましたから」
「で、どうなんだい。観念して本当のことを話してもらえないかな」
「な、なによ。まだあたしがやったっていう証拠はないじゃない」
強情というか諦めが悪い彼女に、僕はもう一つの真実を突きつけた。
「君は自分の制服の背中部分がほつれていることに気づいていたかな」
「制服? なんのことよ」
何言ってるのコイツ、みたいな感じで眉をひそめる。
「その様子じゃ気づいていないようだね」
慌てて自分の手鏡を使い確かめる小嶋。
「いつのまに……」
「ちなみに、君と同じように浅井さんも制服がほつれていたそうだよ。それはなぜだろうね。わかるかい、小嶋さん」
「さ、さぁ」
しかし、知らん振りを貫く彼女の声は上擦り、少し震えていた。
「簡単なことさ。屋上にいた浅井さんは制服がほつれるような場所を通ったんだ。となると、そこにあるフェンスの穴しか考えられない」
「……」
とうとう小嶋は口を一文字に結んで黙りこんでしまう。
「そして、目撃証言から屋上にいたのは二人。君も同じように制服がほつれている。このことから、君が穴を通り浅井さんと一緒にいたということが説明できる。その後の展開はさっき話した通りだよ。」
これでもう観念してくれるだろうと高を括っていたのだが、彼女の反応は予想外のものだった。
「……なぃわ」
「ん?」
「そんなの認めないわっ!」
まさかの逆切れっ!?
「認めないって……、どうして君はそんなにも浅井さんを目の敵にするんだい」
「だってあの女はあたしから東先輩を奪おうとしているのよ。そんなの許せないに決まってるじゃない!」
僕は前から思っていた疑問を投げかける。
「そもそも君はどうやって東先輩が浅井さんに告白したということを知ったんだい」
「手紙よ。手紙が机の中に入っていたの、読んでみたらそこには……。あぁ、思い出しただけでイライラしてきたわっ」
手紙、か……。
興奮しきっている彼女に、昨日吉田から聞いたことを確かめる。もしかしたら火に油を注ぐ形になるかもしれないが。
「でも、君は一度告白を断られているんだろう」
「っ……。ええ、確かにあたしは東先輩に告白して振られたわ。でもね、一度振られたくらいでスパっと諦められる人は所詮その程度の愛だったのよ。だけど私は違う、何度だって思いを伝えるわ、何度でもね。いつか振り向いてくれるその日まで……」
「それじゃあ」
「それでもっ。世界で一番愛している人を目の前で奪われるのだけは我慢できないのっ!」
考えていることは好いている人と同じだというのに、どうしてこんなにも歪んでしまっているのだろう。
「……ふむ、君の気持ちがまったく理解出来ないわけじゃない。しかしね、その思いは一方通行なんだよ。君は東先輩の気持ちを考えたことがあるかい?」
「あ、あたりまえじゃない。いつも先輩のことばかり考えてるわよ」
「そうかな。本当に相手のことを想っているのなら、その人にとって何が幸せかを考えるべきだ。しかし、君は東先輩が好きになった相手を殺そうとした、という真逆のことをしているんだよ」
「あぁ……」
彼女はわかっていたはずなんだ。だけどその現実から目を背けていたんだ。
「君の行いでどれだけ彼が悲しんだと思う? そして、好きな人が自分と関係のある人のせいで傷ついたことを知ったら?」
「ぃ……イヤ、東先輩に嫌われるのはイヤ。そんなの考えられないっ。イヤイヤイヤイヤイヤ……」
小嶋は俯いて呪詛のようにブツブツと呟きはじめる。僕はそんな彼女に自身がまだ知らない事実を伝えることにした。
「そうそう君は知らないと思うけど、浅井さんは東先輩の告白を断っているんだよ。その理由がわかるかい」
「へっ……?」
急な問いかけに一瞬呆けた声を出すが、意味が理解できると今度は大きな声をあげた。
「ちょ、ちょっと待って、断ったってどういうこと?」
やはり知らなかったみたいだね。
「そのまんまの意味だよ。正解はね、『東先輩のことがすごく好きな友だちがいるから。その人のことをきちんと見てあげて欲しい』らしいよ」
「もしかして、それってあたしのこと? じゃあ、あたしがしてきたことって……そんな……」
頭を両手で抱え崩れ落ちる。きっと彼女は今、自分の行いが無意味だったことに気づき虚脱感に打ちひしがれていることだろう。
もう僕たちにはするべきことはない、そっと屋上を後にした。残ったのは彼女の後悔とすすり泣くかすれた声だけだった。