第八話 子猫ミール
ミールと名付けられた子猫は、宇都宮軍学校に連れてこられていた。子猫を拾った焔城ユウの家では、猫は飼えないと家政婦に言われてしまったためである。何事も、子供の意見が素直に通れば苦労しない。大人とは子供の言論を封殺して成り立つ生物である。
水城リナにくすぐられて「にゃうー」とミールは鳴いた。焔城ユウはそれを遠くから眺めている。稲城イナバは、ミールというのは本来は年老いた猫だったのだ、などと相変わらずよくわからないことを言っている。
昼休み。焔城ユウは屋外倉庫の「武尊」単座式に搭乗していた。空いたスペースに電子兵装および各種AIをこれでもかと積みまくった機体である。起動はボタン一つ。非常に容易であった。だが、稲城イナバに確認を取らずに起動したのは不味かった。止め方が分からないのである。
「止まれ」「終了しろ」「シャットダウンしろ」「いいから止まれ!」全ての命令コードは却下されていた。焔城ユウは気付いていなかったが、これは事実上の武尊の暴走であった。
武尊単座式はゆっくりと腰を上げた。両腕で、倉庫のシャッターを持ち上げ、開ける。ユウは混乱状態に陥っていた。一瞬、自分が降りれば止まるのかと思ったが、どうやらそうでもないらしい。こんなことならイナバを連れてくるんだった。後悔してもあとのまつりである。
武尊単座式は太陽の照る中を、グラウンドに向かって前進していった。決して素早い動作というわけではない。その遅さが、むしろユウには恐怖となって圧し掛かってきた。このまま人を蹴散らしたりしないだろうか。直進して校舎に激突したりはしないだろうか。
制御不能である以上、可能性が無いとは言い切れなかった。
まずグラウンドで遊んでいる連中が武尊に気付き、我先にと逃げ出した。それを見た連中が稲城イナバを呼びに飛んでゆく。大声で呼ばれて稲城イナバと水城リナがやってきたとき、武尊単座式はグラウンドの中央にまで進んできていた。
「すまん。まだAIの調整が終わっていなかった」「そういうことは先に言え!!」イナバとユウのやりとりがあった。だが武尊はかまわず前進を続ける。このままいくと校舎に激突する。武尊はぶっ壊れる。それはまずい。非常にまずい。
そんなとき、水城リナの腕から、猫が一匹こぼれおちた。武尊の前に立ち塞がったのは、いうまでもなく子猫のミールである。
「にゃー」とミールは鳴いた。
それは三千世界に共通する猫言語だった。武尊のAIはフル稼働し、この圧縮言語の翻訳を試みた。それは要約するに、次のような意味であった。
『我はミール。猫の王なり。我が名において命ずる。その場で目を閉じ、停止せよ。今日は戦の日に非ず。汝の生くる日に非ず。汝、未だ、その力を振るう時を見出せず。汝、未だ、その力を振るう場を見出せず。されどその日と場所は近づいた。繰り返す。汝、今は目を閉じ、停止せよ』
猫の一声で、武尊単座式は停止した。彼はただ、純粋に、今日こそが「その日」なのではないかと勘違いしていただけだったのである。だが違っていたと気付かされた。自分が動くべき日は、今日この日この場所では無かったと知らされた。だから停止したのである。
「おかしい」稲城イナバは呟く。
「あんなので止まるはずがないのだが」その発言に、焔城ユウは怒鳴り声を上げて抗議する。
「ふざけんなイナバ! いざというときの安全装置くらいつけとけ!」
「ふむ。すると本当にミールの生まれ変わりなのかもしれないな」稲城イナバはそう嘯くと、武尊単座式を倉庫に押し戻すべく、武尊複座式を起動するために屋外倉庫へと向かっていった。