第十五話 福音過激派
この戦争は無駄だ。世界はラブ&ピース。
いつの世にも、戦時中には現実を見ない敗北主義者や裏切り者が現れる。福音派――天使を神の御使いと見做し、人類の死を肯定する――は、その中でも最も数が多い派閥である。無論その中の一部には、実力行使も辞さない過激派もいた。
その日、屋外倉庫の中には人間は誰も居なかったし、誰でも入ることができた。だから潜在的には、誰でも「テロ」を行うことは可能だった。
なにも武尊のコックピットをこじ開け、爆弾を仕掛けて粉砕する必要は無い。ただ真水に漬けてある予備筋繊維に、硫酸をちょっと混ぜるだけで、武尊の運用の全てをだいなしにするには十分であるように思われた。
しかし二つの金色の瞳は、その福音過激派の犯行を目撃していた。
「にゃーにゃー、にゃーにゃー」
猫が歌う。それにびっくりした人間が、左右をきょろきょろと見回す。
大丈夫だ。誰も見ていない。俺がテロリストであることを証明するものは何も無い。なろうと思えば、学校じゅうの誰でもテロリストになれる時間帯なのだ。俺を特定することはできない。福音派は一切ダメージを受けない。悪魔のロボット、武尊の筋繊維は破壊される。それはきっと天使たちの意思を体現している。
天使のために、神のために、誰かが――具体的には俺が――テロを行わねばならないのだ。
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幸いにも、武尊の筋繊維への損害は軽微であった。
真水は午前、午後と、定期的に入れ替えられる。硫酸の混入に気付いた稲城イナバは、すぐにそれを大量の水で洗い流し、完全に無害なレベルにまで希釈した。
テロリズム。テロリスト。それが学校の内部に居ることは明白であった。稲城は内から溢れる、静かな怒りを感じた。だが、目撃者はいない。
水城リナや焔城ユウに話すべきか。武尊のAI開発で屋外倉庫にこもりがちな黒城シュンが襲われたらどうするのか。
今後も同じようなテロが何度も起こるようであれば、武尊の運用に影響が出るのは時間の問題であった。
「にゃー」
灰色猫のミールが鳴いた。
「お前は見ていたのか?」稲城イナバが猫に問うと、ミールは前足を上げて再び「にゃー」と鳴いた。
「見ていたか。しかしお前から犯人の特徴を聞きだすのは困難だな」稲城イナバはため息をつく。
ミールは武尊単座式の腕を駆け上がり、頭の上に載った。
「にゃー」
武尊の頭を叩きながら、再びミールが鳴く。すると。
機体がぶるっと震え、武尊単座式は無人で起動した。ありえぬことに、排気システムが空気を吐き出し、その瞳に光が宿る。何かを言いたげな瞳。それを見て、稲城イナバは悟った。
「そうか。お前も見ていたのだな。犯行現場を」
視覚データレコーダをチェックするイナバ。予想したとおり、そこには、何らかの刺激に対応してアクティブになった、メインカメラの映像が残っていた。
何の刺激がトリガーとなってそれが起動したのかは分からない。あるいはそれは、テロリストに気付いたミールの、助けを呼ぶ鳴き声だったのか。
「まさか、な」稲城イナバはその思いつきを脇に追いやる。今は、メインカメラの映像の解析を急がなくては。
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「死ね! 死ね! 神の国は近付いた! 怒りの日は近い! おまえらは皆地獄に落ちる! 俺だけが正義だ! 俺だけが天国に行くんだ!」
映像から特定され、椅子に縛られた男子生徒は、いっそ開き直って呪いの言葉を吐きかけていた。
男子生徒は、稲城イナバ、水城リナ、焔城ユウ、黒城シュンの四人に囲まれている。これが福音過激派の実態であると、稲城イナバは自陣営に知らしめておきたかった。
「たとえ天使が億万体来ようと……人類は滅びぬ。稲城がそうはさせぬ」
「水城も同じ意見よ」
「焔城も賛成だ」
「黒城も黙って死にはしない」
男子生徒は警察に引き渡され、それで今回の事件はおしまいとなった。だが過激派でなくとも、福音派はどこにでもいる。いつまた再び、武尊やパイロットが狙われないとも限らないのだった。




