第十二話 群馬への遠足 前
群馬県前橋市は、現状人間の支配区域であった。しかし東京陥落の報を受けて、福音派の台頭は無視できないものになりつつあった。
福音派とは、天使たちを文字通り神の使いと見做し、人類の死を肯定するという派閥である。天使に逆らうことをせずに、座して死を待つという宗派。それは稲城家に言わせれば、己の精神の弱さ故の敗北主義者、人類の裏切り者たちであった。
とはいえ、米国の空母打撃群の不派遣、モンロー主義の背景に、福音派が大きく絡んでいるのは事実であった。キリスト教徒にとって、白く輝く天使たちの姿は、文字通り黙示録の天使像に重なって見えたのである。宗教に傾倒すること、科学に無知であることは決して罪ではない。故に福音派の行いはともあれ、その増加を咎めるのは酷と言えた。
天使の侵攻によって太平洋の制海権が完全に取れていない現状において、唯一の救いは、本来敵対国であるはずの中国、ロシアが銀を売ってくれるということだった。
むろん法外な価格ではあるが、日本が敗れれば次は中国またはロシアである。天使の襲来は対岸の火事では済まされない問題であった。また、稲城家の超小型近接信管技術は彼らにとっても有用なものである。ここに利害の一致が見出された。
だが、空輸では大量の銀は運べず、また、少数のケルビム級に撃墜される恐れがある。危険を分散するため、船舶および車両で輸送するには、中露共にかなりの距離と日数を要した。この銀の輸送の遅れが致命的になる可能性もあった。
そのため最低でも宇都宮市-前橋市間の連絡は確保しておきたい。というのが自衛隊の本音であった。各地での福音派の台頭を押さえ込むためにも、自衛隊駐屯地間の連携を強化しておきたかったのである。
結局何が言いたいかというと、群馬への遠足は遊びでは無いのであって、本来お菓子は500円までとか、バナナはおやつに入らないとか、そういうことで議論するのは不毛なことである。と、ここまで士官がまくし立てたところで、学生たちの飽くなき欲望を頭から押さえつけることなどは不可能であった。
「ハッピーターンは至高」「カルビー派は死ぬべき」「きのこたけのこ論争はよそでやれ」「うまい棒が許されるのは小学生までだよねー」「チョコは暑さで溶けないマーブルチョコがベネ」「バハネロはいまとなっては希少」「コアラのマーチは邪道」「ぷっちょは飴とは認めない」「キシリトールは贅沢品」「コンビニ系ブランド菓子は値段の割に量が少ない」などなど。まったく収集がつかないのが現実である。
「我々は遊びに行くのではないぞ!」
稲城イナバが壇上に上がる。ところが黒板には「議題:群馬への遠足について」と大書きされているものだから締まらない。喧騒は喧騒を呼び、騒音は騒音を呼び、ついには士官も先生も呆れて職員室に帰ってしまう始末であった。
武尊も、今回の遠足への参加が予定されていた。前回の戦果に気を良くした自衛官たちに請われて、高崎市(前橋市から見て南西)の第12旅団の連中に見せに行こうという話である。
稲城イナバはクラスの統率を諦め、屋外倉庫に来ていた。そこには水城リナと焔城ユウ、黒城シュンの姿があった。
「遠足だかなんだか知らないが、僕はコードをデバッグするのに忙しいんだ。くれぐれも邪魔だけはするなよクソチビ」黒城シュンは未だにイナバをクソチビ呼ばわりしている。
「道中で天使の襲撃があるかもしれないと考えると、純粋には楽しめないわよね」水城リナが言った。
「俺はどうでもいい」焔城ユウはお菓子論争についていけずに、ここに来ていた。
「前回ろくな武装を持っていかなかった反省を踏まえて、今回はGAU-8アベンジャーも持っていくことにした」稲城イナバはしれっと言い放つ。
「あんなものが撃てると本気で思っているのか!?」黒城シュンが振り向いたが、稲城イナバは涼しい顔をして返した。「無論、撃てるかどうか、そのテストも兼ねている」




