代行
俺が代行バイトを始めたのは、単純に金がなかったからだ。
東南学院大学の二年生になって一人暮らしを始めたはいいが、思った以上に金がかかる。
バイトを探していたとき、学内掲示板で見つけたのがそれだった。
「代行サービス・スタッフ募集」
時給は良かった。週一回からでOK、面接なし。連絡先だけ書いてあった。
その日のうちにメールを送ると、すぐに返信が来た。
初回の依頼内容は「出席代行」。指定された講義に出て、出席カードを出すだけでいいらしい。簡単な仕事だった。
最初の依頼は月曜の三限、経営学概論の講義だった。
依頼人の名前は「高木」という学生で、俺は彼の学生証のコピーと簡単な指示書を受け取った。
講義棟の305教室に行き、出席カードに高木の名前を書いて出すだけでいい。
教室に入ると、二百人くらいは入る大教室だった。見たところ半分くらいしか埋まっていない。
俺は後ろの方の席に座り、配られた出席カードに高木の名前を書いた。
講義が始まって三十分ほど経ったとき、隣に座っていた男子学生が俺を見て言った。
「また来たんだ」
その声に俺は顔を上げた。
「え?」
「先週もいたよね。高木だっけ」
男は軽く笑っていた。俺は曖昧に笑って頷いた。
「ああ、まあ」
「真面目だよな。この講義、出席取るだけだし」
男はそれだけ言うと、またノートに目を戻した。
俺は違和感を覚えた。これは初めての代行バイトだ。
先週の高木は、別の代行スタッフが来ていたのかもしれない。
それならそうと、事前に聞いておいてほしかった。
講義が終わり、出席カードを提出ボックスに入れて教室を出た。
廊下で別の学生が俺に声をかけた。
「高木、今日もバイト?
また話しかけられ、 俺は立ち止まった。
「いや、俺は――」
「いつもの店?」
その学生はもう行ってしまった。俺は首を傾げた。
二週間後、次の依頼が来た。
「生活代行」というものだった。
依頼人は「三村」という学生で、彼のアパートに行って部屋の掃除と郵便物の整理をしてほしいという内容だった。半分くらいは清掃と変わらなかった。
鍵は郵便受けの裏に隠してあると書いてあった。
指定された住所は、俺のアパートから徒歩十五分ほどのところだった。
古い木造アパートで、二階の角部屋が三村の部屋らしい。
鍵を開けて部屋に入ると、六畳ほどのワンルームだった。
散らかってはいるが、意外と汚れているわけではない。いたって普通の大学生の部屋だった。
掃除を始めて三十分ほど経ったとき、ドアがノックされた。
「三村、いる?」
聞き覚えのない女性の声だった。俺は戸惑った。
「あ、ちょっと待って」
「鍵、開いてるよね。入るよー」
ドアが開いた。二十歳前後の女子学生が立っていた。
「やっぱりいた。連絡しても返事ないから」
女は部屋に入ってきて、テーブルの上に缶コーヒーを置いた。
「はい、いつもの」
俺はどうしたらいいかわからず、言葉を失った。女は気にせず話し続けた。
「明日のゼミ、レジュメできた? 私まだ半分しか終わってないんだけど」
「あの、俺――」
「いいよ、無理なら無理で。先生には適当に言い訳するから」
女は笑って部屋を出て行った。
「じゃ、また明日ね」
ドアが閉まった。俺は立ち尽くした。
三週間後、代行バイトの依頼は「学生代行」というものになった。
内容は、依頼人の代わりに大学生活を送るというものだった。
講義に出て、ゼミに参加して、友人と話す。それだけだと書いてあった。
依頼人の名前は「佐藤涼」。
俺と同じ名前だった。
偶然だと思った。珍しくもない、同姓同名の人がたくさんいるであろう名前だ。
指定された学生証の写真を見て、俺は息を呑んだ。
そこに写っていたのは、間違いなく俺の顔だった。
いや、なんとなくちがうような…でも、ぱっと見は同じに見える。
メールで問い合わせたが、返信はなかった。
翌日、俺は自分の講義に出た。
教室に入ると、友人の田中が声をかけてきた。
「久しぶり。先週休んでたよな」
「え、いや、俺は先週も――」
「出席取られてたけど?」
田中は不思議そうな顔をした。
「代返でも頼んだ?」
俺は答えられなかった。
講義が終わって、俺は学務課に向かった。
窓口で自分の学生証を出した。
「すみません、履修状況を確認したいんですが」
職員は端末を操作した。しばらくして顔を上げた。
「お名前は?」
「佐藤涼です」
「学籍番号は?」
俺は学籍番号を伝えた。職員はまた端末を見て、首を傾げた。
「該当する学生が見つかりませんが」
「え?」
「佐藤涼さんという学生は、本学に在籍していないようです」
俺は学生証を差し出した。
「これ、俺の学生証ですけど」
職員は学生証を受け取って見た。
それから俺の顔と端末を見比べて、困惑した表情になった。
「少々お待ちください」
職員は奥に引っ込んだ。五分ほど待たされた後、別の職員が出てきた。
「申し訳ございません。こちらのシステムの不具合かもしれません。後日、改めてご確認いただけますか」
俺は学生証を返してもらって学務課を出た。
その夜、代行バイトの運営から新しいメールが来た。
「次回の依頼内容:完全代行」
今度は代行の詳細は書いていなかった。
待ち合わせ場所だけが指定されていた。大学の裏にある古い倉庫だった。
俺は行くべきか迷った。
でも、行くことにした。理由は分からない。ただ、行かなければならない気がした。
翌日の夜、指定された倉庫に行った。
中には五人ほどの学生がいた。
全員、俺と同じくらいの年齢だった。
一人の男が俺を見て言った。
「新しい人?」
「ああ」
「俺も三か月前に来た。代行バイト、やってたんだろ」
俺は頷いた。
「最初は簡単だったよな。出席代行とか。でも、だんだん変わっていく」
「私はもう、自分のアパートに帰れない。誰か別の人が住んでる」
うつむきながら別の女子学生が言う。
「俺は家族に電話しても、誰だって言われた」
男たちは淡々と話していた。
一人の学生が俺に聞いた。
「お前はまだ、自分の名前覚えてる?」
「佐藤涼」
「それ、本当にお前の名前か?」
俺はなぜか答えられなかった。
倉庫を出て、俺は自分のアパートに戻った。
部屋の鍵を開けようとしたが、鍵が合わなかった。
何度も試したが、開かなかった。
隣の部屋の住人が出てきて、俺を見た。
「どちら様ですか」
「ここ、俺の部屋ですけど」
「いえ、ここは佐藤さんの部屋ですよ」
「だから、俺が佐藤です」
隣人は首を振った。
「佐藤さんは今、部屋にいますよ。さっき帰ってきたのを見ましたから」
俺は言葉を失った。
その夜、俺はネットカフェで過ごした。
スマホで自分の名前を検索した。
SNSのアカウントが出てきた。俺の名前で、俺の顔写真がアイコンになっていた。
でも、投稿内容に覚えがなかった。
昨日の投稿には、「ゼミの発表終わった。打ち上げ楽しかった」と書いてあった。
俺は昨日、そんなことをしていない。
友人のアカウントを見た。田中の投稿に、俺が写っている写真があった。
でも、俺はその場にいなかったはずだった。
翌朝、代行バイトの運営から最後のメールが来た。
「代行完了。ありがとうございました」
それだけだった。
俺は大学に行った。
いつもの講義に出ようとしたが、教室に入ると誰も俺を見なかった。
友人に声をかけたが、無視された。
いや、無視されたわけではない。気づかれなかったのだ。
俺は廊下を歩いた。何人もの学生とすれ違ったが、誰も俺を見なかった。
学食に行った。席に座ったが、誰も来なかった。
俺の前を通る学生たちは、俺がいないかのように振る舞った。
俺は自分のスマホを見た。
画面には何も表示されなかった。電源が入っているのに、何も映らなかった。
夕方、俺は再び自分のアパートに行った。
窓から部屋の中を覗いた。
俺がいた。
いや、俺ではない。俺に似た誰かが、部屋でテレビを見ていた。
その人物は笑っていた。
俺は立ち去った。
夜、俺は学内掲示板の前に立った。
新しい募集が貼ってあった。
「代行サービス・スタッフ募集」
時給は良かった。週一回からでOK、面接なし。
俺はその紙を見つめた。
誰かが俺の隣に立った。金欠そうな顔をした学生だった。
その学生は募集の紙を見て、スマホで写真を撮った。
俺は何も言わなかった。
言えなかったのだ。
学生は去っていった。
俺もその場を離れた。
どこへ行けばいいのか、もう分からなかった。
ただ、歩き続けた。
誰も俺を見ない街を、 誰も俺を呼ばない世界を。
俺は歩いた。
俺だった何かとして。
【完】




