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呼び水地蔵

作者: 西牙叶

 初めて登った山で道に迷ってしまった。

 最初に、あれ? おかしいなと思ったのは分かれ道を進んだ時だった。

 歩いているうちに、道幅が狭くなっていくなと気づいた。


 立ち止まった瞬間、静寂が訪れた。前からも後ろからも登山者は来ていない。

 景色は――木々の中の地ならしされた山道。

 右側の林は急な傾斜になっていて、この上に山頂があるのを物語っている。

 ならば、この道は――? 山頂に続くのとは違う道を行っている、気がしてきた……


 このまま進んでも、もしかしたら、山頂に続く本道と合流できるかもしれないが……

 知らない場所に続いていたら困る。

 戻ろうかと来た道を振り返ろうとした時、水音が聞こえた。


 ちょろちょろ。耳を澄ますと、葉の擦れるさわめきに混じって確かに聞こえた。

 水音の場所まで進んでみようと歩きだす。

 湧き水があった。

 傾斜の木々の間から細い石の水路が伸びていて、綺麗な水が道のほうに突き出た先端から石で囲われた地面に流れ落ちている。

 山の中の水道だ。人工的な湧き水に、ほっとして近寄っていた。

 湧き水のそばには小さなお地蔵様があった。風雨にさらされて削れたのか表情はよくわからない、色褪せた赤い前掛け。

 ずいぶん昔からありそうだと横目に見ながら、湧き水で手を洗って両手に掬い口に含んでみる。


「はあ、美味しい」


 冷たくて清らかな水だ。

 飲むと渇きが癒えて安堵感が全身に広がった。一時的とはいえ、救われた気分になれた。

 いや、ここに居れば湧き水を求めて来る人と会えて助かるかもしれない。その考えに気持ちが傾いたのと休憩も兼ねてリュックをおろして地面に尻をつけて座り込んだ。

 一息ついてぼんやり疲れを癒やす。

 ちょろちょろという水音にだけ集中していると、なお癒やされるようだった。


 いつの間にか閉じていた目を開けて道を確認する。

 誰も来る気配はない、このまま居ても仕方ないかと立ち上がった。

 来た道を戻り歩きだすと、湧き水を飲んだおかげか元気に進んでいけた。

 しかし、勢いがよかったのは少しの間だけだった。

 また、分かれ道に行き当たったから止まってしまった。どちらに行くべきか分からなかった。一度間違えたせいで自分の選択に完全に不安を覚えてしまい決められなかった。


 また来た道を戻ることにした。

 唯一頼れる相手のように湧き水のところまで。また一口飲んだ。最初に味わった安堵感をまた得たかったのかもしれない。確かに飲むと安心できた。やはり、ここで湧き水を汲みに来る人を待とう。

 そう決めて再び腰をおろした。スマホを確認してみると電波は不安定だった。まぁ、こんな人の来る道で救助を呼ぶ必要もない。

 時刻もまだ正午、弁当をここで食べることにした。こんな所で、おにぎりをかじっている姿――湧き水を汲みに来た人に見られたら笑われるだろうなと苦笑いした。

 この登山は失敗だったなと思う。けれど、これはこれで良い思い出になるだろう。


 無事に下山できれば……


 よぎった不安にかられて辺りを見回してみる。

 水音と葉が擦れる音だけが聞こえる静かで穏やかな山道。

 幸い、熊はいない山だし猪も見渡す限りにはいない。万が一、猪が出てきたら逃げる勢いでそのまま下山できるかもしれない。そんなバカな想像をしつつ、おにぎりを食べ終えてまた湧き水を飲んだ。

 リュックにはペットボトルの水があったが心と体が湧き水を求めていた。飲むとほっとできて安堵感から体の力も抜けていく。つい、山道のすみに横になっていた。目は開けて道を見ておく。誰か来たときのために……


 何で誰も来ないんだ。普通、湧き水を求めて大勢の人が来るもんじゃないか?


 疑問に動かされるように体を起こした。間違った道の先からも人が来るのだろうか? 今度はこの道を進んでみよう。どこに続いているのか見てみよう。

 リュックを背負って歩きだす。道はどこまでも続いていた、怖くなるくらいに。このまま知らない道を進んで知らない人に助けを求めて……助かるのだろうか?

 恐怖にかられて道を戻っていた。

 湧き水のところまで。

 ゴクゴク飲んで安心した。もう何度目だろう……頭が痛い。山の地場?のせいだろうか、不安からくるストレスか。わからないが、湧き水のそばに居ると安心できた。

 夜でも水音を聞いていると安眠できる。ここに居れば水には困らないし、お地蔵様といると安心できるし。

 朝の日差しのなかでペットボトルの水を捨てて湧き水を入れた。また道を進んでみた時も安心していられるから。頼りになる湧き水入りのペットボトルを胸に抱えて歩きだす。


 どれくらい歩いただろう、


「大丈夫ですか?」


 歩き疲れて倒れていたらしい……

 抱き起こしてくれた男性に笑いかけた。


 やっと来た、湧き水を求める仲間に。


「ここの湧き水、美味しいですよね」


 えっ? 湧き水?

 聞き返してくる声に答えられない、意識がまた朦朧としてきた。



 目を覚ますと、病院のベッドに寝ていた。

 登山を開始してから丸一日経っていたが、幸い遭難で世間を騒がす前に生還できた。

 医者がやってきて入院時の状態を教えてくれた。

 体は衰弱していて腹は水でいっぱいだったという。


「道に迷ったことによる体力の消耗より、水中毒で危ない状態でしたよ」


 水中毒?


 救いだと思っていた湧き水に殺されかけたのか……?


 まだ、たぷたぷしているような腹を見つめた。


 何がなんだか呆然としていると、助けてくれた男性(Aさんとしよう)が見舞いに来てくれた。

 お礼を伝えて無事を喜んでもらった後。

 一通り山で何があったか話すと、


「お地蔵さん? あの山道にそんな湧き水あったかな」


 Aさんは首をかしげた。


「私も、あの山には登っていてね、湧き水の場所は知ってるんだけど……お地蔵さんはないし広い山道にあって人もよく来るんだよ。そんな狭い道にもあったかなぁ」


 お地蔵さんの写真を撮っておけばよかったと後悔した。

 現実を直視するだけで精一杯だったんだ。

 ペットボトルの水を見せた。

 見た目はただの水と同じだから、証拠になるかはわからないが。

 Aさんも信じたものかどうかと言いたげに、しげしげペットボトルを見ていた。

 飲んでみてもらうにも、飲みかけは勧めづらい。

 様子を眺めているとAさんは真剣な顔でこちらを見た。


「うーん、湧き水はどこかにあるんだろうね。実はね、君の他にも遭難して水で腹がいっぱいになった状態で見つかってる人がいるんだよ……皆亡くなってだけど……」


 少し重苦しい沈黙が続いてから、


「その人達も湧き水を飲んで助かっていたんだろうね。もっと早く見つけていれば、君みたいに命があったかも知れないな……その湧き水の場所を教えてもらえるかな」


 必死で思い出し出来る限り正確な地図を描けたと思ったが、後日、Aさんから辿り着けなかったと連絡があった、

 気力体力が回復してから同行して探してみることになった。

 今回はAさんについて行く形で登る。

 間違えたと思う分かれ道があり行ってみたが湧き水には出会わなかった。


 ――こんなに歩いた気もしなかった。


「この道はこれ以上行くと隣の山に続いてるよ」


 Aさんの言う通り、道案内の矢印があらわれた。


「これは見てないですね」

「そうか、じゃあ、この道じゃなかったのかな……もう昼になるね。こっちに行って休憩しよう」


 Aさんの指差す方向に進む。


 おかげで念願の山頂にはついた。

 しばし、目的を忘れて喜びあい、眺望を楽しみ、弁当を食べた。Aさんが弁当から、この山で採れた山菜料理をわけてくれた。色々と山に対して思うことを忘れるくらい美味しかった。

 食後は山頂から双眼鏡を覗いて湧き水を探してみたが、やはり見つからなかった。古い案内板があったので確認したが、やはり湧き水はAさんの知っている場所だけしかない。

 下山は別ルートを行った。見つからない。似ている道なのに……首をかしげてしまった。


 Aさんも首をかしげた。


「湧き水のありそうな道は通ってるのに、おかしいねぇ。場所がわかれば、また遭難者が出た時に捜索の目印にできて助かるんだが」


 無念をにじますAさんに同意しておいたが……

 内心は疑問を抱いていた。

 あの湧き水があれば助かるのか、あの湧き水のせいで死ぬのか。

 湧き水に執着して道を進めなかったじゃないか。お地蔵さんを頼って死にかけたじゃないか。

 ペットボトルに湧き水を入れて歩いたから逃げ切れたのかもしれない。あのまま、お地蔵さんと湧き水のそばにいたら――?


 あの湧き水は誰が作り使ってきたのだろう……お地蔵さんのある意味はなんだろう?


 この山には恐ろしい何かが――


「気にしないで、君が無事でよかった」


 黙り込んだのを気にしてか、Aさんが気遣ってくれた。


「すまないね、遭難した山に登らせて」

「全然大丈夫です、何ともありませんよ」


 平静を保って答えた。

 心の底から、ちょろちょろと湧き水の音とともに恐怖心が湧いてくるのを堪えながら。

 この音は幻聴――?


「疲れたろう。日が暮れる前に降りようか」


 Aさんについて行くと無事に下山できた。

 この男性はなぜ、水音に誘われないのか?

 何か自分と違いがあるのか?


 聞いてみたりはしなかった。

 二度とこの山に登ることも調べることもないから。

 この出来事を思い出そうとすると、喉の渇きを感じはじめるからだ。

 湧き水が飲みたくなってしまいそうになるからだ。


 ほら、もう喉がカラカラで……ちょろちょろと水音が……お地蔵さんの微笑みが……思い出すな……リュックサックに湧き水の残るペットボトルがあった。



 山に登って数日後、Aさんから連絡が来た。


「山頂に張り紙でもして情報を集めようか」


 張り紙の内容は、山頂までの道に地蔵が置かれた湧き水を見た方はいませんか? というもの。

 黒字で淡々と書かれている貼り紙の画像を見た。

 こんなのが山頂に貼ってあったらなかなか不気味だ。SNSで話題になって情報がくるかもしれない。いや、自分も情報を拡散しないといけないだろうか。

 あまり、思い出したくはないのだが……また登ることになるのも避けたい。

 それに、


「湧き水についての詳細は書かないほうがいいと思います。興味本位で探して同じ目に遭う人がでるかもしれませんから」

「そうだね、遭難者をださないようにしなければ」


 Aさんにも気をつけてと伝えておいた。


 親しみが湧いているAさんにも遭難してほしくなかったから。

 湧き水の美味しさは知ってほしかったが。

 ペットボトルに残った湧き水を見つめる――

 飲みたい衝動と、一生取っておきたい気持ちがせめぎ合う。

 胸に抱くと不思議とまた安眠できた……

 この出来事の詳細は結末は……まだ知らないままでいい……

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