Track 05 逆共鳴ツアー、ゼロ小節目
薪の匂いが服どころか魂レベルで染みついてきた今日この頃、俺もすっかり“村の干し草運びおじさん”として定着している。東京じゃ終電ダッシュが日課だったのに、いまじゃ干し草ダッシュで筋肉痛。ライフスタイルのギャップで耳キーンですわ。
それでも朝の光の角度、畑に人が湧くタイミング、井戸端会議の話題など──村のリズムはだいたい掴めてきた。要するに、ドラムが 16 裏でモタるタイプのビート。ちょっと走ればノレるけど、ノリすぎるとご近所トラブル。そんな絶妙さ。
……まぁ、それをイリヤや教授に熱く語っても 0.3 秒で話題が蒸発するので、ここ数日はおとなしくモブAとして干し草を運搬していた。
◇
そんなある日、干し草の山と俺の間に教授が出現し、小さな風呂敷をヒラヒラさせながら言った。
「陽介くん、今日は少し付き合ってくれないか」
あれ? デートのお誘いですか? と脳内ツッコミを挟みつつ振り返ると、教授はやけに上機嫌。眉は 120%ゆるんでいる。
「どこへ?」
「村の“酒場”だよ。少し、話がしたくてね」
「異世界の酒……!」と声が弾んだのを自覚し、慌てて咳払い。
「もちろん行きます。ドローン逃げ回り筋肉痛、アルコールで溶かしたい系男子なんで」と適当な理由を添えておく。
教授は眼鏡をクイッとやりながら「それは酒の用途として正しいのかね」と苦笑。いいから連れてってください、マスター。
◇
出発前、薪割り中のイリヤに声をかけると「今日は家にいるね。……教授と話したいこと、きっとあるだろうから」と背中で返事をする。……正直、酔っぱらった彼女を見てみたかった気もするので残念だ。
夕暮れ、石畳が湿気で滑りやすくなる中、教授と肩を並べて歩いた。子どもたちの声は既にフェードアウトし、薪の煙が空にレイヤーを重ねる。静かすぎて BGMが欲しくなるけど、それをこの世界で望んじゃだめなんだった。
「……教授、毎晩通ってるんですか?」
「まさか。時々だよ」
路地を曲がると、ランタンが柔らかく石畳を照らす木造平屋が1軒あった。看板も暖簾もなく、ただ扉の上に五線譜っぽい鉄飾り──でも音符はゼロだった。
教授が扉を押すと、木がきいと鳴き、中からほのかな灯と人の気配がした。広くはないが天井が高い。中央に長いカウンターがあり、奥でベスト姿の女性が無言でグラスを磨いている。テーブル3つに村人が2組ほどいる。
教授に手を挙げる村人Aを横目に、カウンターへ向かう。ベストの女性──レーナさん(情報:無表情、顎のラインシャープ)は低くざらつく声で一言。
「……その子、旅人?」
教授が紹介すると、レーナは顎を 3mm だけ下げた。たぶんこの世界流「よろしく」なんだろう。
「レーナさん、はじめまして。あ、こっちじゃ“よろしく”言わないんでしたっけ」
「……言わないけど、まあ通じたわ」
なるほど。この人もイリヤ系の“言語コスト最小主義”か……。
教授が「少し静かな席を」と頼むと、レーナはカウンター端を顎で示した。照明が当たりにくいコーナー席だった。
◇
木椅子がきしむ音と共に腰を下ろすと、教授は「いつものを2つ」と注文した。レーナが琥珀色の液体を注ぐたび、グラスが低く鳴った。この ASMR 課金したい。
「穀霊酒──村の麦で造ったんだ。本当は“祭り”で飲むものだったが、祭りももう途絶えて久しい」
教授の解説に「音楽がない世界で祭りとかたしかに無理ゲーっすね」と返すと、教授はグラスを傾けながら意味深なスマイルを向けてくる。
「……君は、どうやら共鳴の中心にいるようだがね」
何その厨二的なセリフ。聞き返す間もなく背後から「教授ー!」と陽気な声。村の脳筋兄貴が歓迎モードで手を振る。「俺も教授に拾われた口さ、よろしくな旅人!」と胡散臭い笑顔。なんなのこの村、異邦人受け入れ慣れすぎて逆に怖い。
そして沈黙を切り裂くように、レーナがふいに尋ねた。
「……イリヤは?」
教授が「今日は来ないと言っていた」と答えると、レーナは「そう」とだけつぶやいた。手元のグラスがわずかに震え、その波紋がすぐ消えた。
◇
頃合いを見て教授がグラスを差し出す。
「さて。聞きたいことが山ほどあるはずだろう?」
図星。俺は深呼吸して質問を一気に吐き出す。
「音楽が消えた理由、封印の仕組み、俺が演奏者に選ばれた経緯、ぜんぶ教えてください――それと、あのチートを授けてくれた神様、ちゃんと説明してくれよ!」
教授は窓の外、星の粒を眺めながら語り始めた。
――昔、この世界は旋律に満ち、人は祈りのように音を紡ぎ、魔法もまた音だった。
――しかし“魔王”が出現し、理を超えた破壊を振りまいた。
――勇者は旋律を武器に魔王を討ったが、共通の敵を失った世界は自壊を始め、国家は音を兵器にする方向へ舵を切る。
――それが“共鳴戦争”。旋律で敵国の精神を狂わせ、都市構造を崩壊させる地獄のサウンドトラック。
――戦争の果て、国家と教会は「もう音楽とか全部怖いから禁止!」と宣言し、《沈音呪詛》を発動。旋律を“名前のないもの”にして封印した。
ここまではダークな歴史講座。問題はこの先だ。
「封印の核は《律獣》──音の化身だ。奴らの心臓に《零位石》を埋め込み、外殻として《律具》と呼ばれる封印楽器に縛った。さらに《静律塔》で封印波を世界中にばら撒き、リズム自警団を常設している」
図にすると完全に核融合炉の多重隔壁。そりゃ音楽なんて1ビットも漏れませんわ。
「だが封印は完璧じゃない。律獣を解放し、零位石を壊し、律具を“逆共鳴”で鳴らせば、呪詛は綻びる」
教授は穏やかな声で言うが、内容はつまりラスボス攻略マニュアルである。
「……じゃあ俺がやるのは?」
「この世界――エラシア中を旅し、各地の封印楽器を探し出し、逆共鳴を起こすことだ。イリヤは君のガイドであり、旋律の残響そのもの。迷ったとき、彼女が指標になる」
要約:『世界に散らばる封印装置を壊して回り、呪詛を解いて音楽を取り戻せ。』──あれ? これゼル◯に似たやつ!?
「……で、なんで俺が選ばれたんですか?」
教授はグラスをゆっくり回し、ほの暗い液面に映る月の欠片を覗き込んだ。
「零位石が発する封印波には、ごく稀に“逆位相”で共鳴する魂が現れる。過去に二例――いずれも異世界からの転移者だ。
君が事故に遭った瞬間、私の感知装置が異常共振を検知した。“旋律を愛し、なおかつ構造を視る”資質を備えた個体は、おそらく君だけだったのだよ」
つまり俺は、地球とこの世界――エラシアを繋ぐ“音の窓”にジャストでハマったってことらしい。……ラッキーかアンラッキーかは今のところ判定不能だ。
教授は静かにグラスを置き、指先で縁をなぞった。
「──そして、もう一つ。これは私のわがままに近い個人的理由だがね」
琥珀色の残り滴がランタンの光を受けて揺れる。
「幼い頃、まだ封印波が薄かった辺境で、母が口ずさんでくれた子守歌があった。旋律の大半は〈沈音呪詛〉に溶かされ、いまでは一小節さえ思い出せない。だが──“あの瞬間に胸が温かくなった”という手触りだけは、なぜか消えていないんだよ」
教授は淡く笑い、目の奥に小さな焦げ跡のような光を宿した。
「学者としては構造を解き明かせれば満足すべきなのだろう。だが男として、あの温度を世界から奪わせたまま老いるのは……どうにも性に合わなくてね」
その瞳の揺らぎは、静かな決意と、ほんの僅かな悔しさを含んでいた。
教授は一度目を閉じ、ゆっくり息を吐いた。
「――それに、イリヤだ。」
その名前を出すだけで、声色がわずかに揺れた。
「彼女を拾ったとき、私は“音楽”の欠片を見せてやれると信じていた。けれど封印は想像以上に深く、私の研究では《構造》を示す図面しか渡せなかった。旋律そのものを、一度でいいから聞かせてやりたかったのだが……」
指先がグラスの縁をたどり、微かな澄んだ音を立てる。
「彼女の目が初めて君の無音演奏に震えた瞬間、私は痛感したよ――私は“父”としても“学者”としても、まだ何一つ報いていないのだとな。」
灯りの下で揺れるその表情には、静かな悔しさと決意が同居していた。
◇
月明かりがグラスの液面でゆらりと揺れる。教授の説明が終わる頃、俺は脳内のTODOリストを開いていた。
旅? 封印? 律獣? ……いや、この世界に転生してきた以上、やるしかないんだろうけどさ。
それにアニメもマンガも栄養だけど、俺のメインディッシュは常に音楽だった。
メインが欠けたフルコースなんて金払って食えないだろ?――なら、取り返しに行くしかないか。
「──わかりました。やりますよ、教授。バンドもツアーしなきゃ始まらないっすからね。……まあ、もちろん俺はツアーなんてしたことないけど」
自嘲と怖気と、ほんの少しのワクワクをシェイクして飲み干す。琥珀の苦味が喉を焼く頃、胸の奥でまだ聞こえないビートが4カウントを刻み始めた。
ここからが、“逆共鳴ツアー”初日だ。