絢爛たるグランドセーヌ
秋田書店の青年コミック棚で足を止め、すでに数分。
紗英は目の前の本を仕入れるかどうか、考え込んでいた。
『絢爛たるグランドセーヌ』。
クラシックバレエに打ち込む少女たちの物語。1巻から10巻まで、そろっている。値札はすべて110円。並の古書店なら、状態もまずまずといったところだ。
メルカリを開いた。直近の相場、販売実績、利益の見込み──悪くはないが、よくもない。クリーニングや撮影、出品の手間を考えれば、仕入れるほどの旨味はない。
スルー。それが合理的な判断。そう思いつつ、指先は画面から目の前の棚へと戻る。
彼女はスポーツを題材にしたマンガを好む。特に、地味な練習の描写に光を当て、登場人物の微細な心の揺れを丁寧に拾い上げる作品に惹かれる。その系譜に、この作品があるような気がしていた。
これまで、何度も棚で目にしては通り過ぎてきた。そのたびに感じていたのは、わずかな興味と、得体の知れない戸惑いだった。
青年コミックの秋田書店棚──それは、ヤンキー漫画の巣窟。喧嘩、暴力、汗、叫び。そんな空気に満ちた一帯で、しんと静かな舞台芸術を描くこの作品だけが、違う方向を見ているように思える。
たとえ面白くても、自分には縁がないのではないか。そう考えると、なぜか気圧されて手が伸びなかった。
けれど今、改めて10冊並ぶ背表紙を見つめると、胸の奥が静かに動いた。
ひとまず、1巻を手に取る。軽くページをめくり、描線の繊細さに目を留める。セリフは控えめで、人物の動きや表情がよく描かれている。予感が確信に近づく。
ふと、ある思いが浮かぶ。
──私は、この仕事を何のためにしている?
安く仕入れ、高く売る。商売としては、それが全て。
けれど同時に、面白いマンガに出会いたい。その気持ちが、動機の中に確かにある。
「買おう」
紗英の手が、カゴに向かって動いた。ゆっくりと、静かに本が吸い込まれる。
その晩。帰宅後の手洗いを終え、彼女は椅子に腰を下ろすと1巻を開いた。
ページをめくる指が止まらない。頬が緩む。
──やっぱり、買ってよかった。
紗英は小さくガッツポーズを取り、続きを読んだ。