[前略・ミルクハウス]
「できたよ」
紗英はキッチンからリビングに顔を出し、同居人の多恵に声をかけた。
麻婆豆腐の皿を両手に持っている。
時刻は19時過ぎ。夕食の支度が整ったところだ。
「ありがとー♪」
リビングのソファに腰かけた多恵姉が手を挙げる。
三缶目のビールを片手に、顔はすでにほんのり赤い。今夜も絶好調のようだ。
「飲みすぎじゃない?」
「まーまー」
そんな調子で、ふたりの夕食が始まった。
おかずは麻婆豆腐と小鉢が二つ。量は控えめ。朝食がしっかりめなので、夕食はだいたいこんな感じだ。
「んーおいしー♪さっすが紗英ちゃん!いつでもお嫁にいけるね♪」
「それセクハラじゃない?」
「え、そうかな? なんでもコンプラ、世知辛い世の中だねえ」
多恵姉が笑う。ビールは四缶目に入っていた。
紗英はチューハイをちびちび飲みながら、酔っていく多恵姉を眺めていた。
外ではちゃんとしている人だ。真面目で、あまり隙がない。
でも家では違う。わがままで時に甘えんぼう。とくに飲んだときは。
同居し始めたころは、家でも「ちゃんとした顔」をしていた。
いつのまにかその顔は崩れており、多恵姉の存在は「尊敬できるがやや距離間のある従姉」から、「手のかかる姉」に変わっていた。
どうしてこうなった、という思いもなくはない。
だがまあ、仕方ないか、とも思う。
今のほうが気を使わないで済む、それは確かだ。
「あのマンガ読んだ?」
「読んだよー♪良かった。ヒロインやばいね」
「やばいよね」
以前、読んでほしいと言った作品だ。タイトルは言わなくても伝わる。
この暮らしになって、もう5年近くになる。
料理や掃除、洗濯をしているのは、たいてい紗英のほうだ。
実際、紗英は“嫁”的なポジションに収まっている。それもあながち間違いではない。
食べ終えた食器を洗いながら、紗英は呟いた。
「多恵姉は、ミズキみたいだね」
水の城と書く、某マンガの飲んだくれ美女。
「なにそれ?」
「ミルクハウス」
「ああ」
振り向くと、多恵姉がにやりと笑っていた。
「歌おうか?」
「いらない」