【第3話】二億ゴールドと、魔物と、加護の力
帝国からの手紙を受け取った私は、あっさりと行き先を決めた。
追放されてすぐに手紙が来たことを考えると、間違いなく王立学院に情報員がいる。
その存在を隠すより、聖女を雇うことを優先したんだろう。
それだけ聖女を高く評価してくれてることを、私は受け入れることにした。
二億ゴールド。──正直、額面には興味はなかった。
けれど「必要とされている」という事実だけで、心が少しだけ軽くなったのは確かだ。
「散歩の延長ね……少し、遠回りになるけど」
私は新たな馬車に乗り、帝国へと向かう。
手紙に記された通り、帝国国境付近の街が目的地だったが──到着する前に、それは起きた。
◇ ◇ ◇
帝国との国境近く。
荒れた大地に立つ街が、魔物による襲撃を受けていた。
治安が悪いと聞いていたけど、まさか魔物の襲撃をいきなり見ることになるだなんて。
「きゃあああああっ!」「魔物だぁああああっ!」「うわあああああ!!」
巨大な牙を持つ狼型の魔獣が、街の壁を越えてなだれ込んでいた。
あれは……ケルベロスね。強大な影に宿った魔力そのものを払わない限り祓うことは難しい。
帝国の騎士団が必死に応戦していたが、数が多く、そして速い。
「……御者さん、馬車を止めてください」
「し、しかし、聖女様! この先は危険で──」
「構いません。私はここで、散歩します」
私がゆっくりと馬車を降りると、周囲の兵士たちが驚いた顔でこちらを見た。
けれど、それよりも早く、魔物がこちらに気づいた。
「ッシャアアアアアアッ!!」
魔物が地を這うような速さでこちらへと向かってくる。
だが、私が一歩近づいたその瞬間──
魔物が、突然咳き込むように足を止めた。
「ぐ、ググッ……!?」
そして次の瞬間、近くで戦っていた騎士たちの身体に光が走る。
擦り傷がみるみるうちにふさがり、倒れかけていた者が再び剣を握った。
「こ、これは……身体が、軽い……!?」
「魔物の動きが鈍くなったぞ!」
魔獣の邪気を払ったから彼らの体からもそれが抜けていったのだ。
私は、ただ歩いているだけだけど。
けれど、空気が変わった。
癒しと浄化の力が空間そのものに満ちていく。
魔物の体は弱体化し、人の体は活性化する。
これがあたしの固有能力【聖路行幸】。
あたしが歩いたり走ったりした魔力の道は加護が付与され、半径約五十メートルを浄化する。
「──“聖女の加護”です」
とあたしは微笑む。
騎士たちの中の誰かが呟いた。
「まさか……聖女とは、ただ祈るだけではない……!?」「この存在そのものが、加護……!」
動揺する騎士たちに、見目麗しい剣士が叫ぶ。
「魔物の動きが鈍った! 畳みかけるぞ!」
その言葉と同時に、騎士たちは一斉に動き出した。
活力を取り戻した彼らは、見る見るうちに魔物を追い詰め、殲滅していく。
地に倒れた最後の魔物の身体が、紫色の瘴気を吐き出して崩れ落ちたとき──空が、晴れた。
◇ ◇ ◇
「……お見苦しいところをお見せしてしまいました」
整然と整列した帝国の騎士たちの中を、見目麗しいひとりの男剣士が歩いてくる。
金色の髪に、整った容姿。そして真っ直ぐな青い瞳。
装備からして、彼が他の騎士と違う特別な感じがある。
彼は、深く頭を下げた。
「いえいえ。困ってる人を助けるなんて、当然ですよ」
とあたしは笑顔で返す。
「私は帝国皇子、アレクサンドロス・ディオンバシレウス。本日は貴女に、心より感謝を申し上げます」
「お気になさらず。私はただ、散歩していただけです」
私が微笑むと、アレクサンドロス皇子は一瞬だけ目を見開き──そして、ふっと笑った。
「ようこそ、帝国へ。リリア・アークライト聖女殿」
風が吹いた。
災いが去り、新たな空気が帝国に吹き込まれた、そんな気がした。
「……聖女さまが、これほど美しいとは」
「っは?」
「いえ、その、何でもありません」
とアレクサンドロス皇子は咳払いした。