パーティー当日1
カートル公爵家が主催する婚約記念パーティーまでの日々はあっという間だった。
パーティー当日、私は馬車で会場に向かいながら今回のパーティーのことを考えていた。
学園では社交も大切にしている。
今回のパーティーは公爵令嬢と侯爵子息の婚約であるので、学園からも多くの生徒が参加していた。
しかし、今回クロルはサート伯爵家の次男として招待状を貰っているので、私の側にいることは出来ない。
つまり……味方が一人も側にいない場所に向かうのだ。
私は会場に着いた馬車の中からすぐに降りることが出来なかった。
馬車で向かいに座っていたリーリルが心配そうに私の顔を覗き込んでいる。
「大丈夫よ、リーリル。心配しないで」
「しかし、私もクロルも側にいられない場所にお嬢様を行かせるなんて……!」
「リーリル、私は幼い子供ではないのよ?」
「分かっております。分かっておりますが……」
「リーリル、私ね、今日のドレスも髪型も素敵で大好きだわ。リーリルのおかげね。だから、美しく着飾っているドレスも髪型も今の私にとっては鎧なの」
私は馬車を降りた後に、もう一度リーリルの方に振り返った。
「行ってきます」
「ちゃんと笑顔で帰ってくるわね」とは最後まで言えなかった。
きっとどれだけ会場で強がっても、帰ってリーリルの顔を見たら泣いてしまうかもしれないから。
そして、私は窓からライトの輝きが漏れる会場に足を踏み入れた。
パーティ会場に入場した後は、学園と同じように皆が遠目にコソコソと私の噂を口にしていた。
エスコートすらなく会場に入場した私を笑っていた。
「王女のエスコートがないなど考えられる? どれだけ嫌われているの」
「悪女だから皆断るに決まっているわ。 よく恥ずかしげもなく来れるわね」
「頭がおかしいのではなくて」
嫌われ者の大悪女はエスコートがなくても、悪口だけで済む。
本当はクロルが伯爵家として届いた招待状を無視して、私のエスコートをすると名乗り出てくれた。
しかし、それでは火の粉がクロルに飛ぶことは目に見えていた。
「誰かあの王女を会場から追い出して欲しいくらいだわ」
「邪魔だもの」
「それにしても、言い返しても来ないなど気味が悪い。心の中で何を考えているのか」
ある意味、この会場での私への攻撃が悪口だけ済むのならば、正直有り難かった。
しかし……
そんなはずはなかった。
バシャっと、いう音と共に私のドレスにワインとかけた者がいた。
それが皮切りだった。
「悪政の根源が!」
「お前の課税のせいで苦しんだ人間がどれだけいると思っているんだ!」
「のうのうと自分だけパーティーに参加するなど烏滸がましいにも程がある」
貴族たちが一斉に私に飲み物をかけた。
髪を引っ張る者もいた。
私はその場で崩れ落ちるようにうずくまった。
私の鎧は……リーリルが選んでくれた鎧は簡単に崩れた。
私はただの嫌われ者ではない。
国民の生活を苦しめた「悪政の根源」
では、何故クーデターが起きないのか。
国王である父が王として国民に信頼されているから。
そして、国王がある程度私の我儘を抑えていると思っているから。
誰も私のことなど信頼していない。
本当は……皆、私が「処刑」されることすら望んでいる。
屋敷に閉じこもっていた時も、私を殺そうとしてきた者はいた。
屋敷の者が守ってくれていたことも。
分かっていたのに、その現実を突きつけられた気がした。
学園での生活に悪い意味で慣れてしまっていたのかもしれない。
立ち上がらないと。
前を向かないと。
会場に響いている罵声が……すぐ側で聞こえているはずの罵声が、何故か他人事のようにすら聞こえる。
そのはずなのに、手は震えていた。
顔から滴っているのはワインなはず……決して、涙であるはずがない。
早く立ち上がらないと、主催者にまで迷惑をかけてしまう。
いや、もうかけているか。
私が外に出るだけでこれだけの騒ぎになる。
それでも、屋敷にずっと閉じこもっているわけにはいかないの。
その時、会場の別の場所から「マリーナ様……!」とクロルの声が聞こえた。
きっとクロルは私を心配して、そばに来ようとしている。
クロルに守って貰ってばかりいては駄目。
私は立ち上がって、前を向いた。
「やめなさい。私はこの国の第一王女。無礼な真似は控えなさい」
顔を上げて、クロルに「大丈夫」と視線を送る。
私の言葉に周りの者たちは「どの口がっ!」と苛立っている。
それでも、ワインをかける手と髪を引っ張る手を止めることが出来た。
私は近くの使用人に声をかけた。
「ねぇ、貴方。ここを掃除してくれないかしら?」
私はワインで濡れた床を指差した。
使用人は私に呼ばれてビクッと肩を震わせたが、すぐに床を拭き始める。
どれだけ床を拭いても、濡れている私がこの場にいては会場が片付かない。
ドレスの替えはないし、私に貸してくれる者もいないだろう。
私はこの場から……この会場から去らなければいけない。
それでも、このまま去っては逃げるだけのように見えてしまう。
慌てているのに、頭の熱だけが冷めているように感じる。
頭の中で思考が巡っている。
好かれる人間とはなんだろう?
まず何故好かれなければいけないのだろう。
嫌われなければいけない理由は簡単だった。
嫌われるのは、ユーキス国を救うため。
好かれるのは、フリクに会いたい人に会わせて貰うため?
それだけじゃない。
嫌われたままは嫌だった。
もっと言えば、【誤解されたまま】嫌われるのが嫌だった。
私はリーリルに述べた自分の言葉を頭の中で繰り返した。
「私はね、相手が一番力を入れている時にその攻撃をやり返せるのならば、それが最も効果的だと思うわ」
【皆の視線が私に集中している今が好機だ】
私は顔を上げた。
「二年以内にユーキス国内で課税が行われたのは、二回。一度目の課税は三ヶ月間という期間の決まった課税だった。そして、去年行われた課税は今も続いている」
「一度目の三ヶ月間の課税はその年の冬の不作が予想されたから。事前に備えることが必要だった。去年行われた課税は、他国との貿易事業を広げるため」
「そうね……私だったら、去年の課税は行わないわ。貿易事業を広げるならば、別の交渉材料を用意しなければ長続きしないもの。この国だったら、まず縫製の分野が優れているから、そこに力を入れて……」
その時、周りにいた一人の貴族が声を上げる。
「急に何を言っている!」
私は微笑んだ。
「何を言っていると思う?」
「は?」
「私が噂とは違う人物であるという証明よ。信じるかは貴方たちが決めなさい」
私はそれだけ述べて、近くに様子を見に来ていらした主催のカートル公爵令嬢と婚約者のミクリード侯爵子息に一礼をした。
「お騒がせしましたわ。この度はご婚約おめでとうございます」
その様子を見て、先ほど私に話しかけた貴族は逆上した。
そして、私に空になったワインのグラスを投げつけた。
「舐めやがって!」
私はギュッと目を瞑ることしか出来なかった。
顔を守る仕草すら取る余裕がなかった。
ガシャン。
何故か痛みを感じない。
私がそっと目を開けると、目の前にクラヴィスが立っている。
グラスを使用人が持っていたトレイで弾き飛ばしたようだった。
そして、クラヴィスが私の方を向いた。
「助けて欲しい時は、助けてと声を上げないと駄目だ」
クラヴィスが、私の顔に滴るワインをハンカチで優しく拭いている。
その仕草に私はひどく安堵してしまった。