クラヴィスとの練習
練習を始めて数日、大分感覚を取り戻してきているようだった。
「練習は捗っているか?」
突然、声をかけられて私はビクッと体を震わせた。
「クラヴィス」
「少し見ていていいか? 今のマリーナの技術の程度を知っておきたい」
クラヴィスはそう述べると、私の練習をしばらく眺めていた。
「悪くないな」
「本当ですか……!」
「……しかし、今のままでは優勝は厳しいだろうな」
クラヴィスは顎に手を当てて、何かを考え込んでいる。
「ねぇ、クラヴィス。どこが駄目かしら? どんな小さなことでも教えて頂きたいのです」
「……」
「クラヴィス?」
「いや、君はそういう人間だったなと思って。しかし、まず始めに考えなければいけない大事なことがある。普通に優勝するのか、根回しして『八百長』でマリーナを優勝させるかだ」
「っ!」
クラヴィスは私の表情を見極めているようだった。
「マリーナはどうしたい?」
「私は……狡自体が全て悪いことだとは思いません。国を成立させていく上で、真っ向勝負だけではどうにもならない時はある。それこそ他国との取引の時に手の内を全て明かしていては上手くいくはずがない」
「しかし、狡には狡でリスクがあります。今回、その狡を行うのは【あまりに発覚した時のリスクが高い】。発覚した場合、【私の悪女の噂はさらに広がる】」
「そして今回の場合、発覚するリスクがあまりに高いですわ。どうにか私の味方を取引で作ったとして、私は国一番の悪女。すぐに裏切られるに決まっています」
「つまり、今回は普通に勝ちたいと?」
「ええ。それに、私はもう馬術も出来る優秀な王女を目指していますの。そちらの方面で協力して欲しいですわ」
その時、クラヴィスは初めて会った時のように「ははっ」と吹き出すように笑った。
「でも、君は狡とかを毛嫌いするタイプだと思ってた」
「確かに真っ向勝負の方が好きですわ。ただ、それだけでは生きていけませんもの」
私はクラヴィスに聞こえないほどの声量で、最後にこう付け加えた。
「考え方によっては、フリクの力を借りるという狡をしたから、私は国一番の悪女になっていますのよ」
「マリーナ?」
「ふふ、なんでもありませんわ。これでも、私は手段を選ばない方だと言いたいだけです」
すると、クラヴィスは厩舎から、馬をもう一頭連れてきた。
そして、慣れた様子で馬に跨がる。
「クラヴィス……教えて下さるのですか?」
「君が普通に勝ちたいと言ったのだろう?」
「……やっぱり、クラヴィスは優しいですわね」
「……??」
優しいと言われて、本当に意味が分かっていない様子のクラヴィスがどこか可愛くて、私はつい笑ってしまった。
クラヴィスの馬術の技術は、正直軽く優勝出来てしまうようなレベルだった。
練習の合間の休憩中に私はクラヴィスの隣に座った。
「クラヴィスがこの大会に出ないということが、一番の私にとっての有利な事柄ですわ……」
「だから言っただろう? 味方になった私は、案外役に立つと」
クラヴィスが冗談めかして、そう述べた。
それでも、いつもクラヴィスに助けられているのは事実で。
「ええ。本当にクラヴィスには感謝しかありませんわ。クラヴィスが味方で良かったと心から思っているのです」
「っ!」
クラヴィスが私と目を合わせようとしない。
「君はある意味悪女かもしれないな……」
「!? それは困りますわ!噂を消そうと必死ですのに……!」
私が慌てているうちにクラヴィスはこちらを向いていて、いつもの表情に戻っている。
しかも、今度は逆にじっと私を見つめている。
「クラヴィス、どうしましたか?」
「いや、君なら本当に馬術大会で優勝してしまうのかもしれないな」
「……」
「マリーナ?」
「始めに言ったはずですわ。出場するなら、優勝つもりだと。前にクラヴィスが言いましたわよね」
「私には本当に度胸があるのか、それとも度胸があるフリが上手いのか、と。もしかしたら、私はフリが上手いだけかもしれない」
「それでも、いつだって諦めずに立ち向かうと決めていますの。だって、きっとそれが格好良い王女というものでしょう?」
私はクラヴィスと目を合わせて、微笑んだ。
「いつだって私は私の理想の王女でいたいのです」
すると、クラヴィスが急に立ち上がった。
「練習を再開しよう。マリーナ、こっちに来て」
「……??」
クラヴィスに連れられるまま、私がもう一度馬に跨る。
すると、突然クラヴィスが同じ馬に跨った。
私の後ろから私を抱きしめるような形で手綱を掴んだ。
「クラヴィス……!」
「どうした?」
「どうしたというか……えっと……!」
「練習で無理をし過ぎるのは良くない。のんびり乗馬を楽しむことも大切だ」
「何故、同じ馬に乗る必要があるのですか……!」
私は顔に熱が集まっていくのを感じた。
クラヴィスが振り返って私の顔をじっと見つめている。
「……赤い」
クラヴィスがそう呟いたように聞こえた。
「だってこうすれば、君のそういう顔が見れるだろう?」
「からかわないで下さいませ……!」
私がクラヴィスに言い返そうとした瞬間、クラヴィスが手綱を動かした。
馬が歩き始めてしまう。
「マリーナ。いいから、前を向いて。景色を楽しんでみるのも楽しいよ?」
クラヴィスはいつも通りの表情で、まるで私だけが緊張しているような気がしてどこか悔しかった。
それでも、顔を上げれば美しい夕陽が広がっていた。
「綺麗ですね」
「そうだな。ユーキス国は自然が豊かな国だから、夕陽も映える」
「あの、クラヴィス。マリス国はどんな場所なのですか? 私、まだ行ったことがなくて……」
「美しい国だ。独自の建設技術が発展している国だから、ユーキス国とはまた違った美しさがあるだろう」
「ふふ、行ってみたいですわ」
すると、クラヴィスが馬を止めた。
私がクラヴィスの方を振り返ると、クラヴィスの顔が夕陽に照らされていて、どこか神秘的だった。
「いつでも我が国に遊びに来ればいい。君の噂が広がりきっているこの国より居心地が良いかもしれない」
「そうですわね、誰も私を悪女と呼ばない場所も魅力的ですわ。それでも……私は、この国の王女であることに誇りを持っていますの」
「悪女と呼ばれ、罵られてもか?」
「ええ。この噂は……私がユーキス国の王女として、国を守った証ですの。どれだけ私が国一番の大悪女と呼ばれようと、それだけは変わらない。私は今のこの状況を全く後悔していないのです」
クラヴィスは私の言葉を聞いても、すぐには何も仰らなかった。
しばらくして、少しだけ苦しそうな顔で口を開いた。
「マリーナ……君はどうして国一番の大悪女と呼ばれているんだ? 本来の君は全く違った人物だろう」
「まだ言えませんわ。しかし……」
私はギュッと両手に力を込めて、握り込んでしまう。
何も持っていない両手に力を込めても、意味がないことなど分かっているのに。
「いつか、その時が来たら聞いてくれますか?」
本当はもうクラヴィスなら信じてくれると分かっている。
それでも、私はクラヴィスに本当の理由を信じてもらえないことを恐れている。
それくらいクラヴィスに拒絶されることを怖がっている。
それくらい……もうクラヴィスが大切なのだ。
私の問いにクラヴィスは少しだけ笑った気がした。
「君が言いたい時に言えば良い。どんな理由があったにしろ、私はもうマリーナが噂とは違う人物だと知っている」
その時、クラヴィスがそっと私の頬に触れた。
「君が魅力的な人物であることに変わりはないのだから」
クラヴィスが触れた場所から熱が広がっていくような感覚がする。
クラヴィスはそっと私の頬から手を離した。
「そろそろ戻ろうか」
道を戻れば、もう夕陽は沈みかけていた。
クラヴィスと別れた後も、何故かまだ夕陽が沈んで欲しくないと願ってしまう。
まだ、この夕陽を見ていたい気がした。




