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 糸崎もみじはその日、中番出勤だった。

 ニアマート学園東店の中番は、朝九時から十八時まで。シフトは店長である母が組み、アルバイトたちと交代で回している。

 海谷商業高校を卒業し県庁に勤めていたもみじは、一昨年の退職後からこのニアマートに常勤している。基本的に突発的なシフト変更がない限りは朝番と中番のみを任されていた。家族経営ということもあり、明るくて気の利く看板娘となってくれたもみじに両親はとても感謝している。

「いらっしゃいませー。あら根積さん、またお使い?」

 平日の十五時を過ぎると、わいわいと星花女子学園の生徒たちが訪れる。下校途中の子、部活前の子、最近では学園祭に向けての準備途中の子も買い物に来る。

 もみじはちらっと時計を一瞥した。季節的に外が明るいので気付かなかったが、もう十八時になろうとしている。ぼちぼち遅番のバイトくんが来る時間だ。

「はい。あっ、今日はエコバッグも持たされてるんでレジ袋いらないです」

 根積千宙ねづみちひろ、彼女は高等部のソフトボール部に所属する一年生。いつも部活前や休憩時間に来店する常連客である。

 小柄な体型通りちょこまかと店内を一周しては無駄のない動きでレジへ向かって来る千宙の買い物は、大概がチームメイトのお使い。本人には特にめんどくさがっている様子はなく、むしろちょっとした小遣い稼ぎになっているのでウィンウィンだとか。

 もみじは手際よく商品をスキャンし、小銭を出そうとしている千宙の代わりに、一つ一つ丁寧に袋詰めしてやる。

「こんな時間まで練習してるのね。もうすぐ秋季大会? 根積さんも出れそう?」

「うーん、私は多分代走じゃないですかねぇ。少なくともスタメンじゃないと思います」

「そっか、でもいつも走り込み頑張ってるから、代走でも活躍してほしいな。ケガしないように頑張ってね」

「はい、ありがとうございます!」

 千宙はぱんぱんになったエコバッグを肩に引っかけると、疑わしげな表情で入り口付近を伺う。

「あっ、待ってね。あの子たちいないか見て来てあげる」

 もみじはいそいそとカウンターから入り口へ向かう。これは千宙が来た時の恒例行事で、猫たちが出入り口付近にいないかチェックしてあげるのだ。

 千宙は猫が苦手らしく、たまに入り口を陣取る猫がいると固まってしまう。それでも、野良猫の多いこの店を利用してくれるのだからこれくらいの配慮は当然だともみじは思っている。

「大丈夫。駐車場の車の下にマリリンちゃんがいるけど、あっち向いてるから今なら平気よ」

 いると言ったのが間違いだったか、千宙は一瞬身震いをした後、「あ、ありがとうございました!」と、盗塁するかのように駆け出す。もみじはあっという間に小さくなっていく千宙の姿を見送りながら、あれなら活躍間違いなしね、と微笑んだ。

 釣り銭確認をしてから退勤準備しようかな、と店内へ戻ろうとすると「もみじさん」と呼ぶ声がして振り返った。

「あ、麗緒先生、お疲れ様です。お帰りですか?」

 愛用の赤い自転車を押しながら麗緒が「はい」と頷く。

「根積のやつ、またパシらされてたんですねぇ。相当急がされてたのか、あたしが呼び止めても気付かず走って行きましたよ。まったく、ソフトボール部のやつらめ……」

 元来た道に視線を向け、麗緒は呆れたため息をついた。

「ふふっ、無理矢理じゃないみたいですから、勘弁してあげてください。うちのいいお客様ですしね」

「そりゃそうですけど、先輩のみならず同級生たちまで便乗してるらしいじゃないですか。いじめに繋がらなきゃいいですけど……」

「それは大丈夫だと思いますよ? 万が一そういう雰囲気があれば、真っ先に麗緒先生に報告しますね」

 麗緒は心配が拭いきれないのか、腑に落ちない表情だった。察したもみじは「中、入りません?」と店内へ誘う。時刻的に夕方といえどまだ三十度を下回ったばかりの外はバカみたいに暑い。駐輪場に自転車を止めた麗緒はハンカチで額の汗を拭いながら入店した。

 夕飯なのか酒のつまみなのか、麗緒は惣菜コーナーの牛すじ煮と冷凍の小籠包、それとチョコチップクッキーを手に取った。まるで買う物が決まっていたかのようにさっさとレジに置く。

 もみじが商品をスキャンしている間も麗緒の表情は固いままだった。「あと、ニアチキ一つお願いします」と言った声も若干低い。千宙のことがそんなに気がかりなのであればとフォローを入れてみた。

「ご存じかもしれませんが、あの子たちはウィンウィンみたいですよ。お釣りはお駄賃だとかで、根積さんはいつも嫌な顔一つせずに買いに来ますし。……って言っても、やっぱり先生方はいじめとか気になっちゃいますよね? あっ、ニアチキはレッドでいいですか?」

 ニアチキとは、ニアマートで人気のフライドチキンである。レギュラー、レッド、バジルが通年で並んでおり、季節や期間限定で別の味も販売される。大きさの割に百二十円とリーズナブルなので、複数買って行く客も少なくない。

 レジ横のホットスナックコーナーからニアチキレッドを取り出そうとしたが、麗緒からは何の返答もなかった。慌ててもみじが振り返ると、ぽかんと口を開けた麗緒と目が合った。

「あっ、えっと、今日はレッドじゃなかったですか? それとも私、出過ぎたこと言っちゃいましたか? すみません!」

 トングを持ったまま頭を下げたもみじを見て、麗緒は急に爆笑し出した。今度はもみじがぽかんとする番だった。

「あははははっ。いやいや、出過ぎたなんてこれっぽっちも思ってないですよ。むしろ、いつも情報いただいて感謝してます。あ、レッドで大丈夫です」

「そ、そうですか? 私こそ、星花の方々には感謝しているので、そう言っていただけると嬉しいですけど……」

 電子決済アプリが「モイモイ!」と精算完了を告げる。商品をバッグに詰めた麗緒は、閉じかけたスマホをおもむろにもみじへ向けた。

「連絡先、交換しませんか?」

「え?」

 突然何を言われたのか飲み込めなかった。猫に行く手を憚れた千宙のように固まってしまう。試されるような麗緒の真っ直ぐな視線。瞳孔のその奥を覗かれているようで、もみじは思わず目を逸らした。

「い、いいですけど……もうすぐ交代なんで、ちょっと待ってもらっていいですか?」

 たじたじしながら答えると、麗緒はにっこり「待ってます」と微笑んだ。

 いきなりの連絡先交換に戸惑わないわけがない。無論初めてではないし、麗緒に教えるのが嫌なわけでもないが、県庁を退職しニアマートで働き出してからは一度も求められたことがなかったので、ただただ驚いてしまった。

 神妙な顔をしたりぽかんとしたり、そうかと思えば急に爆笑し出したり。あげく突然連絡先を交換しようと言い出す八神麗緒という保健医の行動に、もみじは若干の動揺を覚えていた。

 交代のバイトくんが来るまでに釣り銭確認を終わらせようと思っていたが、西日に照らされながらマリリンを覗き込んでいる麗緒の背中を自動扉越しにちらちら横目で追ってしまう。

 連絡先を交換して、もしもご飯や呑みに誘われたら……。

 いや、遅かれ早かれ、連絡先を交換するというのはそういうことだ。いずれ誘われるに違いない。

 そうなったら……。

 断るしかない……。

 麗緒だからではない。そうすることしかできない自分がもどかしい。だが、この二年間は友人とも誰とも会食していない。したいのは山々なのに、断ることでしか、臆病な自分を守れない……。

 制服の上からギュッとスマホを握りしめ、心の中で先に「ごめんなさい……」と謝罪を呟く。車の下から出てきたマリリンの首元を撫でる麗緒の横顔を見つめるもみじの心は罪悪感でいっぱいだった。


◆今回のゲスト


藤田大腸様作「根積千宙の下積み」より 根積千宙さん


こちらの作品もよろしくお願いいたします。

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